20 12月 2017

ロシア宇宙主義2017

最終更新:2018年1月7日

2017年、われわれ(誰)は紛れもない「ロシア宇宙主義」イヤーを目撃しました。疑いもなく、いま全世界規模でロシア宇宙主義がキています。この全人類的なプロジェクト=事業をただ静観していることはできません。そういうわけで、私なりにこの記事を書くことで、宇宙主義に燃料を投下することにしました。この記事を書く目的としては、乖離してしまっているロシア界隈における宇宙主義と、アート界における宇宙主義の橋渡しをしたいということがあります。
文中「★」印部はリンクになっています。

 #ロシア宇宙主義イヤーとしての2017@日本

日本でも遅滞なく、宇宙主義に関係するイベントが何回か行われました。

*ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義」翻訳(上田洋子訳、『ゲンロン』〈2〉所収、2016)
+ ★ボリス・グロイス氏来日レクチャー(2017年1月20-21日)
+ MADレクチャー「★無限を探して―ロシア宇宙主義と美術館」(講師:ロジャー・マクドナルド氏、11月16日)
+ アントン・ヴィドクル「ロシア宇宙主義:三部作」上映@★ASAKUSA
+ アントン・ヴィドクル氏座談会(12月17日)

などなど、以上はわたしが参加したもののみ挙げてみましたが、5つのうち3つ(グロイスとヴィドクル)は浅草のギャラリー「ASAKUSA」の周りのプロジェクトのようですから、この熱意に本当に頭の下がる思いです。

 #ロシア宇宙主義リヴァイヴァル

さて、このアート界における宇宙主義ブームの端緒はどこにあるのでしょうか。

2人のキーパーソンがいます。ボリス・グロイス(Boris Groys;1947-、ロシア出身のアートクリティーク)とアントン・ヴィドクル(Anton Vidokle;1965-、ロシア出身のアーティスト)です。
(いま出生年を調べていて、この二人にはほとんど一世代ほどの開きがあるということを知りました。ヴィドクルが宇宙主義について知ったのは、グロイスから聞いたのが最初だったそうです。)

グロイスは、もともとソ連後期のコンセプチュアリズム(コンツェプトゥアリズム)を同時代的に批評することで名が知られるようになりました。そもそも“コンセプチュアリズム”なる用語も、彼の「ロシアのロマンチック・コンセプチュアリズム」(★拙訳;1978)という論文によって広く知られるようになったわけです。日本では長らく彼の著作としては『全体芸術様式スターリン』(Gesamtkunstwerk Stalin、1988;亀山・古賀訳、現代思潮新社、2000)の一冊しか知られていなかったので、ロシア現代アート(あるいはアヴァンギャルド)の批評家という側面が表立っていたきらいがありますが、そもそもすでに80年代には彼は西ドイツに亡命しており、そこからグローバルにアートクリティーク、キュレーターとして活動していきます。2017年のグロイス来日に合わせて、『アート・パワー』(石田・齋木・三本松・角尾訳、現代企画室、2017)が翻訳・出版されました。日本語で読めるグロイスについては★こちらにまとめました。

ヴィドクルは、モスクワに生まれ、アメリカで教育を受けたアーティストです。アーティストとして数々のプロジェクトを手がける一方で、★プラットフォームe-fluxの創設者の一人としても知られます。

契機としてはおそらく、以下のような諸事実があります。

+ ロシアにおける«Русский космизм. Антология. (Russian Cosmism: An Anthology.)»(Ад Маргинем (Ad Marginem), 2015)出版。(★関連するトーク動画
+ アントン・ヴィドクル「ロシア宇宙主義:三部作」(2014-17)の上映@ベルリン(2017年9-10月@HWK)、ロンドン(2017年10月@テート)、東京(2017年12月@ASAKUSA)他。
+ e-flux journal “Art Without Death: Conversations on Russian Cosmism” (Sternberg Press, 2017)
+ グロイス+ヴィドクル編 »Kosmismus« (Matthes & Seitz Berlin, 2018近刊)
+ グロイス “Russian Cosmism” (MIT Press, 2018近刊)

粛々と、ロシア宇宙主義が既成事実化していくのをわれわれは目の当たりにしています。

 #日本におけるロシア宇宙主義の受容

ヴィドクル氏の座談会でも話があった通り、宇宙主義のオリジネイター=ニコライ・フョードロフの死後の主著『共同事業の哲学』は、1943(昭和18)年に白水社から抄訳が出版されています(ヴィドクル氏はこれが翻訳としては世界初だと言っていましたが、真偽はわかりません)。この事実ひとつからもわかるように、数は多くないけれども、日本のロシア界隈には、すでに宇宙主義についての研究が存在します。

まずは、主要な文献のリストを挙げます。

 〈概論・アンソロジー〉
・セミョーノヴァ/ガーチェヴァ編『ロシアの宇宙精神』(西中村浩訳、せりか書房、1997):ロシア宇宙主義についてまず一冊、というのであればこれがおすすめ。ただし値段が高騰中。
・グロイス「ロシア宇宙主義」(上田洋子訳、『ゲンロン』〈2〉所収、2016):コンパクトにまとまっています。先に触れたグロイス編«Русский космизм» (2015)の前文。

 〈一次文献〉
・セルゲイ・ブルガコフ[ブルガーコフ]『経済哲学』(島野三郎訳、改造社、1928)
★フェオドロフ[フョードロフ]『共同事業の哲学』(抄訳;高橋輝正訳、白水社、1943):ブルガーコフの訳者島野氏および本書の訳者高橋氏は、戦中は南満州鉄道(満鉄)のロシア関係部署で働いていた人たちのようです。島野(嶋野)については、★拙稿を参照してください。
・『文藝』(河出書房新社、1993年夏季号)「特集:ユートピアとしてのロシア」→フョードロフ(安岡治子訳)「共同事業の哲学」(抄)収録。その他対談等。ちなみにフョードロフの弟子のコジェーヴニコフが哲学者コジェーヴの親類だっていう説は、裏付けがないと思うんですけど……
・ケドロフ『星の書物』(渡辺・亀山訳、岩波書店、1994)
・ セミョーノヴァ『フョードロフ伝』(安岡・亀山訳、水声社、1998)
・フロレンスキイ『逆遠近法の詩学』(桑野・西中村・高橋訳、水声社〈叢書・二十世紀ロシア文化史再考〉、1998)
・ボグダーノフ『信仰と科学』(佐藤正則訳、未来社、2004)
・ヴェルナツキイ『ノースフェーラ』(梶雅範訳、水声社〈叢書・二十世紀ロシア文化史再考〉、2017)

