31 12月 2016

ロシア現代美術まとめ

今年自分に課したテーマ[①コスミズム界隈の地図を把握すること(ロシア思想の概略をさらうこと)。②ソ連崩壊前後(80-90年代)のアート、思想、音楽界隈の地図をつくること。③現代詩人リストの更新、訳の継続。]のうち、この記事では②についてさらっておこうと思います(ただし主に美術について)。

これに関しては自分一人ではとてもかなわなかった。10月頃だったかと思いますが、「鉄のカーテンの時代の反社会的なソビエトアート」というレクチャーシリーズの存在を知りました(確かtwitter上で本郷のMitteさんがリツイートしてくださっていたのだと思います)。7月に第一回があったようで、毎月第四木曜日に開催されています。講師はNadia Kozulinaさん、東京在住のグラフィックデザイナーの方です。私は11月の第5回に初めて参加することができましたが、内容と雰囲気を含めトータルで素晴らしかったので、毎回参加しようと心に決めました。

社会に出ながらどうやってロシアとつながり続けていられるだろう? という問いを自分に課しながらいろいろな形で試行を、この1年間やってきました。そのなかで一つのヴァリアントとして思いついたのが、「大学をもう一度やる(いま、ここで)」という発想です。正直、いまの制度としての大学には希望を見出せません。特に人文学は大学の中で肩身の狭い思いをすることを強いられている。そんな状況の中で自由な学問などあり得るべくもありません。そういった形で現れてくる大学の危機と、私自身のロシアとつながっていたい(そのための勉強を続けたい)という欲望が、「新しい大学」というひとつの妥協点を見つけたのだろうと思います。

ジャック・デリダは『条件なき大学』という本のなかで条件なく生じる、別の仕方であるような大学について語っています。「条件なき大学は、当の無条件性が告げられうるいたるところで生じ=場をもち、自らの場を求めるのです。この無条件性が、おそらく、(自らを)思考をうながすところならどこにでも」。デリダの考える大学は流動的で、開放的です。我々が大学に入る、のではなく、我々から大学が生まれる、または我々が大学である。荻窪からも上石神井駅からも遠いスペース「あなたの公-差-転」でこの「ソビエトアート」のレクチャーが開かれていますが、11月に初めて参加したときに、わたしは「これが、あの条件なき大学の場だ」と思いました。大学は終わってしまいつつある。それならば、もう一度自分たちではじめればいい。このレクチャーシリーズは、こういう考え方の上でも大きなインスピレーションをもらうことができる場です。そこでは参加者はみな床に座り、お菓子やお茶などを飲みながら、時に質問を投げかけつつ、時にくっちゃべりながら、講師の話を聞く。そこにはヒエラルキーが存在せず、ただただ自由な雰囲気があります。こうした開放的な相互コミュニケーションのある空気のなか、行われる勉強は、理想的なものに思えます。これは「大学」だ、そう私は思います。制度の以前の、学ぶことへの純な喜びが担保する場としての大学。

それはさておき、以下に今後どんどん更新する形で、アーティストのリスト・レクチャーメモ等をアップしていきたいと思います。
ロシア語での人名表記の後につけた★をクリックすると、参考画像を見ることができます。

投稿:2016年12月31日
最終更新日:2017年3月27日

※スペース「あなたの公-差-転」(杉並区善福寺)のHPはこちら→http://kosaten.org。レクチャーシリーズ「鉄のカーテンの時代の反社会的なソビエトアート」は全10回の予定。基本的には毎月第四木曜日の19:30から開催されるが、詳細はHPで要確認。
これまで/今後のレクチャー日程については、http://kosaten.org/sovietart/を参照してください。

30 12月 2016

ロシア思想2016

公開日:2016年12月30日
最終更新日:2017年3月27日

今年やりたかった勉強が3つあって、それは10月10日にツイートしているとおり→①コスミズム界隈の地図を把握すること(ロシア思想の概略をさらうこと)。②ソ連崩壊前後(80-90年代)のアート、思想、音楽界隈の地図をつくること。③現代詩人リストの更新、訳の継続。 というこの3つです。ここ半年はだいたいこの3つの目標に沿って、自分で自分に対して大学をやっていたのでしたが、今回はそのうち①ロシア思想のまとめ的なところの読書を総括するためにこの記事を書くことにします。

30 11月 2016

日本語で読めるボリス・グロイスまとめ(自分用)

2017年1月のグロイス来日に大きな大きな期待を込めて。自分用のまとめです。(以下、訳者の名前は敬称略とさせていただいた。)
他にご存知のものがありましたら、ご教授いただければ幸いです。

《書籍》
・『全体芸術様式スターリン』亀山郁夫・古賀義顕訳、現代思潮新社、2000年。
・『ART POWER』近刊(http://groysinjapan.tumblr.com/art-power

《その他出版物》
・「スターリンという様式」(古賀義顕訳):『総合文化研究』1号、東京外国語大学、1997年。
・「西欧の下意識としてのロシア」(楯岡求美訳):『現代思想』第25巻4号、青土社、1997年4月。
・「芸術のスピード」(秋山聰訳):『ヨーロッパからの8人』展図録、群馬県立近代美術館、1998年。
・インタビュー「ボリス・グロイスに聞く 全体主義とロシア」(聞き手・訳:貝澤哉):『批評空間』第2期第20号、太田出版、1999年1月。
・イリヤ・カバコフとの3つの対談(北川、貝澤、守屋訳):沼野充義編『イリヤ・カバコフの芸術』、五柳書院、1999年。
・「観客のインスタレーション」(清水穰訳):『イリヤ&エミリア・カバコフ 私たちの場所はどこ?』展図録、森美術館、2004年。
・「”子どものとき”を計画する」(籾山昌夫訳):神奈川県立近代美術館編『イリヤ・カバコフ「世界図鑑」:絵本と原画』、東京新聞、2007年。
・「生政治時代の芸術」(三本松倫代訳):『表象 05』、表象文化論学会、2011年。
・インタビュー「アメリカの外ではスーパーマンしか理解されない」(上田洋子訳):『ゲンロン1』、ゲンロン、2015年。
・「ロシア宇宙主義 — 不死の生政治」(上田洋子訳):『ゲンロン2』、ゲンロン、2016年。

《web媒体》いずれも2016年11月30日閲覧。
・「ユダヤの逆説、ヨーロッパの逆説:テーオドール・レッシングの『ユダヤ人の自己憎悪』によせて」(中澤英雄訳):初出は『思想』第806号、岩波書店、1991年とのこと。論文の初出は1984年、レッシングの著作に寄せられた論文。
・「新しさについて」(鷲田めるろ訳):金沢21世紀美術館建設事務局『Я [アール]』issue 02、2003年。
・対談「事を構える(ブリング・ザ・ノイズ):クレア・ビショップとボリス・グロイスによるディスカッション」(大森俊克訳):フィルムアート社サイト内『人工地獄』(クレア・ビショップ)関連ページ、2009年。
・「デュシャンによるマルクス、あるいは芸術家の2つの身体」(伊藤良平訳)、2010年。
・「賢人としての写真家」(河村彩訳):オンライン雑誌『チェマダン』第2号、2013年。
・「平等な美的権利という政治(1)」、TumblrアカウントROB-ARTs、2014年。
・対談「ニュー・インターナショナルかポスト・グローバルか?:ケイト・ファウルとボリス・グロイスとの対談」:オンライン雑誌『チェマダン』ブログ、2014年。
・(参考)「美学はどこへ行った?(2)」:ニューズ・ウィーク日本版サイト内の小崎哲哉氏の連載『現代アートのプレイヤーたち』よりグロイス紹介回。

17 10月 2016

ボリス・ルィジイの詩

おとこのこ

別離の痕跡をもとめて 手の爪をなぞる
春には林檎の木が花を咲かせる
ヴェスナ=春が鳴らすモノラル音声
犯罪者の符丁の響きが 不安を煽りすすり泣く

学校の机に座るようにして カード遊び
セリョーガ・Lが窓からおしっこする
このようにすべてが快い まるで明日
古い映画のように 戦争が始まってしまったかのよう



なんでもたくさんあった 音楽もいっぱいあった
映画館のチケット売り場にはほとんどいつもチケットがあった
赤い路面電車に乗るのは 癇癪持ちのフーリガン
どこともない場所へと向かう

音楽は少なくなった
乗客も。路面電車は車庫に入ったのだから。
それでぼくらも外へ出た 映画館から秋のなかへ
そして散歩したのです ながい

人生の並木道を。夏についての
映画だった、しあわせについての映画。だがふしあわせについてではなかった。
最後列には ビールと煙草。
ぼくは絶対に最前列には座らないだろう。



ロシアは 古い映画だ。
なにも思い出せなくても それでも
後景に老兵が
腰かけ ドミノをしている。

たくさん飲んでぼくが死んでしまったら
ライラックは風に揺れるだろう
それで永遠に 半ズボンを履いて
中庭を駈けまわる あの男の子は消え去ってしまう

白い眉の老兵は
甘いお菓子をポケットにしまうのだが
思うことになる どこに行った?と
それでぼくは最前景に出ていった。


*「ヴェスナ=春」:ソ連時代に発売されたポータブルカセットプレーヤーの名前。

Рыжий, Борис Борисович
из собрания стихов "...и все такое..."