 〈二次文献〉
・亀山郁夫「停滞と復活:フョードロフからの系譜」(青土社『ユリイカ』1996年8月)
・佐藤正則『ボリシェヴィズムと〈新しい人間〉』(水声社、2000)
・ガーチェワ「ドストエフスキーとフョードロフ:精神的血縁性の系譜」(安岡治子訳、青土社『現代思想』、2010年4月臨時増刊)
・ラリュエル「運命としての空間」(平松潤奈訳、『ゲンロン』〈7〉所収、2017):ユーラシア主義と宇宙主義の関係について。
その他、フョードロフ研究として飯島康夫、小俣智史両氏の論文等がある。

 〈フィクション〉
・ボグダーノフ「不死の祭日」(西周成訳、アルトアーツ、2016)
・伊藤計劃/円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社、2012)

 〈その他〉
・ロシア革命批判論文集 ①『道標』②『深き淵より』(現代企画室、1999)
・御子柴道夫編『ロシア革命と亡命思想家』(成文社、2006)

以上、2017年12月現在です。 

いままではどちらかというと、宗教思想寄りの紹介のされ方をしていた(セミョーノヴァや亀山郁男、中沢新一など)のですが、上田洋子氏がグロイス「ロシア宇宙主義」の解題で述べているとおり、グロイスによる紹介はより社会主義に近く、唯物論的な考え方に重きを置いています。

 #ロシア宇宙主義とは

 (以下、わたしが一部書いた★wikipediaの記述と筆跡が似るのをご承知おきください。)
ロシア宇宙主義(Русский космизм;Russian Cosmism)の草分けとされるのは、ニコライ・フョードロフ(Николай Ф. Фёдоров;1829-1903)です。もともとは学校の教師でしたが、後にルミャンツェフ博物館附属図書館[モスクワのロシア国立図書館の前身]で司書として働き、その後は一介の図書館司書という姿勢を生涯貫いていました。彼は生前には一冊も本の形では出版せず、自分の思想については知人への手紙や新聞等への寄稿で時折表すほか、司書としての仕事のなかで出会う人に口伝したりしていたようです。

彼の思想が広まった理由は、彼の「知人」たちに当時のロシアのビッグネームが多かったというのが一番大きいと思います。トルストイ、ドストエフスキー、哲学者ソロヴィヨフ、のちの科学者ツィオルコフスキーなど、当時(も今も)随一の知識人たちが、フョードロフの思想に賛意を示し、影響されていました。唯一の主著『共同事業の哲学』(Философия общего дела, 一巻1906・二巻1913)はフョードロフの死後、弟子を自認したコジェーヴニコフとペテルソンによって自費出版され、無償で頒布されます(このあたりもフョードロフらしさを貫いているわけですが)。

宇宙主義の中枢をなすイデアは、〈共同事業〉(общее дело; the common task)という言葉で言い表されます。その中身としては、雑駁に言って3点あります:①不死の実現②すべての父祖の物理的復活③血縁性(родство; rodstvo)の回復。フョードロフは大変わかりにくい、混乱した文章を書きますが、だいたいこの3つをめぐって論が展開していると言っていいと思います。

人間はまだまだ無限の可能性を秘めている。もっとやれる。だけれども、「真に偉大なこと」を実現するその道半ばで我々は死んでしまう。だから(?)死は端的に間違いである。実直に進歩していけば、人間は死なない。不死への道を妨げるのは何ものか? それは非親和、非血縁性、個と個の間(個人主義)・父と子の間(放蕩)の断絶といった近代主義の生み出した弊害である。だから(?)我々は自然に打ち勝ち、父祖の復活を成し遂げることで、父祖たちへの責任を果たし血縁性を回復すべきなのだ。それもすべての父祖の復活を通して。そして個は全に融解し、世界は完全になる。――おおまかにフョードロフのプロジェクトはこのような線をたどります。

この奇想を覆い隠すかのような一見強靭な(〜だから~、だから~・・・)、しかし隙だらけの論理は、フョードロフ、あるいは宇宙主義の魅力的な点の一つでもあります。

そしてフョードロフの思想は、徐々にロシアの文化界に隠密に、あるいは顕らかに、受け入れられていきました。宇宙主義の特異性を語るときに、こうした受容を通しフョードロフの思想が拡散していったことのみならず、受け入れられた先で現実に介入する力をこの思想が得ていったことは特に指摘しておく必要があります。

 #ロシア宇宙主義の発展

フョードロフ以後の宇宙主義の発展ですが、まず哲学・思想の界隈では、ソロヴィヨフフロレンスキーS・ブルガーコフといったキリスト教正教会神学を背景にもつ神学者・思想家たちへの影響がありました。そもそも「復活」や「不死」といった考え方は、キリスト教が得意とするところですから、受け入れられたことに無理はないと思います。それぞれが大変に特異な人々で、彼らについて詳しく述べている紙幅がありませんので、ここでは省略します。

宇宙主義は、自然を克服し人間の能力の最大化を図るという点で、科学の世界に親和性が高く、科学者の中にも賛同者をつくりました。代表的な人物としては、先述したツィオルコフスキーや、ヴェルナツキーが挙げられます。ツィオルコフスキーは、史上初めて人類が宇宙へ出る可能性を科学的に検討した科学者です。彼のつくった理論が、のちにソ連の宇宙開発の基礎になっていくわけで、ここにおいて宇宙主義は現実の問題となります。ヴェルナツキーは鉱物学者ですが、彼(やテイヤール・ド・シャルダン)の提唱する「ノオスフェーラ(ノウアスフィア)」(精神圏・叡智圏)の思想は、宇宙主義の流れにおいて一時代を画しました。

また政治的な局面でも、宇宙主義は受容されていきました。20世紀はじめのロシア革命の時代には、新しい社会の建設が目指される中で、様々な場面で新しい人間像が模索されていきました。ここで社会主義思想と宇宙主義は接点をもちます。政治関係者のビッグネームとしては、ボグダーノフルナチャルスキーなどの名前が挙げられるでしょう(ほかムラヴィヨフなど)。ボグダーノフは、自ら主唱した〈プロレトクリト〉運動のなかで身体の改造を唱え、晩年は全プロレタリアの輸血による血液交換を主張し、自らも輸血実験中に命を落とします。ルナチャルスキーは、アヴァンギャルド運動の理解者として知られますが、〈建神論〉(Богостроительство;全宗教に代わる宗教としての社会主義、その中で人間は神になる)を唱え、ボグダーノフともプロレトクリト運動のなかで協働していました。彼らプロレトクリト一派は、レーニンに毛嫌いされたこともあって後年速やかに失速していきます。
[*この文脈でよく触れられる「cosmo-immortalists党(?)」について文献で確認できなかったのですが、(そもそも共産党一党独裁のなかで「党」という言い方はおかしくて、「派」とかにするべきだと思うのですが、)ロシア語でこの派閥はなんて言うのでしょう]

その他文化面でも、ロシア・アヴァンギャルドのアーティストたちの一部や、作家A・プラトーノフなどはまともに影響を受けていますし、後年になるとパステルナークタルコフスキーソクーロフなど現代に至るまで隠然とその影響は見られます。

その他、宇宙主義内部の文脈としては、グロイスは他にA・スヴャトゴール(バイオコスミズムの主唱者)の名を挙げています。また、宇宙主義研究者セミョーノヴァとガーチェヴァが『ロシアの宇宙精神』の原著«Русский космизм: Антология философской мысли (Russian Cosmism: An Anthology of the Philosophic Idea)» (1993)の中で挙げている人物名は、★wikiの方に列挙してありますので参照してください。

 #ロシア宇宙主義の可能性

宇宙主義の可能性として自分基準で考えるとしたら、以下の3点になるでしょうか。

オプティミズム:まずどうでもいいことかもしれないのですが、宇宙主義は基本的に楽観的な思想です。まだ技術力や人間の進歩というものを素直に信じ、信頼できた時代の産物だからでしょうか、そこには発展や進歩、人間の可能性についての非常にオプティミスティックなベースがあります。「この・今ここの」現実だけではない世界像を、大きな大きなスケールで提示すること。これはあらゆる芸術の専売特許かもしれないものですが、宇宙主義にも確かにこれが感じられます。ただし、この心地よさに身を任せるだけではおそらく良いわけはなく、どう批判的に解釈し受容していくかが今後問われていくと思います。

ミュージアム論・図書館論:近年の宇宙主義ブームでもっとも注目されるところがここです。グロイスが国立近代美術館における浅田彰とのトークで触れていたり、ヴィドクルも三部作の最後「全人類に不死と復活を!」で強調しています。フョードロフによれば、ミュージアムは死者の復活のための装置である。単なる倉庫でもなければ、生者のためにあるものでも、実はない。人間の生きた証をすべて収集し、子の世代の父祖崇敬の拠りどころとし、究極的にはミュージアムからすべての父祖が甦りを果たすこととされています。経済的・文化的な緊縮の状況が続くなか「いま、ここで役に立つ」「(いま生きている)みんなのための」ミュージアムが求められる昨今において、生者ではなくむしろ死んだ者のため、そして死者の復活のためにあるミュージアムを主張するフョードロフの主張はラディカルですし、ミュージアムの概念を捉えなおす契機を与えてくれます。図書館についても、自分(とフョードロフ)が図書館で働いているので挙げてみましたが、論旨は同じです。

共同体論:これに関してはもう少し慎重な検討の時間が必要だと思いますが、フョードロフの考え方をもとに共同体論を更新できる可能性もあるのではないかと漠然と思っています。フョードロフの思想の根底にあるものは、人間を分断に追いやった近代的な思考の批判的再検討であり、そこには「共にあること」についての独自のアイディアがあります。のちに述べるフョードロフ思想の危うさも踏まえた上で、現代フランス思想などに顕著な共同体論をロシア宇宙主義からの視点でもう一度考え直すこともできないでしょうか。 [*関連して、「記憶」についての思考にも新しい考え方を与える可能性もある]

 #ロシア宇宙主義の限界と突破点

以上のように、多様な可能性を宇宙主義から汲み取れる一方で、この思想の弱点、突破すべき点も存在します。私が考えるものとしては、以下の通りです。

保守性:フョードロフ自身の思想は、基本的には保守的な思想であると言っていいと思います。フョードロフは、子の父に対する責任や父祖崇拝を強調し、〈専制〉を父(皇帝)と子(臣民)が成す理想的な政体とみなしています(ずばり『専制』という題の論文を書いています。彼の言う〈専制〉が現実のそのままの「専制」かというと、必ずしもそうとは限らないようですが)。また、彼の思想は基本的に男系です。彼が祖先崇拝という時は、常に「культ отцов-предков (父=祖の崇拝)」というニュアンスがあります。母ではなく、父です。братство (兄弟愛)、отечество(父性=祖国) といった用語も、また男系のものです。とはいえ、この思想のポテンシャルは、のちに換骨奪胎されるなかで、そのエッセンスが共産主義や革命の文脈で復活していくところにあると思いますので、何らかの方法で乗り越えることは可能だし、今後必要だと思います。ちなみに2017年末に出た『ゲンロン』7号に掲載されたラリュエル「運命としての空間」が、宇宙主義と保守思想である(新)ユーラシア主義の関係性について論じており、このテーマでは恰好の文献と言えます。

全体主義・改造主義:①ともつながるのですが、宇宙主義の「みんなで一つに」的な考え方は、容易に全体主義に陥りがちです。この手の合一の思想は、キリスト教でもなんでも、個を滅し、全に奉仕するという方向に傾きがちですが、わたし個人としては、そこに危うさを感じざるを得ず、それでは個を尊重しつつ可能である宇宙主義のあり方とは、という疑問も持たれるべきだと思います。また、フョードロフはあっけらかんと「自然を克服する」というのですが、あまりに隙のある言い立てではないかと危惧されます。