06 8月 2016

アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤの詩

(わたしは戦争)

わたしは戦争。わたしはあいまいな現実の下僕を忠実に護る者。
忌々しい神が震えていた。貪欲な小鬼が神を嘲笑っていた。
年端のいかぬ兵士たちが恥を知らぬ空を撃つ
装填された指から。若者にとって死ぬことは易しい。

三島は何をみたのだろう、凡庸な太陽と鉄のなかに?
自分が殺したものから 狩人はいったい何を求めるというのか?
年端のいかぬ兵士たちが恥を知らぬ空を撃つ
装填された指から、捕えられた者たちの騒然たる煙。

ぶらぶらと通り過ぎてゆく恐るべき猛獣は退屈している。
忌々しい神は無防備、黄色いゴムのキューピー人形みたい。
誰が松葉杖にロリータ少女のストッキングを履かせてやるものか?...
誰がロリータの小さな脚を自分で覚えておくものか?

零(ゼロ)たちと尻の煙霧の分析者?
獄中の犯罪的な夢遊病者とポケットサイズの偏執狂?
コカインの王子様と危険なまやかしの鑑定人?
それともそうも考えられるような 不器用なハンバート=ハンバート?

暗闇のキャプテン。無神論者の絶対の零たち。
ピストルの淫売。殺された兵士たちの売春婦。
わたしの死んだ肉体は、醜悪な花嫁のよう、少佐の
美しい骸骨にぶらぶらと吊られ。そして地獄へまっさかさま。

私は十字架たちの花嫁。鉤十字の楽しげな太陽さん。
クンストカメラの女王、強制収容所の女所長、
現実を超えたキュレーター、私にとって死の恥知らずな明瞭さは
偽の芸術や現実の臆病な考えよりも好ましい。

黒い正方形、正方形、正方形どものかわりに
壁に人を、人を、人間を壁に掛けよ。
人間(蛆虫じゃなく!)(錫のお手製兵隊人形でもなく!)
わたし、これが好き、好き、好き

頭のおかしなキュレーター、キュレーター、キュレーター
斧の、または苦役の、悪魔的な友人
お手製の正方形の黒い地獄のかわりに
馬鹿みたいに古ぼけたフロックコートを着たマレーヴィチを吊るした...


*アリーナ・ヴィトゥフノフスカヤ(Витухновская, Алина Александровна、1973-)はロシアの女性詩人。1993年散文集『Anomalism』でデビュー。90年代に麻薬所持疑惑で二度逮捕されているが、その度に錚々たる文化人たちが抗議声明を出し彼女を擁護している。ヴィデオアートなども手掛ける。


15 7月 2016

ピョートル・パヴレンスキーインタビュー(2016)

ピョートル・パヴレンスキー(Павленский, Пётр Андреевич、1984-、当時のレニングラード生)はいまロシアで最も有名なアクティヴィスト=アーティストといっても過言ではない。パヴレンスキーはその行為の過激さで有名である。Pussy Riot支援のために唇を糸で縫ったアクション「縫合」(2012年)を筆頭に、裸体に鉄条網を巻きつけたり(アクション「屠殺体(トゥーシャ)」、2013年)、自分の陰嚢を赤の広場の地面に釘で打ち付けたり(アクション「フィクセイション」、同年)といった観る者にも痛みを抱かせるような自傷的行為を行う他、ペテルブルグの橋上でタイヤを積み上げて燃やし金属板を叩いて音を出すことでウクライナのユーロマイダンを再現する集団的アクション「自由」(2014年)などを行ったアーティストである。2015年にはロシア連邦保安局の建物のドアに放火した(アクション「脅威」)が、これがもとで逮捕・拘留された。裁判では有罪となり、約50万ルーブルの罰金が科せられた。

01 7月 2016

アレクセイ・パルシコフの詩

TSe湾の地震

エヴゲーニイ・ドィプスキーへ

朝、テントが私のうえに
倒れてきた そして感じた 地形が
雌鶏の鶏冠のように
引き攣ったのを

足下を砂が這い回り
水が入った洗面器が私目がけて斜めに飛んできた
靴の片足が私を跨いでゆき
もう一足は 曠野が試しに履いていた
私は気持ちが悪くなり 目が見えなくなった
どこにあるのだ 私がその周りで振り回されている
あの仮想の足場は?

水平線から 未知の都市がちらと浮かんで
消え失せてしまった

私はみた ひとが2人窪地に横たわっている
陰のかかった ぐちゃぐちゃの泥の上に
男のほうには 力強い肩甲骨
女には 珊瑚色の脚
一匹のキリギリスにそっくりだ この人たちは 一緒にいると
金色の窪地に座すキリギリスに
男は 震えながら女のなかで長いこと彷徨っていた
エネルギーが環になって散っていった
女の脚をもつ キリギリスだ

我にかえって 私は待っていた 砂は麻痺し
鎖を解かれた貨物列車は錆びてしまっている

雲はとぐろを巻き 瘤のよう
善き力が通っていった 沿岸部を
そして 再び己れを引き裂きばらばらになったのは
ヨーロッパのマント ポロニウムが
身をくるんでいたのだろうか? ドスン! グサリ!

私はどこにいるのだろう? 窪地のところに 丘がある。

大地は 円錐形なのだ
しかも切っ先に取り残されている
その切っ先は蛇のごとくのたうちまわる
希望は むなしい。
貨物列車は 加速しているようだ
その場ながら袋小路で踊り歩いた
二重螺旋が2つ
ひとの中 ほど近く遊んでいた

私は歩いていった 忘我の境地にある二人組から
離れて向こうの方へ、
だが 何百メートルか
行くと私は 脚までぞくぞくと
身震いを覚えた、
rabbitという単語が脳裏をよぎった、
魔法をかけるような胸騒ぎに
映画のように 輝きを放ったのは、
喪われし棲息環境だ、
ガチャガチャと音を立てたのは 喪われし鎖だ、
私たちと最下等の生き物を結ぶ鎖:
雷帝が震えた
ラマルクとトカゲどもを和解させて
大気が震えた
私たちと空虚を 司祭アヴァクームと
ニコン総主教を 和解させて
巨礫が 弁のように
身を震わせた。白黒映画が
ばらばらに壊れてステレオになるように
機械の震えのなかで
新しい座標が
喪われたものを 探り当てた。
キノコ採りの女のように もつれ合った
視界の道がパッとひらけて
変化を 私は手に入れる
ことほどさように 変化し得たのである。
私はアメリカを掠め盗ることもできただろう
あの楕円の頭を持つ牡牛を
ほの白い閃光になることもできた
ハンマーと金敷との狭間の。
諸時間と空間の狭間の
かようなハサミが 口をあけた
あらゆる僭称の
可能性を私は超越したのである
物体が結合しあって
私は 惑星じゅうの
視界の棲息環境となったのである
慄き、胸騒ぎ・・・

アゾフの青ざめた丘陵のうえで
我が偶像たちが煌めき
世界と反-世界の
恥辱に身震いした。
女友だちと教師たち
かれらは聖歌を口から漏らした
ブギウギのトレーナーたちは
その咽喉を震わせて言う:
「徴が崩れ去ろうが
我らの寝床に火がつこうが
鶏が三度呼びかけようが
凝っと動かぬままでいよう
脆い注射針で打った
ノヴィカインが効いているごとくに。
神よ、我らを扶けたまえ
この大地に踏みとどまることを」

海ちゃんよ、お前は針の上を渡り歩く
小ちゃな蜘蛛
ほんのちょっと すっと静まって
ほんの少しだけ 黙りこんでしまった

そして視神経が私の方へと差し伸べてくる
再び あの慄き震える男女の組を
すでに 風のせいでぶつぶつと呟きを繰り返す
ランプの灯りのうえで揺れる椅子の影と
彼らは同化してしまっているが・・・

盃が散り散りになってしまって
突くような揺れが収まり 暴風が静まったとき
私は再び あの者たちを目にしたのだ
さまよい歩く もう若くはない一組を
教会法に定められぬ神々か
あるいは解剖学の図表か・・・

風が その者らの防水ズボンから櫂を引っこ抜き
そして 南へ漕ぎ出していったのだった。



*アレクセイ・パルシコフ(Парщиков, Алексей Максимович、1954-2009)は、ロシア沿海州・オリガ出身の詩人。1980年代ロシアで、「メタリアリズム」(エプシュテインやケドロフによる命名で、パルシコフ、イワン・ジダーノフやウラヂーミル・アリストフなどが代表的詩人といわれる)を代表する詩人とされる。1987年、アンドレイ・ベールイ賞(詩部門)受賞。1991年にアメリカに亡命し、モスクワ・コンセプチュアリズムについての論文でスタンフォード大学の修士号を取得。1995年からドイツ・ケルンに住み、同地で死去。今回訳出した「TSe湾の地震」は、詩集『ガラスの塔』より、イラストレーター、エヴゲーニイ・ドィプスキーとの共作。


30 6月 2016

アヴェティク・イサハキャン(重訳)

(アレクサンドル・ブローク訳)

谷間に、サルノの戦さの谷間に、
胸に傷受け、従者が死にゆく。
傷は 焔のよう 闢いた薔薇の花だ
小銃が 手から落ちる

血に濡れた野に きりぎりすが鳴く
瀕死の眠りの抱擁のなか
死を遂げた従者は知る 眠りが誘う夢のなか知るのだ
故国が自由を手にしたと・・・

畑の夢をみている 風に穂がざわめく夢を
夢をみている ジャキジャキと音たて 大鎌が煌めく夢を
少女たちが穏やかに 干し草をかき集めている そして聞こえる
その声はみな 彼のことをひそひそ噂する・・・

サルノの谷の上 雲が鬱々とたちのぼる。
渓谷は涙に濡れた。
打ち倒された者の黒い瞳を啄ばむは
野に舞い降りた 一羽の鷲・・・



(ボリス・パステルナーク訳)

黙として ぼんやりと 亡霊のように ふっと
どこかへ突き進むは 私なる存在
霧ふかき夜の 忘却の海のごと
ただもの哀しい波の跳ねかかる音として
こころは現れる 夢のように 存在したり 失くなったり



愁いに沈み 私は歩いていた 低い山並みに沿って
恋なるおのれの宿命を 嘆きつつ
そのため息を 風がさらって行ってしまった くるくると回りながら
そうして羽根をばたつかせ 連れ去って行ってしまった 曠野へと

その時から 私の声が どこか遠いところから
ふとした時に 聞こえてくるのによく気づく
私のように 風は あなたの扉をたたく
だが 私のように あなたは疾風にも気づきやしない



*アヴェティク・イサハキャン:1875-1957。アルメニアの詩人。これは1915年の詩。詩中「サルノ」は、トルコ=アルメニアの山地にある地名だという。

27 6月 2016

リタ・ブミ=パパ*アフマートワ

リタ・ブミ=パパ「(私の死んだ女友だちと・・・)」(アンナ・アフマートワ訳)

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
街は口をきけない女の子たちでいっぱいになる
空気はひどい死の臭いに満たされて
要塞も白旗を揚げて降参する
そして 往来がみんな停まってしまう
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
たくさん見ることになる 胸の代わりに穴の開いた女の子を 
身には何もつけていない そして叫ぶのだ
「どうしてこんなに早く私たちを寝かしつけたの?
深い深い雪のなか、髪もとかさないで、眼は涙に濡れたままで」
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
吃驚したひとの群れは目撃する
私たちの縦列ほど 地面をふわりと叩く縦列はなく
こんなに神聖なる行進もなく
こんなに誇り高く血だらけの甦りもない
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
結婚の日の花のように 唇を蒼い月が染めるでしょう
虚ろな眼窩のなかでオーケストラが歌いだす
その巻き髪も リボンも 風にはたはたひらめいて
ああ その時たくさんの人が死ぬ 良心に引き裂かれて
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

*リタ・ブミ=パパ(Ρίτα Μπούμη-Παπά、1906-1984)はギリシャの女性詩人。

21 6月 2016

索引:Алфавитный указатель авторов

08 6月 2016

アレクサンドル・スキダンのテクスト

コンドラチェフ大通り(99年11月)


祖国の靄も
祖国も忘れた

前どんなふうだったか 覚えているか

お前は街を歩いていった
自由な市民

すべてが足りなかった

卵を求めてでかけていく
どうだ、心に覚えがあるか

ごろつき少年と薄く開いた目の
少女がたむろする腐った臭いの地下の酒場

素粒子の素早い動き
頭を仰け反らせて お前は飛んでゆく



フランス人を讃えたのだ
うわさが流れていった

血が泡立っていた
国際パスポートのよう

お前は頭を上げようとはしなかった
車窓をみつめながら

それは詩も同じこと
詩は二次的なものだ

草叢のなかの声のよう
声のよう

作りものの悲しみの
溶けたガラスのなかの



無用の死体
労働の斧

それからパスハ用のコップのような
なにか血をわけたもの

愛する女が長杖でこつこつ叩いて
鼻をひくひくさせる 老婆の臭いがするのだ

そんなふうに母国は言葉をつかい、悪臭をはなつ
話しながら 悪臭を放つ

まるで黒い新聞に載った
卑猥な「言葉」



抱擁の 清らかな塩
額の糸鋸

行かないでくれ
いくつもの お前の接吻

お前はもう 背に夜の歯のあるページの
釘抜きではない 放浪者でもない

焼かれている脳髄でもないし
御しやすい霧でもない

地の泥炭なのだ
かき分けて お前が横になっているあの地の

咽喉が咽喉を覚えておくようにしておけ
歯は 歯を 覚えておくように

あの噛みしめられた歯を


ロシアのダダイズムも
地獄も

愛されている
なにがしかの恐ろしいちからで

ポプロフスキーは床に横になっている
ネジになって 消えていってしまった空の踊り場が

少女のように 彼を誘惑する

家へ 家へ 空から
お前は帰ってくるだろう

あの子を迎えに走っていくだろう
そしてあの子に別れを告げるだろう

あたかもお前が突然韻律を好きになったかのようだ
悲劇の主人公のコートに包まれて


ロシアのダダイズムも
地獄も

悲劇の主人公のコートに包まれ
ポプロフスキーは床に横たわる
ネジになって。 消えていってしまった空の踊り場が
彼を誘惑する 別世界のように

愛された男が
なにがしかの恐ろしい力で

おれの すてきな 友よ
おれを 聞いているか?

大通りは飛翔した ガスを撃ちつけながら
お前はと言えば 下にむかって飛んでゆく 頭から


[註1:コンドラチェフ大通りは、現サンクト・ペテルブルグ市北東、カリーニン地区に実在する大通りの名称。団地や工場などが並ぶ。コンドラチェフは、革命後の内戦において名誉の戦死を遂げた兵士の名。]
[註2:文中「ポプロフスキー」について。ボリス・ポプロフスキー(Борис Юлианович Попловский, 1903-1935)はロシア語詩人。モスクワで生まれ、ランボーやフランスのシュルレアリスムに強く影響を受けた詩作を行った。1921年に父親とともにフランスに亡命。パリで死去。]

* * *

審判(INQUISITIO)



その人の後頭部から切り取られたのは、セグメント状のかけらだった。太陽も一緒になって、全世界がそこに目を向けている。これが彼をいらだたせ、仕事から気を逸らせ、さらには、まさに彼だけがこの見世物から除け者にされているということに、その人は怒りを感じているのだった。

まさにそのとき、その人は歴史の決定的瞬間に鉢合わせる。それはすべてに疑問符が附されたのだと感じられる瞬間であり、法、信仰、「国家」、来世と現世、つまりすべてがということだが、それらが何の労力も困難もなく非在へと崩落してゆく瞬間である。

メシアは、メシアがもう必要ではなくなってはじめてやってくるのであり、降臨ののちのある日にやってくるのである。単なる終わりの日に、ではなく、本当に本当の最後の日に。

その耳殻は、触れると生々しくて、ざらざらで、ひんやりしていて、みずみずしくて、葉っぱのようだ。

ただことばだけを与えよ、ただ祈りだけを与えよ、ただ嘆息だけを与えよ、そしてお前がまだ生きて待ってくれているという確信、ただそれだけを与えよ。いや、祈りはいらない、ただ嘆息だけでいい、いや嘆息でもなく、ただ存在だけを、いや存在も違う、ただ考えだけ、いや考えでもなく、ただ眠りのやすらぎだけを与えてほしい。(...)

*続きは以下のアドレスから。
https://note.mu/pokayanie/n/nbdf589a16ad9

* * *

※アレクサンドル・スキダン(Александр Вадимович Скидан、1965-)は1965年ソ連・レニングラード生の詩人。翻訳者としても活躍し、アメリカの現代詩や、ジジェク、ナンシー、ド・マンといったフランス現代思想の理論的な著作を多数ロシア語に翻訳している。「コンドラチェフ大通り」や「審判」の収録された2005年の詩集『赤の転移(Красное смещение)』で、翌年のアンドレイ・ベールイ賞(詩部門)を受賞。

06 6月 2016

ウラヂーミル・ブリチの詩

もしかしたら
世界は はじめは
白黒だったのかも

聾唖の自然が
色の力を借りて
ぼくらになにかのしるしをくれたのだ

それで ぼくらは
彩りのあるふぁべとをかき混ぜた
地面に
水に
空に 色を塗って
不思議はまだ 残ったままだ



明日になにを期待する?