オカルティズム:最後にもっとも当然の疑問かもしれませんが、宇宙主義はオカルティズムではないのかと問うこともできます(オカルティズムを貶める意図で言うのではなく)。わたしは明確にこれを否定することができません。おそらく一種のオカルティズムには違いないのだろうという考えもあります。それでも、宇宙主義の可能性は、これが宗教や文学的な想像力の中に止まることなく、現実の政治・科学・歴史に明確な痕跡を残しているというところにあります(しかも単なる陰謀論ではなく、事実として)。その理由を問い直すところに、宇宙主義の可能性もまた、存在するはずです。


……以上、ロシア宇宙主義という特異な思想のイントロダクションになれば幸いです。もちろんすべて個人の見解で、今後修正すべき点も出てくるだろうとは思うのですが、現時点でのまとめでした。今後わたし個人としては、不死の思想の協働ということをぼんやりと考えていきたいと思っています。「死なないこと」の思想=例えばブランショ(死の不可能性)や荒川+ギンズ(死なない身体)など。なんせ勉強が足りないので、たくさん本を読まないといけません。楽しみです。


*なお、フョードロフの翻訳を細々と続けています。★私たちのzine『ゆめみるけんり』に連載されています。→https://droitdeyumemir.blogspot.jp
vol.1(2017)★には「著作者の権利と著作者の責任、あるいは義務」という著作権に関する論文
vol.2(2018)★には「著作者の義務と、博物館=図書館の権利」というミュージアム・図書館論の前半
……を掲載していただきましたので、興味があれば購入していただけると嬉しいです。紙版もありますが、とりあえずはKindle版でどうぞ。最後に宣伝で失礼しました。フョードロフはきっと怒るでしょう。

12 11月 2017

アンナ・アリチュークの詩

十二のリズミカルな休止

1984-85

一、(G.Ts.に)

雨、彷徨い
ぽつねんと、鏡の岸辺佇み
海の羽毛をもつ鴎たちの歔欷のなか
動きを止める
  砂のうえに浪はなだれ落ちない
そして赤い筆のなか太陽が砕け散る

百回ほども筆跡の波が打ち寄せ
遠くへ 悲しみになってこぼれ散った
          黙りこんで散歩する悲しみに

二、

時間の蜘蛛の巣に捕えられた焔の野つつじ
びっしり走ったこの葉脈の虜
大気の刺すような眩いばかりの戦慄のなか
花輪の衣服の、風との戯れ

このように手をかたどった陶器は消える
掌のなか遠方の貝殻となって……

三、

スカラベたち
  それぞれの体中に渓流ながれ
彼らだったろうか 身体のまわりで
腕を流れていったのは
砂のうえに立ちながら 目にしなかったわけはあるまい
波なす髪の房が顔に打ち寄せるのを

風がつくりあげた紋理をもつ
砂丘のような花弁を

四、

エルフの身体 そしてことば
砂のうえに 蝶の耳殻

大気のなかに 泉あり
青のうえ 枝の起源に脈うつ
(根のほうに向かわぬ川)

木々が飛んでゆく……

五、ミニュアースの娘たち

こだまによって嚇しつける蒼穹
          すっと貫く葦笛
草叢=広間で
眼のなかの琥珀の豹の
           そして
壁がこんなにも薄くなってゆく
          鳥たちが飛びくる
葡萄の蔓を振りはらい
夜明けにディオニュソスを根づかせ

諸空間の大気を熨しつつ……

六、

橡色のひと群の葉のところ
硝子の後宮で
月の梯子を長く わたしは伸びる
息づまりの水晶
空たかく砕け散り

《落陽の瓦のあいだにあって
エルフは笑いながら溶け消えさることができた》
だが月の蜂巣のなかへと陥りながら……
青みの上の天使的な? 友情、それは――
(神話にいう
  すもものような
   天国の樹の溶岩)

目を釘付けにする物ものの発光へと連れ去ってゆくこと

七、雨

石のうす煙り…
葡萄のなす穹窿が照らしだされる
アーチの切り立った調べに

八、

燈明の大伽藍
昏い枝を鴨が揺らした
湖水上の空で

九、

幼時の紙片の
    翼をひろげた
船はしおれた蝶のほうへ

ただ今より

熱心さ と 雨
野ばらの大好きなひと滴

空から落ち……

十、

誘われるような草の海
生命樹Thujaの孤独

陶器のカタツムリは灰まみれだ
部屋の植物を這いのぼる
伸びゆくバイオリンのような
フルートの

澄みわたる空

十一、

硝子で触れつ
何十億もの月の飛沫
腐敗の
   その瞬間
去った人の頬よりも 口唇よりも 明瞭に



十二、

          死出の山にては必ず待ち給へ――『義経記』
片翼の蝶、「Ю(ゆう)」
オーボエの長く伸びる草が
散ってゆく 散ってゆく――
花弁がみせるЛЮ(りゅう)の舞い
影に暗む幹が
雪のみどりのうえで藤色を帯び
わたしは天辺に留まるまい