新聞を。



そして バイオリンの国が
鍵盤で 埋め尽くされる

ヒューマニズム

バスは 人のいるところに来るのではない
バスは バス停にくるのだ



ロシアの10月は
変革の秋(とき)だ
雪は
血の滴が目立たせるため 降るのではない
花は
真新しい墓石を飾るためにあるのではない


眠りは
非在の甘い滴
死よ、おまえはどんなだ?


生きることは
閃光だ 盲人の
白状が パチリと点てる



夜 窓に映った 自分を眺める
そして 見える
自分がそこにはいないのが
そして わかる
わたしには存在しないことができるのだ




※ウラヂーミル・ブリチ(Владимир Петрович Бурич、1932-1994)は、ソ連の現シャフトィ市(ロストフ・ナ・ドヌー市近郊)で生まれ、ウクライナのハリコフで育った詩人。ロシア語による自由詩の草分けとされる。20世紀ヨーロッパ詩の翻訳も多数。平易な語彙と、ユーモラスな口調、俳句にも似た短いアフォリズム形式の詩を多く書く。マケドニアのストルガで死去。

31 5月 2016

TRIVAマニフェスト

TRIVAマニフェストを以下に訳出する。

TRIVA(ТРИВА)は、70年代終わりから80年代はじめという一年にも満たない期間、ノヴォクズネツクに存在したソ連最初の公認写真家集団。Владимир Воровьёв(1941-2011)、Александр Трофимов(1948-)、Владимир Соколаев(1952-)の3人からなる。グループ名は、メンバーの名前から取られた。

ドキュメンタリー写真を特徴とする。ソ連のあらゆる集団と同様、マニフェストを持っていたが、それについては以下に読んでいただける通りである。
作家がまったく手を加えない「純粋なドキュメント」にこだわるあたりが、デンマークでラース・フォン=トリアーが結成したドグマ95と類似しているということが指摘されている。

グループとしての活動期間は短かったものの、メンバー3人はグループ解散後もそれぞれ写真家としてのキャリアを歩んでいる。

近年でも時々ロシア国内外問わず、展覧会があり、筆者がペテルブルグに留学していた2013年にも「マニフェストTRIVA」という展覧会が現代美術ギャラリーで行われていた。

・メンバーの一人ソコラーエフ氏の写真はこちらから見ることができる。
・TRIVAについて、ソコラーエフ氏のサイトより。
・マニフェストの原文はこちらから。


* * *

写真の特性は、三次元空間での出来事をまったく申し分なく写真板の平面上に表現し、二次元的なコピーである「フォトドキュメント」をつくることができるという点にある。このようにして「出来事」と写真撮影との間に結びつきが作りだされる。「申し分なく表現する」ということこそは「写真」のユニークな特質であって、そのことによって写真は人間の歴史の中に物質化した「リアリティ」を保存する力を有した、理想的な道具となるのである。それに負けるとも劣らぬ「写真術」の第二のユニークな特質は、「時間」との特異な結びつきである。金属の上の「光」によって、統一的な光束の鋭敏な痕跡が焼きつけられる。シャッターの一押しによってこの跡は、露出の深さで、「永遠」から引き出されてくるのである。同時に、写真紙に映像を物質化させることによって、この「永遠」の痕跡が「現在」のこの空間において展開するのである。そして撮影して焼きつけられた出来事は、我々の関心を呼び起こし、「歴史」空間へと開けた窓を生にもたらしながら、我々の生へと流れこんでくる。写真以外の何ものも、瞬間を「永遠」へと変貌させるこのユニークな特性を有してはいないのである。一押し一押しのシャッターが、たゆまぬ「時間の流れ」を断ち切って「入り口」をつくり、撮影自体が存在しているあいだ、その「入り口」が開かれたままにするのである。このように写真術は「永遠」の内部での時間と時間とのつながりを保つ忘れ去られた能力を人間に返してくれるのである。

我々の写真は、焼きつけられた出来事を各々の生にもたらそうとする我々の個人的な決意の結果である。この焼きつけられた出来事によって、我々は各々の歴史を拡げ、選ばれた「永遠」の痕跡を付けくわえて、出来事や遭遇、現象へのオープンな「入り口」を自分の周りにめぐらすのである。この「存在」こそが、我々の空間と、我々自身をも、必然的に変えていくのである。

ここにこそ、我々の選択と責任とがある。

形態(フォルマ)の世界は、「統一性」のあらわれに過ぎず、その相互作用の点でまったく申し分ないのである。形態の発展を注視し、その相互作用の「法則」を見出すことによって、我々は「我々自身が何者であるのか」を認識することになるのだ。



30 5月 2016

ボリス・パステルナークの詩

2016年5月30日更新

他の人を愛することは 重い十字を背負うことだ
あなたはまっすぐに うつくしい
あなたの魅力の その謎は
生きることの 謎解きにも等しい

春 あの夢この夢が擦れちがい さらさらと音が聞こえる
知らせと真実のささめきも
そうした原理(アルケー)の族の生まれなのだ、あなたは
あなたの存在する意味は 大気のよう 欲にとらわれぬ

ちょっとしたことで夢から覚め 目を開けること
取るに足らぬ埃のようなことばを こころから払い落とすこと
そしてこれから先 埃で汚れぬよう生きること
こうしたことはぜんぶ 狡猾さとしては些細なものである

* * *

二月だ。インクをとって 泣け!
二月について さめざめと 書くんだ
ざあざあ とどろく みぞれが
黒い 春になって 燃えているうちに

馬車を呼ぶんだ。 六十コペイカで
教会の鐘の音を抜け 車輪の軋む音を抜け
あそこへ駆けていくんだ 激しい雨が
インクと涙よりもまだうるさく音を立てるところへ

焦げてしまった梨のように
幾千ものカラスどもが 樹々から
水たまりに落下し 目の奥底へと
乾いた悲しみを ぼろぼろ崩すところへ

その悲しみの下 雪の融けた地面が黒ずんでゆく
風は 悲鳴で ずたずた
手の向くまま だがそれだけ 誠実に
詩が さめざめと 書かれていく

* * *

詩人の死


嘘だと思った 「ふざけたことを」と思った
2人、3人 と言わず みなから
知らされることとなった。日付の止まった
詩の一行のなかで 同列に置かれていたのは、
女役人の家 商家
中庭 木々 そして 日差しのせいで
ふらふらになりながら 激高したかのように
「馬鹿ども もう決して
罪つくりに嘴を突っ込むなよ」と
叫びたてていた 木の上にとまったあのカラスたち。
そしてその日は
つい近ごろのことのよう。つい1時間前のような。一瞬だけ
前のような。隣の屋敷、隣の
垣根、木々、カラスの騒がしさ。
ずたずたになった引き網の網目のような
涙にぬれた断層が 顔のうえだけにある。

そんな日、無邪気な日だった、あなたが過ごした
昔の何十もの日々よりもまだ無邪気な。
ひとは群がって、我先にと列をなしたのだった
まるで銃の合図で 整列させられたみたいに。

魚雷の爆発があって もみくちゃになって
鯉やらカマスやら 排水溝から吐き出されたみたいだ
スゲの茂みに仕掛けられたネズミ花火が破裂する
結婚した者どもの嘆息のようだ

あなたは眠っていた 寝床を中傷のうえに広げて
眠っていた 動揺を知らず 静かだった―
美しい 22歳の男
あなたの4部詩が予言したように

眠っていた 頬をまくらにくっつけて
眠っていた 全速力で くるぶし全体を賭けて
もう一度 もう一度 跳びかかっていく
若き伝説の類列のなかへ

伝説のなかへ跳びこんでいくと あなたはますます燦然となる
ひと跳びでそれを達成したのだからなおさらだ
あなたの銃の一撃は 腰抜けどもを従える
エトナ火山のようだった

友らはといったら 口論に磨きをかけていたのだ
生とわたしとが 隣にいることさえも忘れて

でもそれからどうした? なぜあなたはそいつらを
壁に押しつけ 地上から抹消したのか? そして恐怖はなぜ
あなたの火薬を ただの塵だと偽るのか?