雲=芍薬のあいだに

03 9月 2017

ルィ・ニーコノヴァ(アンナ・タルシス)の詩

あまりにも
空に
たくさんの雲 ―― 堪えがたい

1962

◆静物画

ライオン ライオン と ライオン

1964

ネズ ミが
ひと くみ

1965


 ら
  さ
   き
    い
     ろ
      の
む ら さ き

1965

白痴だらけのこの世界ではみな白痴だ
白痴は一人ひとりそれぞれに歩いてゆく

白痴だらけのこの世界ではみな愛国者だ
愛国者は一人ひとりそれぞれに歩いてゆく

白痴はそれぞれ各様に暮らしている

この世界で
この世界では
みな――白痴だ

1965

そこに縄が巻きついているとき
 そこからは引っ張ってくるようなものは何もない

1966

蠅 は い な い

1966

◆“ドキュメンタリー”詩シリーズ『アミン』(1969)より

公園で座っている
足をぶらぶらさせている



背中が凍えそう



テーブルが
覆われた
白いテーブルクロスで

◆シリーズ『トートロギヤ』(1969)より「1917年十月」

十月
十月 と
十月

リズム と鶴の感覚
水牛  と垣根の感覚
感覚  と二月の
感覚
頭飾りがもたらす感覚

1969

◆1970年


いち に
いち に
いち に
いち に

1970

ぐんたい くんくん

1970

静まり まり まり まり
だまり まり じめじめ=しめしめ
そして落ちる 落ちる
そ、それからどっかに どっかにいく

1970


はなして
はなして
   軽やかにはなす

1970

コ ン
バ イ ン

1971

バ ケ
 ツ

1971

◆風景

ストッキング
ストッキング
ストッキング
毛糸玉
毛糸玉
穴あきボートのある川岸
      ボート

1972

おまとりょーな
ちもふぇーゆゔな
あまとりょーしゃ
ちぇみゃふぇーゆちか
うむとりゅーんな
ちみふぃーいちこ
きんぴかーちゃん
こぺーいか銭のように

わたしに尋ねて
ぺーちかから降りるわ
ぺーちかを追って出ていくわ
がちょうを捕るわ

そのがちょうは飛びたたない
開かれないし
ばらばらにはならない、ぺーちかは
ただわたしは出ていくだけ

お、まとりょーにゅしか
ちもふぇーゆしか
あまとりょーなちか
ちゃまふゃーしゅにか

1973

暗やみの中でランプの輪郭が暖まって
重苦しい時の梟が手のひらに降りてくる
手がそっと揺れ 嵌めた腕輪に呼吸が重くなる
心配しないで――穏やかに息をして
呼吸を鍛えて
呼吸は
まだこんなに役だつのだから

1975

◆パリのロシア公爵たちへ

あなたたち
  穢された嘘へ…
苛立ったパリを
包みこむような
織物に捧ぐように
わたしは余暇を捧げよう
至るところ駆けまわる《祖国》の
手のひらで握りしめられた余暇を…

1979


*ルィ・ニーコノヴァ(Ры Никонова)=アンナ・タルシス(Таршис, Анна Александровна. 1942-2014)。

16 8月 2017

セルゲイ・ザヴィヤーロフの詩

破壊の書(1985-86)


秋に
雨を待つ  乾いた落葉
堅いアスファルト  夜の運河の波音
世界の崩壊は  おまえだけに聞こえる  捕えるな
  その退屈させるようなリズムを
  微笑み
と眉墨が腫れ上がった幾世紀のうえに浮かぶ
汚れた軍用衣
未成年者たちが煙草に火を点け  喧しく笑う
  彼らの手は労働者の手
  もう自分自身に耳を傾けるな
彼らとともにいなさい
世界のなか
  すべて言うことなしの世界のなかで

この秋は風がない  かろうじて感じるだろう
  眼に見えぬ肉が触れるのを
触れながらも引き留めることはかくも困難だ  嘆息ならぬ嘆息の
  一どきの喘ぎのうえに
おまえの想像が生んだ母国から  かろうじて気づくほどの徴
  己のものだと思い込んでしまったという、徴

己れの故国を見いだせ
己れの発話の  感覚に耳を傾けよ
鏡のなかの狼男を見つめよ
副詞を探り当てよ そのなかでは
  自分自身との対話におまえは加わるのだろう
石の強度を確かめよ  家へと
  伸びる路の石の

◆サッフォー風詩体

道すがら彼女に会ったか、メルクリウス
早朝に微笑んだだろうか、ウェヌスは
冬に北風の神ボレアスの家に吾らを
  置き去りにせず。
ひたすらに天井は高くなり、そして鮮やかに
輝いたのだ、突然に、物体の角を縁どるように
毛皮を脱ぎ捨て ニンフがみなし児のペナテスに
  笑いかける、その時に。
そして私を、薄汚いスキタイ人の奴隷にでもしてくれ
冬眠もせずぶらつく熊の生贄にでもなろうではないか
もしも私が忘れることがあったなら
  溢れくる涙の喜びを。

眠るとき、人は背を向け壁と向きあう(ヘラクレイトス、断章89から)

一、

  そうしてかくて今でも
下劣にもあなたを忘却している
日々にもいつもそうであるように
  あなたの下僕を赦し給う  支配者よ
荒廃しきった心を持つわたくしは
痛悔の気持ちに駆られることもなく
  罪のなか寝入る
そしてあなたとは言葉を交わさぬ  あなたの
憐みを垂れ、また罰する御手が
  我が両の眼に映りながらも

二、

  私ははじめようと思う
妻(さい)よ  見てほしい
この夜に 雪がいかに月並であるか
  ユリウス暦の降誕節前夜だ
舊約によるゴグとマゴグはどこかへ行ってしまい
出くわすことになる  状況の転換に
  だからもう寝たほうがいい
だっておまえは  もうぜんぶ聞いたのだから
だが私がまだ言ってもいないことを
  おまえが聞くことはどうせないのだ
けれどももう一度  叫び声を届けたい
おまえも解らないわけはあるまい  この、
この夜、分断の夜に
  雪は月並に過ぎるものだと?

三、

  そして終いに
世界と  あなたのロゴスによる
救済 ―強く  弱く―
彼ら一族の殲滅
  壁の染みと化すまでの

◆トビリシへの招待(S.マーギドへ)

そのことばの しずかなよろこび
金の髪した女の子  ひとを従えるしなやかさを
すらりと伸びゆく日焼けを知らぬ脚に すでに具えて
それは極限まで細くなりゆく  優美な指で下へ
上へ撫ぜる  情欲が
  すこしきついほど堅く編まれた巻き毛に
こころ鎮まるようなよろこび
言語ならぬ  それはどこ  この言語の祖先たち
  ことばの
ガスに汚染されたティフリスの盆地
薄汚れた川が流れ
黄色がかった  段地に 技師らしい白い陳腐さがあり
十字架群の定かならぬ崩壊が
  ムタツミンダ山の麓のところに
あのことばの肉感的なよろこびが
和声の決裂は  生存にはなく
音楽的調和のしずかな哀悼のなかにあるのだ
いつだってまるでほんのすこしカヘティ地方の
葡萄の蔓を啜ってしまったかのごとき調和の

Me nec femina nec puer
jam nec spes animi credula mutui
(Horatius. Carm. IV. I 29-30)

[もはや私を満足させぬ] 女も小童も
互いに信ぜらるなどという軽々しい期待も


わが柔弱なる小童  わがローマ人(びと)よ
慰みの葡萄を一のみにするまで  まだ時間はある
おれに教えてくれ  五月のこの重苦しさのわけを
そして鴉の一群が  あらゆる鳥類を妨げ
             歌  緑繁りはじめた
  墓所にて
見えるか?
新たなる墓より  這い出くる  この蛆
  こんなにも脂にまみれ  薄紫色をしている
顔を背けよう、わが少年  わがリグリア人(びと)
かくも絹のごときお前の縮れ毛
お、わが無欲をおれはよろこぶ
わが肉に有難みを感じるごとく
  お前に対して無関心であるのだから



*Завьялов, Сергей Александрович (1958-)

*サッフォー風詩体は、
 ̄ ︶ |  ̄ X |  ̄ ︶ ︶ |  ̄ ︶ |  ̄ X (×3回)
 ̄ ︶ ︶ |  ̄ X
という形をとる詩型(Xはアンケプス)。
原文はこの詩形に忠実である。
встрЕтил лИ еЁ на путИ меркУрий,
... ...
нЕ покидАет.