だがクズどもにはその恐怖だけが尊いのだ。
山と積もる議論があるとはいえ
虚弱の身にはあまりに速い
大きな出来事の奔流が
境界を越えて流れてゆかぬようするためだ

そんなふうに 低俗さが生活なる灰色のクリームを
練り固めて トヴォロクを仕立てるのである

* * *

*Пастернак, Борис Леонидович (1890-1960)

29 5月 2016

ロシアを読むサイト集

公開:2013年6月16日
最終更新:2017年4月13日

◆リアルタイム・ロシア
下の二つは、要チェックです。Coltaはロシアの、Calvertはロンドンベースのポータル。
・Colta.ru
http://www.colta.ru

・The Calvert Journal
http://calvertjournal.com

◆ロシア語学・言語知識のサイト
・Словари и энциклопедии на Академике(アカデミック辞書・百科事典)
http://dic.academic.ru/
ロシア語の専門辞書をあつめたサイト。ホームページから一括検索可。スゴい。

・Викисловарь(ウィクショナリーロシア語版)
http://ru.wiktionary.org/
Wikipediaの辞書版。単語ごとに変化表が全部載っています。辞書にないとき、変化に迷ったときに。

・Test your level of Russian online (Liden & Denz)
http://www.lidenz.ru/russian-online/online-test/
モスクワとペテルブルクにあるスイス系の語学学校Liden & Denzの公式ページより、ТРКИの模擬試験が受けられます。レベルは、ТРКИ-1。

◆文学・文化のサイト
・現代ロシア文学(北大スラブ・ユーラシア研究センター)
http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/literature/literature-list.html
北海道大学のスラ研HP内のページ。現代のロシア語作家について簡単な紹介や論考、抄訳が掲載されています。初見の作家について概要を知りたいとき便利!(最終更新は2010年)

・鈴木正美先生のwebサイト
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~masami/
新潟大学の現代ロシア文化研究者である鈴木先生のホームページです。

・文芸翻訳者向けキリスト教実践講座
http://yagitani.na.coocan.jp/kurihon/jissen2013.htm
翻訳における、キリスト教知識の実践的な運用方法を教えてくれます。『なんでもわかるキリスト教大事典』の著者八木谷涼子さんによる。

・Современная русская поэзия(現代ロシア詩)
http://modernpoetry.ru/
現代ロシアの詩が集まっています。

・Московский концептуализм(モスクワ・コンツェプトゥアリズム)
http://conceptualism.letov.ru/
コンセプチュアリズムに関する文献。 モナストィルスキー「集団行為」など。精度は保証できませんがなんと日本語訳も

・Lib.Ru
http://lib.ru
ロシアの青空文庫的なやつ。

・ВАВИЛОН(VAVILON)
http://www.vavilon.ru
ロシア現代文学・文化・思想のテクストデータベース。

◆通販サイト
・Ozon.ru
https://www.ozon.ru(インターナショナル版はhttps://ozonru.com
アマゾン未上陸のロシアにおける最大手の通販サイト。

・Ruslania
https://ruslania.com
ロシア関連の書籍・教材・CD・DVD・ギフト等を扱うフィンランドの通販サイト。

◆アーカイヴ系サイト
・Российская государственная библиотека
ロシア国立図書館(モスクワ)。ホームページ:htp://www.rsl.ru/
バーチャル展覧会(http://presentation.rsl.ru/)、電子資料の検索(http://search.rsl.ru/)。
その他、ナショナル電子図書館(http://нэб.рф/)、博士論文レポジトリ(http://diss.rsl.ru/)など、ロシア図書館のデジタルデータベース構築を先導している。

・Электронная библиотека на сайте РНБ(ロシア国立図書館(ペテルブルグ)のデジタル化資料コレクション)
ホームページ:http://www.nlr.ru/
デジタル化資料の検索(http://primo.nlr.ru/primo_library/libweb/action/search.do?menuitem=1&catalog=true)、バーチャル展示会(http://expositions.nlr.ru/)、そのカタログ(http://www.nlr.ru/exib/)。
webプロジェクトのページ(http://www.nlr.ru/res/webpro.htm)をみると、モスクワの方に負けず劣らずネット事業も非常に力を入れているように見受けられる。

・ロシア国立歴史パプリックライブラリー(モスクワ)のロシア未来派コレクション
http://elib.shpl.ru/ru/indexes/values/10040
その他歴史的資料のアーカイヴ。

・Ogon'ok (Google Books)(OGON'OK誌アーカイヴ)
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja#q=ogoniok&newwindow=1&hl=ja&tbm=bks&tbs=bkt:m
ソヴィエト時代からつづく有名な雑誌«Огонёк»のアーカイヴ。

・сайт-архив эмигрантской прессы (russians without russia. press archive)
http://old.librarium.fr
亡命ロシア人による出版物(新聞・雑誌)のアーカイヴ。

・Прожито.org(Prozhito.org)
http://prozhito.org
20世紀を生きたロシア人の日記アーカイヴ。

・Документы советской эпохи(ソヴィエト時代の公文書)
http://sovdoc.rusarchives.ru/
ソ連時代の公文書アーカイヴ。

・История России в фотографиях
https://russiainphoto.ru
写真アーカイヴ。

・プリンストン大学のソヴィエト絵本コレクション

・雑誌「ЛЕФ」アーカイヴ
MONOSKOPはアヴァンギャルド関係に強い、オープンアクセス時代のメディアアーカイヴサイトです(無料!)。ロシアカテゴリは→https://monoskop.org/Russia

15 5月 2016

ドミートリイ・バーキンインタビュー

ドミートリイ・バーキン(ドミトリイ・バーキン、Дмитрий Геннадиевич Бакин)は1964年生まれのロシア語作家。公に出ることを嫌い、作家について詳しいことはほとんど知られていない。写真も一枚くらいしか残されていない。実質的なデビュー短篇集『出身国』(1996)は、同年のアンチ・ブッカー賞を受賞したが、作家が授賞式に現れなかったエピソードは有名である。作家本人は、本職はトラックの運転手であるという姿勢を頑なに固持し、この濃度の高い異様な短篇集の他には、『死から誕生へ』(От смерти к рождению)という仮タイトルがつけられた長篇の断章と、幾つかの未刊の短篇(インターネット上で読むことができる)、そして死後に出た『転落について、破滅によって』(Про падение пропадом, ISIA Media Verlag UG, 2016)という未刊/未完の短篇・長篇やインタビュー、手紙、作家本人によるイラスト、批評家や研究者によるテクストが集成された本が遺されているばかりである。短篇集『出身国』はなんと2015年についに日本語になった(秋草俊一郎訳、群像社)が、その直後にバーキンの死が伝えられた。作家の手元に送られた日本語訳を作家が手にすることはついになかった。

以下に訳すのは、前述の『転落について、破滅によって』にも収録されている、バーキンが生前に遺した唯一のインタヴューである。もっとも、記者がバーキン本人に面会することはなく、やりとりは手紙でなされた。

(*ちなみに日本語版『出身国』は2015年12月時点で、400部売れただけという・・・(参考)。河出のソローキン買うお金を群像社に!)

* * *

ドミートリイ・バーキンインタビュー

2008年@『VZGL'AD(ヴズグリャート)』誌
http://www.vz.ru/culture/2008/8/3/192512.html

*文中[]内は、訳註である。

ドミトリイ・バーキンは、最も奇妙で謎多い現代ロシア作家の一人である。15年ほど前、バーキンは薄い短篇集一冊を「鳴り響かせ」たが、その本は好意的な批評を得るとともに、ヨーロッパ諸言語に翻訳された。

すでにその頃にはバーキンは公に出ることを敬遠していた。『OGON'OK(オゴニョーク)』誌の叢書のなかで出版されたバーキンの最初の作品集(この叢書は赤い小口の白い小冊子で、カバーに必ず白黒の著者の写真があったことを覚えていますか?)は、顔の代わりに風景が印刷されて世に出ることとなった[1991年に出版された短篇集『鎖』のこと。『出身国』にも収録された3篇が初出]。

バーキンの短篇を寄せ集めた2つ目の本はリムブス・プレス社から出たが、見本刷りの段階からすでに写真が掲載される見込みはなかった。この閉鎖性は、それがイメージの一部分となってしまうようなペレーヴィン的[ロシアの現代作家ペレーヴィンも、戦略的に著者の顔写真を公にしない姿勢で有名]なものではなく、書くことを好みながらそれを本職とはしなかった人間の自然な要求だったのである。

その後バーキンは完全に姿を消した。彼が長篇を書き上げつつあると明らかになったのは、つい最近のことである。小品だが、とても重要な作品であり、『死から誕生へ』という仮タイトルがついている。この10年間で初めての作家へのインタヴューは、インターネットを使わないバーキンが本誌に手紙で回答したものである。電子手紙ではなく、普通の手紙であり[ロシア語で言うe-mailを直訳すると「電子手紙」となる]、質問に対する回答はバーキン氏が直筆した。


どれくらい長く執筆されているのでしょうか? 書かれたものは手元にたくさんあるのでしょうか(出版された短篇集や長篇からの断章を除いて)?

最初に出版された短篇は22か23年前に書かれました。正確に申し上げることはできません。というのも書かれたものに日付を書いておく習慣がなかったからです。その短篇もすぐに出版されたのではありません。今のところ、必要だと私が思ったものはすべて出版されました。執筆中の長篇がどれくらいの分量になるのかは、わかりません。でもまぁ、多くはないでしょう。

なぜ書くのに時間がかかるのでしょうか? 書かれたものを校正したり書き直したりなさるからでしょうか、それとも何か他の理由があるのでしょうか?

自分が書くのが遅いということには、人生の25年を捧げた自分の本職から離れてはじめて自覚しました。あの頃は、そもそもまったく書きませんでした。たいてい休暇とか休日に書きものに取り組んでいたのですが、書かれたものを校正したり書き直したりといったことはいつもたくさん行っていました。

あなたはご自身のために書かれているのでしょうか、それともある仮想の読者のためにでしょうか? あなたにとって、テクストが他の人に対して公になるということはどれくらい大事なことなのでしょうか?

個人的には、人はみな最初はまず自分のために書くのだと思います。たしかに私にとってその人の感想が大切な人たちというのはいますが、わずかです。ですがまさにその人たちが適切な時に、私によって書かれたものが出版されるように強く言い張ってくれたのです。仮想的な読者について、もし考えるならば、私はよく考えるように努力しています。テクストが他人に公になることが大事なことだなどとは、私には言えません。

他の作家や詩人とは交流がありますか?

たいへん稀です。

職業共同体の中に根を下ろして在籍していることは、書くことの一助になると思われますか、それともまったく反対に、書きものから遠ざけてしまうと思われますか?

作家の職業共同体の中にいたことはありません。他に職業があったからです。ですがこう思います、作家共同体の中にいることがもし書くことの助けになるとしたら、こんな場合だけのことでしょう、つまり当のこの連盟の風習を描写することを目的に置く場合です。私の考えでは、書くことの助けになるものとは、煙草であり、餓えであり、冬、そして冬の雪なのです。絶望が助けになるという人もいるということは知っています。

あなたにとって書くことはなにを意味するのでしょうか?あなたはご自身の生を記録し、大事なことをことばに表そうとし、説明しようと試みてらっしゃるのでしょうか?

書くことは、自分の登場人物の道を行くことであり、その登場人物たちの宿命を紙の上に定着させ、そして形に留めようとしているのは、[生ではなく]思考です。自分の生を描写することは、まずないでしょう。このことを利用して何かを説明することが可能なのかどうか、私にはわかりません。そもそも説明する価値があるのでしょうか?

長篇と短篇、どちらのほうが着想および執筆するのが難しいですか? どちらのジャンルがより成り難いでしょうか?

より価値があるのは、より良く書き上げられたものです。当然、多くの長篇にも勝る短篇もあります。そのよい例が、ユーリ・カザコフの作品です。私にとっては、長篇を書くほうが難しいことです。これを始めて以来、より頻繁に、頻繁に、「これは私のためのジャンルではないのだ」という考えが浮かんでいます。時おり、私は内臓を紙の上に移植する作業に取り組んでいるのだと思われるまでになります。そんな時にはいつしか私は書くのをやめてしまっているのです。これは作品の構想が熟し、十分明晰なものになるのと紙一重です。おそらく私のジャンルは、なにはともあれ短篇であるようです。それとも、9年間ずっと私がそもそも何一つ書かなかったということが問題なのかもしれません。

いまあなたは長篇を書いておられます。テクストが終わり、[これ以上]修正を必要としないとわかる瞬間は、どのようなものだとお考えですか?

すべては、あなたに残された時間にかかっています。私は章ごとに長篇を書いています。私の考えでは、ある一章を書き上げたら、2〜3ヶ月寝かせつつ先を書き、そしてまたこの章に戻ってくるのがいいと思います。そうしたら書かれたものを多くの点で違う受け取り方をするでしょう。まるで、今なら違うふうに振る舞うだろうと認めながら、過去の自分の振る舞いを思い出すように。何かにおいてやり直している時には、これだけのことでもやり直せる可能性を手の内に持っていることが嬉しくなってしまうものです。なぜならそうした[やり直しの]可能性というものを人生は与えてくれないからです。そして作家にとって文学とは、生よりも惜しみなく与えてくれるものなのだということが理解できるのです。

あなたは思いつくままに書くのでしょうか、それとも明確なプランがあるのでしょうか。

何かを書こうと準備しているときには、プランは必要だと思いますが、明確なプランを持っているなら、純文学には携わらない方がいいと思います。必要不可欠な明瞭さに欠けるような仕事があり余るほどですから。

その人の作品を目標とするような、あなたにとって参考例であるような、お好きな作家はいますか?

とてもたくさんいますし、たいへん雑多な作家たちです。ところで、赤の他人が書いた作品を一体どんなふうに目標にしていけるというのでしょうか、私にはわかりませんが。作家について言うならば、ムージルとアストゥリアス、ブーニンとフォークナー、トマス・ウルフとユーリ・カザコフ、サン=テグジュペリとガルシア=マルケス、プラトーノフとカミュ、[クヌート・]ハムスンとメルヴィルです。それとドストエフスキーですね、われわれ皆の先駆としての。

* * *
本文は以上だが、末尾にバーキンが挙げていた作家たちについて少し解説します。
・アストゥリアス、ミゲル・アンヘル:ラテンアメリカ(グアテマラ)。マジックレアリスモの草分けとされる。『グアテマラ伝説集』、『大統領閣下』など。
・ブーニン、イワン・アレクセーエヴィチ:ロシア→フランス。ノーベル賞を初めて受賞したロシア語作家。短篇で有名。
・トマス・ウルフ:20世紀アメリカの作家。日本ではほとんど絶版になっているが、『天使よ故郷を見よ』などの翻訳があった。
・カザコフ、ユーリ・パーヴロヴィチ:ソ連の作家。短篇で有名。日本語訳では、文学全集等に掲載された短篇が数作ある。
・プラトーノフ、アンドレイ・プラトーノヴィチ:ソ連の作家。この人もバーキンに比肩する異形の文体の持ち主である。『土台穴』、『チェヴェングール』など。岩波から短篇集もある。プラトーノフの短篇を原作としたソクーロフ監督の『孤独な声』もある。
・ハムスン、クヌート:ノルウェーのノーベル賞作家。『ヴィクトリア』、『餓え』、『土の恵み』など。

08 5月 2016

アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー

2016年は「映画の年」とのことで、ロシアでは文化省主導で色々な催しがあります。以下に訳出するのは、「映画の年」公式HPに掲載されたアレクサンドル・ソクーロフ監督のインタヴューです(元記事は、「イズヴェスチヤ」紙の2016年3月16日の記事)。新作『フランコフォニヤ』(Франкофония; Francofonia)の日本公開が待たれます。

アレクサンドル・ソクーロフ:「啓蒙の道を拒絶したとして、ロシアがより良くなっていただろうなんて私は思いません」


ソクーロフ監督の『フランコフォニヤ』が公開された。ロシア国内40以上の町からの観客が、この映画を鑑賞した。実話に基づくフィクションといった趣のエッセーのなかで、監督はヨーロッパとロシアの宿命について論じている。「イズヴェスチヤ」紙の特派員、E.アヴラメンコがソクーロフ監督にインタヴューした。
[訳注:S*はソクーロフ、A*はインタヴュアー(アヴラメンコ)]


A*監督、あなたは『フランコフォニヤ』がロシア国内で公開されることを危うんでおられました。ところがいま、この映画はロシア全国150の映画館で上映されるだろうといわれています。


S*いまのいままで『フランコフォニヤ』がどこで公開されるのか、全体図を知らないままなのです。ヤロスラヴリでもカフカス地方でも極東地域でも北方でも上映されるのでしょうか? 疑わしいですね。「シネマ・プレスティージュ」社の代表たちは、このことについて詳しく話してくれませんでした。もしそういう情報が同社から届いたなら、ありがたいことです。私はただ一組の上映について知っているだけです、3月17日にはモスクワでプレミア上映があります、それは知っています、招待されたのですから。でもいま私は大変厳しいロシア東部への出張旅行から帰ってきたばかりで、とても疲れています。休息を取らねばなりません。またすぐ旅行の予定もありますし。

先だって[編注:ペテルブルクの映画館である]「アヴロラ」での上映に出席したのですが、上映は大成功でした。満員御礼で入場できなかった人もいたくらいです。しかし自分をごまかしはしません、何回か上映を重ねていくうちに観客の状況が変わることもあり得ると知っているからです。『フランコフォニヤ』のような映画は、大規模上映に適しているとは言い難い。私たちには、この映画の全国上映を保証してくれるような映画館のシステムがありません。映画館のネットワークはすべて、アメリカの上映ネットワークの一部であって、ロシアの国産映画がこのシステムのなかに入り込めるとしたら、偶然か何らかの温情に依るしかないのです。それから、こういう種の映画の上映が成功するか否かは、全連邦ネットのテレビ番組や大部数の新聞を掌握している広告会社の規模にかかっています。そしてこのためには、資金が必要なのです。「シネマ・プレスティージュ」のような小さな組織にいったい金があるのかどうか、私にはわかりませんが、わたしは同社にほんとうに感謝しています。