06 8月 2017

アルカージイ・ドラゴモシェンコ『家と木々のあいだに』(抄)

アルカージイ・ドラゴモシェンコの長編小説『家と木々のあいだに』(1978)からの断章です。難しかった…。
Аркадий Драгомощенко: отрывок из романа "Расположение среди домах и деревьях" (1978)

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時おり明け方に、心臓が痛むことが、私にはある。煙草をよく喫う。明らかに、年を重ねるごとに喫う量は増えている。パイプを吸うのだが、煙草が見当たらない。だから自分なりに煙草を考え出してみたのである。にもかかわらず、必要があれば、この煙草を煙草屋で購うことができる。君は、近寄って、肘で寄りかかった格好で、おしゃべりをするだろう。ああだこうだ、あそこじゃどうした、つまりいま現在世界で何か起きているのかということ、それから静かに話をするのだ……人々は御しやすく、飲み込みが早い、めったにないほど。ほんとうに、こめかみのところで指をぐるぐるしているような頭のおかしい人たちに出会うことは、——そうだ、なにしろよくあることではない、例外なくあらゆる人が君を理解してくれるほどには。見えない針。それは素敵だ。冷えている、まったく氷のようになって、完全に冷たくなる、針は死んでゆく、光沢が失われて、存在しなくなる。息をしろ。日暮れ時、太陽の手で破壊されて、空、だれか。
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こちらからどうぞ↓

Драгомощенко, Аркадий Трофимович. 1946-2012.

12 7月 2017

ワシーリイ・ローザノフ『孤絶して』(抄)

ワシーリイ・ローザノフのエピグラム集『孤絶して』(Уединенное)より。途中で飽きたので、とりあえず。

『孤絶して』(抄)




夜半に風が騒ぎ、葉が運ばれてゆく…。生なるものも同じように、速い時の流れの中で私たちの心から、叫び、嘆息、ぼんやりした思い、漠然とした感覚を奪い去ってゆく…。それらは音の断片でありながら、手を加えられることなく、目的も、意図もなく、——造りあげられた部分など片鱗もなく——心からそのまま「散り落ちてしまった」というところが重要だ。ただ「心は生きている」…すなわち「生きた」のであり「息絶えた」ということなのだ…。長いことわたしはこの「思いがけない叫びたち」が、なぜか好きだった。叫びは、私たちのなかに、絶え間なく流れ込んでくるのだが、それを書きつけることは(手の下に紙などない)できないまま、それらは死んでゆく。そして二度と思い出すことはないのである。それでも、多少は紙に書きつけることができたのだった。書き散らしたものがかなり溜まっていった。それでわたしはこの散ってしまった葉、葉を拾い集めることにしたのである。
何のために? 誰に必要だというのだろう?

ただ——わたしには必要なのだ。あぁ、善良なる読者よ、私はもう長いこと「読み手のないまま」書き連ねてきた。ただわたしはそうするのが好きだから。「読み手なし」でどうして出版などできよう…。ただ単に、そうするのが好きなのだ。もし何かの間違いでこの本を買ってしまった読者が本をゴミ箱に捨てたとしても(おすすめは、ページを破かないようにして目を通したら、ページをまっすぐに揃えて、半額で古本屋に売ってしまうことだ)、わたしは泣きもしないし、腹を立てもしない。
読者よ、わたしはお前には遠慮しない。だからお前もわたしに遠慮しなくていい。
「クソが…」

「クソが!」

そしてau revoir(さようなら)、あの世で再会するその日まで。読者と一緒にいるのは、独りでいるのよりもはるかに退屈なことだ。読者は口を大きく開けて待ちぼうけているのだ。君ならどうする? そういう場合、喚き始める直前に、読者はロバに姿を変えているのである。その光景はとてもきれいだとは言えない…。やりきれない…。どこかの「音信不通の友人」に宛てて、または「誰にも宛てず」書くことにする…。


デカダン派の人々がわたしを訪ねてきたことがあったが、夜の1時ころにわたしは実りを得られぬ輩どもを先に解放してやった。ところがわたしときたら、最後に出ていこうとした善良なヴィクトル・ペトローヴィチ・プロテイキンスキイ(夢見がちな先生だ)を引き留めて、ドアとドアの間で見せてやったのだ…。

人間には、脚が2つある。例えばブーツ(ガロッシュ)を例にとろう。5足あると、ひどく多すぎるな、と考えると思う。ところがそのドアとドアの間には、わたしは自分でもびっくりしてしまうくらいちっちゃなブーツがどっさり並んでいたのである。ざっといくつあるか数えてみることもできないくらいだった。それでわたしとプロテイキンスキイは笑い転げてしまったのである。

「いったいいくつあるんだ!…」
「いくつ必要なんだ!…」
わたしはいつも誇りたかく「civis romanus sum(ラテン語。我はローマ市民なり)」と考えている。わたしの家では、10人で食卓を囲む。それと女中が一人いる。みんなわたしの仕事で食わせているのだ。みな、わたしの仕事の周りで世界での居場所を見つけたのである。まったくの「civis rossicus(ラテン語。ロシア市民)」、「ゲルツェン」ではなく「ローザノフ」である。ゲルツェンなぞ「歩き回って」ただけじゃないか…。