A* 展覧会をみるための行列から始まって、大きなスクリーンで美術館についての映画がいくつか上映されるに至るまで(諸相ある)「美術館ブーム」について説明できることはありますでしょうか。


S*展覧会の行列の動員数は、とてもフォーマルな指標です。この問題に取り掛かるならば、興味を示してきたこの人々がいったいどんな人々なのか理解する必要があります。わたしは確信していますが、この人たちは若者ではありません。そうではなくて、政治に疲れ果てた中流階級の老年層であり、そして当然、その内90パーセントは女性なのです。実際には、騒ぎを招いたいくつかの出来事がこのように着目するに値します。たとえば、セローフ[ワレンチン・アレクサンドロヴィチ、1865-1911;肖像画で知られる画家]の展覧会ではポートレートが展示されていましたが、いまの芸術家なんていうのは肖像画など好きでもないし描けやしないのです。何でもいいですからペテルブルクの現代絵画の展覧会に行ってごらんなさい。「マネージ」[「ペテルブルグ20〜21世紀美術館」のある建物の名称]でも「芸術家連盟」[1940年代には前述のセローフが理事長を務めた]でもいいですが、肖像画は最小限の数しかないのをあなたもご覧になるでしょう。


A*映画の中で、監督はよくフランス人のあまり知られていない肖像画に観客の注意を釘づけにしますね。


S*私の前に立ちはだかっていたもっとも困難な課題の一つが、取捨選択ということです。芸術作品は数百万もあって、それぞれにそれぞれの堂々たる来歴があり、それぞれの魅力があり、それぞれの神聖なる沃野があります。その中からほんの数十点を取捨選択しなければいけなかったのです。そしてこの選択は、自分の美術館との個人的な付き合いの結果であって、芸術研究者の権威がもたらす結果ではありません。私にとって大事だったのは、観客の注意をフランス人の肖像画にすぐに惹きつけてしまうこと、そのまなざしと触れ合わせることだったのです。フランス人というのは、とても難しい民族です。開けっぴろげで、(これはそんなふうにロシア人の目にはそう見えるのですが、)内に秘めた誇りと、それからおそらく高慢さを持った民族です。ドイツではどんな将校も英語を知っているとすれば、フランス人は一般的に自国語でしか話さないのです。フランス人は特別な民族で、自分たちが特別であるということを感取してもいる民族なのです。フランス人が描かれたキャンバスの中の顔をいくつもじっくり見れば、このことの根が理解できます。


A*『フランコフォニヤ』のなかで、監督はフランスとドイツを姉妹だと呼ぶことで、メンタリティの親近性について問いかけています。ロシアに関して言えば、この「姉妹」は、ある程度野蛮人の国を見るような目をロシアに向けてきます。でもロシアだってヨーロッパの一部ですよね?


S*当然ロシアも「姉妹」のうちです。ただし妹のほうで、ヨーロッパの兄たち、姉たち[訳注:この言い回しにはスターリンが大祖国戦争への参加を呼びかけた有名な演説(「兄弟たちよ、姉妹たちよ!」という呼びかけから始まる)が響いている]が都市の建設や、非宗教的な世界の考え方を教え込んだ学問や芸術の発展を助けてくれたのです。ピョートル大帝がロシア人の意識を欧化しなかった場合のロシアのことを想像してみてください。啓蒙の道を拒絶したらロシアはもっと良くなっていただろうだなんて、私は思いませんね。

しかしこのロシアという「妹」にはこれほどの独特な気質があり、これほど離れたところに居を構え、これほど忍耐強いわけで、それはロシアがヨーロッパ一家の親戚だとは考え難いほどなのです。北国では生の意味の感じ方が異なります。自分の領土のために戦おうという覚悟は、国の名誉の代償に実に多くの命が散らされる結果を招いており、ヨーロッパ共同体をショック状態に陥れているのです。ナチス・ドイツはソ連領域を侵攻しながらも、ソ連兵やその住民の偏執狂的で苛烈な抵抗を理解できなかったのです。

ナチスとフランスの住民との関係は、別のしかたで成り立ってゆきました。多くの理由がありますが、一つには占領地域にやってきたドイツ将校の大部分はフランス文化を愛し、フランス語を知っていたからです。ドイツとフランスにとっては、映画の中で言われているように、同じカフェに腰を据え、同じカップからコーヒーを飲むことができるのです。


A*映画にはいくつか対立がありますね。「開かれた都市」パリと、閉鎖されたレニングラード。一方には平和な生の雰囲気があり、他方には封鎖[訳注:1941〜1944年の間にナチス・ドイツが行ったレニングラード封鎖]の悲惨な雰囲気があります。ルーヴルとエルミタージュ。『フランコフォニヤ』は『エルミタージュ幻想』を継承する作品なのでしょうか?


S*まったく違います。この『フランコフォニヤ』はまったく別のあらすじ、縮図、思索、中身なのです。ただ作者が同じだけです。ペテルブルク中の何よりもエルミタージュを愛しているのですが、このことを私は『フランコフォニヤ』の中で認めないわけにはいきませんでした。第二次大戦をテーマにした映画の中で封鎖の時期に目を向けないならば、それは私からすれば誠実ではないことになったでしょう。あの時期を私はじっと見つめています、多くの場合に街の価値が死者の数で、その地面に眠る死者の数で計られてしまうこの街に、私は住んでいるわけですから。


A*映画の中にはレジスタンス運動へのほのめかしもありませんが、1940年代のフランスの若者たちはドイツ音楽に関心を向けていたと言われています。こういった考え方は、西欧のプロデューサーたちの方からの圧力を呼んでしまうようなものだったのでしょうか?


S*私はいつも、自分がよく知っているプロデューサーたちとしか仕事をしません。トーマス・クフス(ドイツから)、ピエール=オリヴィエ・バルデ(フランス)と私とは、美学的・倫理的な立場においてだけでなく、職業的な原則の点でも一心同体なのです。 総合的なプロデューサーの役を務めてくれたのはフランスでした。フランスには、世界で一番厳しい著作権保護の規準があって、すべてが監督の利益を守るように動いてくれるのです。ですが何より大事なのは集まってくれた人たちの信念です。

プロデューサーたちは、この映画がフランスの報道では厳しいリアクションを呼ぶだろうと予想していました。しかし私はずっと繰り返して言っていたのです。「私たちは政治評論的な作品やドキュメンタリー作品を作らないようにしようじゃないか」と。これは歴史的な感覚、または歴史の感覚を芸術的に把握する試みなのです。私は裁判官でも弁護士でもない。けれども私にとって、一人の人間として、重大なことは、世界の美術館が一つとして、どんな脅威にもさらされないでいて欲しいということなのです。


A*登場人物の一人として、あなたは『エルミタージュ幻想』と『フォランコフォニヤ』の中でそれぞれ別のしかたで登場しています。『エルミタージュ幻想』ではフレーム外からコメントを加える慎重な声だけでしたが、『フォランコフォニヤ』の中ではとてもわかりやすい形で他の登場人物の生に介入しています。


S*すべて、とても簡単に説明できます。言い知れぬ力が、魔物があまりにも私の方に近づきすぎたのです。私は、世界文化の一部です。文化は、私の生そのものなのです。そして美術館は私の所有物です。とても個人的な、世界共通の人としての権利によって私に属している所有物なのです。


A*『フランコフォニヤ』世界初上映の前夜に、「イスラム国」[編注:アラビア語名ダーイシュ、ロシアで禁じられている組織、訳注:いわゆるISIL]による文化遺産の破壊行動はピークを迎えていました・・・。


S*私は、すべてがここに帰結するだろうということを、完全に確信していました。イスラーム世界の世論の内部に強大な軋轢が存在することは、何十年も明らかでした。イスラーム世界には、拭い去りがたいイデオロギーがあります。キリスト教世界や民主主義国家にはないものです。私はつい今まで東アラブにいて、これを確認できたように思います。

目的達成のための手段の点で、私は「イスラム国」とボリシェヴィズムを比べてみたいと思います。この[「イスラム国」の]狂信者たちは生きたまま頭を切り落としていますが、ロシアの狂信者たちは1917年に司祭たちを生きたまま穴に突き落として土で埋めていたのです。地面は何日間か震え続けていました。自分たちのムスリム国家を組織したいというこの新しいボリシェヴィキたちの欲望は、自分たちを取り巻く世界のすべてが、彼らのシステムとか信念とまったく異なるというところから来ています。イスラーム世界との関係においては、旧世界とアメリカがそれ相応の暴力をもって反応するということは予想のつくことです。この反応は極めてラディカルで、革命的なものであるという感じがします。


A*『フランコフォニヤ』の挿話の一つで、カメラが長いことエジプト美術展示室のミイラに見入っていました。文化の最良の形を「缶詰にして貯蔵する」という美術館のやり方が、はっきりとこのミイラと呼応する関係を成しています。美術館には聖なる役割というものがあるのでしょうか?