プロテイキンスキイに対して、わたしには深い経年の罪がある。プロテイキンスキイは咎めるようなことはせずに接してくれているが、わたしは、ただ疲れてしまったから言っただけだけれど、プロテイキンスキイについて馬鹿な嘲笑のことばを言ってしまったことが一度ある。彼が「決して話を終えることができない」(一つの話し方ではある)ために、わたしは疲れて、最後までじっと聞いている体力がなかったのだ…。しかもその馬鹿なことばというのは、わたしは陰に隠れて、彼がドアから辞去していったときに口にしたのだった。


世に知られないところから、我々の思考はやってきて、そして世に知られないところへ去ってゆく。

第一に:これこれのことを書くときに、座らないでいることはできない。ところがいざ腰を掛けると、まったく別のことを書くことになる。

「座りたいな」から「座った」のあいだに、1分経っただけなのである。部屋をうろうろしていたときとは違う、まさに書きだそうとして腰をおろしたときとさえも違う、この新しいテーマについてのまったく別の思考というのはいったいどこからやってくるのだろう…。



呪わしいあのグーテンベルクがその銅製の舌ですべての作家を舐め上げた。そして作家はみな「印刷のなかで」高邁な精神を失ってしまい、面目を、性格を、失ってしまった。わたしの「私」は手書きのなかにしかない。他のあらゆる作家の「私」も同じことである。きっとこのために、わたしは手紙やノート(子どものころのものさえも)、手書きの原稿を破り捨てることに迷信的な恐怖を抱いているのだろう。だから何ものも破り捨てることはなく、ギムナジウム時代の同志たちの手紙を最後の一つに至るまで保存することにしたのである。残念ではあるが、大量に積みあがってしまっていることを鑑みて、自分の書いたものだけは破り捨てる。——心の痛みとともに、それもごくたまに。

ロシア人をじっと鋭いまなざしで見つめてみてほしい…。彼はあなたを鋭いまなざしで迎える…。それですべてわかってしまう。ことばは何も要らない。

外国人相手だとこうは行くまい。 (街頭で)


ロシア人を愛するならば——教会を愛さずにいることはできない。民衆と教会は一つのものだから。そしてロシア人には、これ一つしかないのだ。 (1911年、夏)


真実は、太陽より高く、空より高く、神よりも高い。なんとなれば、神が真実から発するのでなければ、神は神でなく、空は沼地、そして太陽は銅製の皿にすぎないから。 (下敷き紙の向こう側に)


わたしは必要ではないのだ。わたしは必要とされていないということ、これをわたしは何よりも確信している。 (下敷き紙の向こう側に)



作家活動の秘密は、心のなかで永遠に強いるように流れる音楽にある。この音楽がなければ、人はただ「自分自身を材料に作家をつくりあげる」ことしかできないのだ。だがそんなものは作家ではない…。

. . . . . . . . . . . . . . .
心のなかを何かが流れているのだ。永遠に。絶え間なく。何が? どうして? なぜそれがわかるんだ? それを一番知らないでいるのが、作家なのである。 (古銭学を越えて)



生きることの苦痛は、生きることへの関心よりもはるかに強大だ。そう、そのために、いつも宗教が哲学を打ち負かすのである。 (古銭学)



永遠に夢みながら、常に一つの考えが頭にある。「どうやって仕事から逃れようか」。 (ロシア人)



あらゆる文学は無駄なおしゃべりだ… ほとんど全部… 例外は殺人的に稀だ。



2人の天使が私の肩の上に座っている。笑いの天使と、涙の天使。かれらの永遠の言い争いのテーマは、我が人生。 (トロイツキー橋で)



文学は、鷲のごとく空へと舞いあがった。すると、死んだ文学が墜ちてくる。今やもう完全にはっきりとしているのだ、文学が「探求さるべき目に見えぬ雹」などではないということは。 (透かし紙の裏側に)



笑いは何ものも殺すことはできない。笑いは、ただ締めつけることができるだけである。

忍耐が、あらゆる笑いに打ち勝つのだ。 (ニヒリズムについて)



ひっきりなしに何かをしている、なにか実行している…。 (ユダヤ人たち)



人生において活躍したいだろうか? 影響力を持ちたいか?

いや、特にそうはおもわない。
「きみたちのお母さん」(子どもたちへ)
そうして私たちは静かに生きてきた。一日、また一日。多くの歳月を。そしてこれが、わたしの人生の最良の部分なのだよ。 (1911年2月23日)



さすらい人、永遠に彷徨う者、そしてどこにいてもただ放浪者である。 (ルーガ~ぺテルブルクの車中、自分自身について)



誰が清らな心をもって地に降りてくることができようか? あぁ、我々にはいかに浄化が必要であることか。 (1911年冬)



運命が栄誉を奪い去った人々を、護ってくれるのもまた運命。 (1911年冬)

自己実現に興味もなく、あらゆる内的なエネルギーも持たず、「生への意志」もない。わたしは、もっとも実在的でない人間だ。

「なんだってお前は自分のことばかり考えているんだ。人のことを考えたらいい。」

「考えたくないなあ。」 (ペテルブルク~キエフの車中で)



何を愛してるっていうんだ、変わり者よ? 自分の夢を。 (電車で、自分自身について)



心が痛む、心が痛む、心が痛む…。

この痛みをどうしたらいいのだろう。わたしにはわからない。

だがこの痛みあってこそ、わたしは生きることを良しとするのだ。

これこそわたしにとって、わたしのなかにある、もっとも大切なもの。 (深夜に)



結婚、結婚、結婚について話しているのに…わたしのもとにやって来るものは死、死、死なのだ。



生きている間ずっと恐ろしいほど孤独だ。子供のころから。孤独な魂たちは、ひそやかな魂。ひそやかでいるのは、疚しいからだ。孤独であることの、恐ろしいほどの重さ。痛むのは、このせいじゃないのか?

これだけのせいではないが。


1年と半年ものあいだ、どうにか生きている。苦しい、悲しい。怖い。何ヶ月かの間、貨幣(古代の、観賞用)を取りだしていなかった。週にたったの50~80ルーブル稼いでいる。それでも書かれたものに対して関心がない。 (1911年12月16日)



終わってゆく、終わってゆく、人生が。止めることはできないし、時期を遅らせてほしいとも思わない。この状況におうじた意味で、すべてがどれだけ変わってきたことか。愉しみも満足もいまやどんなに欲しくないことか。お、どれほど欲しくないことか。気高さが享楽よりも甘くなる時期なのである。考えもしなかった。予想もしていなかった。 (1911年12月21日)



もしも誰かわたしに「開かれた墓陵の上で」賛辞をまくし立てるのなら、わたしは棺桶から這い出て平手打ちをお見舞いしてやろう。 (1911年12月28日)



賞賛に値する人間などいない。すべての人は、憐みに値するのみである。 (1911年12月29)


*ワシーリイ・ローザノフ(Розанов, Василий Васильевич; 1856-1919)。ロシアの批評家、思想家。性愛論でスキャンダラスな名声を博す。現代の作家では、ガルコフスキーが私淑していることが知られる。
日本語訳:『ドストエフスキイ論』(神崎昇訳、彌生書房、1962)

08 6月 2017

レオニード・アロンゾンの詩

あらゆるものの間に沈黙がある。ただそれだけが。
ある沈黙があり、別の沈黙、第三の沈黙がある。
沈黙に満たされて、それぞれの沈黙が——
詩作の網を紡ぐ材料となる。

ことばは、糸だ。ことばを針に通してほしい
このことばの糸で窓をつくるんだ——
すると沈黙はこの枠にはまって
ソネットのなかの網の目となる。

網目が大きいほど 中に絡み取られた
魂も拡がってゆく。
どんなに大漁だとて平気となる

どうやって漁師は 網に目が一つしかないような
巨大な網を
つくることができるだろうか!

1968

すべては顔——顔は顔
埃は顔、ことばは顔
すべてが顔。あの方の。創造主の。
「あの方」ご自身にだけ 顔がない。

1969

まだ朝の霧のなかにうかぶ
あなたのうら若き口唇。
あなたの體は神が投げ落としたもの
庭やその果実のように。

あなたの前に立ちつくす
頂上に横たわるように。
久しく青色が空色へと
変わってゆくあの山の。

これ以上の幸福があるだろうか、庭として
庭にあることより? 朝に朝としてあることより?
なんと嬉しいことだろう
一日と永遠を取り違えることは!

夜 橋と橋とがお互いに歩み寄る
庭も教会も色褪せてしまう 最良の金のおかげで
風景を通りぬけてベッドへときみは向かう きみだったのか
ぼくの生に 蝶のように 死んでしまうまで磔にされているのは 

1968

やれやれ、生きている。死人みたいに死に体で。
ことばは沈黙で充ち満ちた。
天が与えたもうた自然の絨毯
原初の絨毯は ぼくが丸めてしまった。

皆のまえにすべてが揃っている 夜ごとに
横になり それを凝っと見つめる
グレン・グールド――わが運命のピアノ弾きが
音楽記号を引き連れて演奏する。

ほら、悲しみのなかに慰めがある
だがその慰めはいっそう恐ろしい。
思考が湧き起こるが出くわすことはない。

大気の花、根はなく、
ほらほら、ぼくのおとなしい蝶。
こうして生が贈られた、だがその生をどうしたらよいのだろう?

1969年11月

なんと気分がよいのだろう、荒地にいることは!
神々でなく、人びとに見捨てられた場所。
雨が降る、美が濡れそぼつ
丘状に盛り上がった古い林の、美が。

雨が降る、美が濡れそぼつ
丘状に盛り上がった古い林の、美が。
ぼくらだけがそこにいて、他の人とは違う感じ。
あ、霧のなか一杯やることの幸せ!

ぼくらだけがそこにいて、他の人とは違う感じ。
あ、霧のなか一杯やることの幸せ!
飛んでいった葉の描く軌道を、
ぼくらはその葉を追いかけているのだという思いつきを、覚えておいてくれ

飛んでいった葉の描く軌道を、
ぼくらはその葉を追いかけているのだという思いつきを、覚えておいてくれ
誰がぼくらに褒美を与えてくれるのか、友よ、どんな夢の褒美を?
それとも褒美はぼくら自身が自分に与えるのだろうか?

誰がぼくらに褒美を与えてくれるのか、友よ、どんな夢の褒美を?
それとも褒美はぼくら自身が自分に与えるのだろうか?
そこで銃で自分を撃ち抜くには 何も要らない
心の重荷も レボルバーに火薬も要らない。

レボルバーさえ要らないのだ。神さまが見ておられる
そこで銃で自分を撃ち抜くには、何も要らないのだ。

1970年9月

空っぽソネット

誰が私よりも有頂天になって、君たちを愛しただろうか?
神が、君たちを、神が君たちを、お護りくださいますよう、神よ。
庭がたたずむ 庭はたたずむ たたずんでいる、夜な夜な
君たちも庭にいて 君たちもまた庭にたたずんでいる

してほしかった、そうしてほしかったよ、ぼくの悲しみを
あなたたちにこんなふうに、こんなふうに悟ってほしかった、手間をかけることなく。
夜の雑草の姿をした君たち その小川の姿をした君たち
この悲しみが この雑草がぼくらにとっては嘘となった

夜に侵入する 庭に侵入する 君たちのなかに侵入すること
眼を上げる 目線を上げること 空、空と
庭の夜を 夜の庭を 庭を 天秤にかけるため
君たちの夜の声が庭を満たす

ぼくはそちらのほうへ行く。顔は眼だらけ…
そのなかに君たちがたたずむために 庭はたたずんでいる。

1969


きみではないのか、柔さの上で気がふれて
駱駝の弛まぬ歩みをもって
すべての海をその岸となり通り抜け
夜の思考に吹雪かれたのは?

あれはきみのところにではなかったのか、一糸纏わず
武器も持たぬ天使が降りてきて
ユートピックな希望を携え
陶酔的な友誼をもとめてきたのは?

まさか海の知が
風のみ、潮騒のみであったわけではあるまい?
わたしはこの目でみたのだ。きみの天使が身を隠しもせず

ゆっくりともの想いに耽りつつ
自分の曠野、自分の分与地へ飛んでいったのを
きみの背信に顔を曇らせながら。

1969or70


*Леонид Львович Аронзон(1939-1970)。
V.クリヴーリンは、アロンゾンについて、「ヨシフ・ブロツキーのライバル」と言っている。