S*私にとって死とは「もう決して」ということばと同じなのです。私は「もう決して」この人と会うことはないでしょう、とか、「もう決して」あの人の手に触れることはないだろう、ということです。確かに夢の中で死んだひとと交信するひともいますが、私にはそういうことは起こってきませんでした。そもそも私はまったく夢を見ないのです、それは私には関係のない生命の空間なのです。それにもかかわらず、私が映画という芸術の中で何かを尊重しているとすれば、それは映画の詩的で、夢を見させるような本質なのです。

ミイラは、時と時のあいだにかかる独特な橋であって、想像力を揺れ動かし、絶対的な腐敗などないのだということを証明してくれます。ミイラからひとの顔を復元することができますし、将来的には、死人そのものを、あるいは死人の人生の何かしらの瞬間さえも物質化させることができるようになると思います。つまりは、過去というものがなくなり、現在だけが残ることになるでしょう。

芸術は過去が並行して存在することを示し、過去に触れて感じることを可能にします。芸術には、すべての人々が一つの家族だと感じたり、お互いのお互いに対する責任を自覚させてくれる大いなる可能性があります。美術館の関係者が、「美術館の主要な任務は保存することである」と考えているのは、故ないことではないのです。何回展覧会を行うかではなく、どれだけ保存するかなのです。これは正しいことです。なぜなら他のどこにもそんなところはないですから。

(了)

04 3月 2016

あらゆるテクストは読まれないことについて、誤配、その幸福と潜在的可能性

「多文化の海をおよぐ」のディスカッションで、私はバイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』をもとに、「我々は本を読めていないという可能性をいつも念頭におくべきだ」というテーゼを発することに、成り行き上なったのですが、これに対し来場されたNさんから質問があったように、テーゼ自体誤解を招きやすい、誤配されやすい言い方でなされていたことについて、内心ほくそ笑みながらも、それでもことを明らかにしておく必要はあると思った。だからこうして書くことにするのですが、それではことばは読まれることはないということをことばによって一体どう言い表すことができるというのか。一つの逃げ道として、いくぶん楽観的に「あらゆるテクストは明日読まれる」という言い方をしたら、より、なんというか、ポジティヴな誤配を招くことになるのではないかと思う。あらゆるテクストは、明日読まれる。あるいは読まれない。われわれは読書をする。「読んでいる」「読み終わった」と、軽い仕草で言い立てる。どう、それが可能だというのか。私にはあらゆるテクストの、あらゆる細部を記憶することはできない。常にテクストは、いまここにしかないものであって、そのいまここをわれわれが逃すや否やそれは記憶にかすりもしないばかりか、引っかかりなどなおさらせぬまま私の視覚を通過するだけで、テクストは常に読まれないことになる。それは読まれたが、読まれることなどなかったかのようだ。あたかも、私は読んでいる。「読んでいる」という時、私にとってそれは比喩の上での出来事に過ぎない。

「世界文学」が俎上にある時、問いは例えば「翻訳文学」をめぐる問いかけと同義になるのかもしれず、2月27日のパネルディスカッションはまさにそれについて、つまり翻訳という主題にわれわれは立ち入ったのだった。それはあらゆる誤読と誤配、間違い、読まれなさの巣であって、つまり私が読んでいるこの「翻訳されたところのもの」は一体何者なのか。A語からB語に翻訳される際に100%の転移など不可能であるという事実はあえていま言うに及ばないが、仮に例えば短い詩か何かがあったとしよう。それはA語で(a,b,c)という三つの単語からなる。奇妙な偶然で、B語には、それら三つの単語に対応する単語はそれぞれあり、しかもそれはA語由来でB語に取り込まれた単語だ。だからA(a,b,c)→B(a1,b1,c1)という操作は、一見妥当に、外見上は、思われる。しかし語学学習が永遠の辞書引きと同義であるように、ある言語を学習するという経験は、一つ一つの単語に関してその語の「意味圏」とでも言えるようなゾーンを確認し、実践し、策定していく作業に他ならない。自分自身の言語習得の過程から、式A(a,b,c)→B(a1,b1,c1)において両項をつなげる記号が「→」であり「=」でないということは深く頷けることだと思う。A語における単語「a」(例えば英語のmeeting)の意味範疇が、B語における単語「a1」(例えばロシア語のмитинг=míting)のそれとかけ離れている、とは言わぬまでも大小なりともズレてしまっている事態は、ままある。翻訳者は常に誤読される。文章は、言葉を超えて届きはしない。ここにおいて翻訳の良し悪しとか、よく言われる「美女と醜女」問題などほんの技術上の問題に過ぎない。そもそも読まれはしないのだから。

しかしその事情とて、私が単に日本語で日本語を解する人向けに、ひとまずは宛てて書いているあらゆる文章でさえ変わらず、とすればあらゆるテクストは常に誤解され、誤配されているということは可能だ。私の文章としてのテクストは、私の思考としてのテクストを100%再現できるわけでもないし、そもそも思考そのものの茫漠とした掴みどころのなさについて、しばしば言語化すること自体の無謀さが言われる(「語りえぬことについては沈黙しなければならない」)。

だからといって、絶望するにはおよばない。誤読は、常に新しい可能性の招来である。ならば、「不読」=読まないこと、テクストの読まれなさこそは、「可能性」とか「選択」を常に超え出るものであり得る。バイヤールは大学での授業の例を挙げる。そこではしばしば課題図書を読んでいない学生が、より大胆に本質的な問いかけを教師に投げかけることがあるという。そうした言い方はいささかオプティミスティックに過ぎる感はあるにしても、読まれないことの可能性の一つを示す例にはなる。バイヤールが提示する〈内なる書物〉という考え方は、人は誰でも自分の慣習・文化の伝統・歴史の継承などから編纂されたある種の〈書物〉を内に秘めている(仮に〈書物〉の形をしていると想定したとして)という事態を指し示す。人が本を読む(と思い込む)とき、それはテクストと〈内なる書物〉との相互干渉の中で起こる作業なのであり、新しいテクストは〈内なる書物〉との比較の中で読まれる。あるいは、比較の中でしか読まれない。〈内なる書物〉のコンテンツは、ある意味非常に根源的な「生・死」や「愛」、「家族」、「土地」などのテマティカを有していて、それとの比較で読まれる(あるいは読まれない)とき、未知のテクストに関わる問いは必然的に根源的で本質的なものとなる(はずだ)、とバイヤールは言う。テクストをめぐる問いは、私によっていまここで初めて出会われたテクストから発するものではなく、私のうちから、つまりテクストにとって未知のところから投げかけられるものになる。とするならば、いま出会われたテクストは、完全に未知の、〈外の〉経験と対峙することになる。それはテクストから発しはしない経験である以上、すでにそのテクストの「可能性」と「選択」を完全に超え出ている。読まないことは、テクストが拓く可能性やテクストが提示する選択肢の延長線上にあるものではない、2次元を生きる蟻にとって3次元からやってくる人間の足のように、それは予告なしにやってくる。(そして読まれない本について語ることは、つまりあらゆる読書についての会話は、「本」についての会話ではなく、本をめぐる自分自身のことだとか他の人のことになる。それは自然で望ましいことだ。バイヤールは言う:「大事なものとは書物について語る瞬間であって、書物はそのための口実ないし方便だからである」そして読まないことは、読むことの受動性に対して能動性を得て、バイヤールによって「創造的行為」とまで称される。)

だから、あらゆるテクストは明日読まれる。少なくとも明日読まれることをテクストは願っている。だがその願いは叶えられることはない。テクストは常に宛先違いで届き(誤配)、遅れて届き(遅配)、そしてついに読まれることはない(不着)。けれども何度でも繰り返すが、それは絶望すべき事態ではない。私たちはいかなる権利を持って、例えば「К***」に宛てられたプーシキンの詩を読むのだろうか。私にとって詩は常に反省的に読まれる。それは読んでいるいまここで効力を持つことばであるというよりは、いつでも遅れて思いがけない時にやってくる。そして私は本当にテクストを読んだことはない。これからもないだろう。だが、これは絶望すべき事態などでは決してない。プーシキンの詩が、宛先通りに「К***」嬢に届いてしまうこと。「読まれること」とは、例えて言うならばそういう事態だ。なんと直線的。なんという単調さだろうか。そこにはそれ以上の事態の進展など何一つ見込むべくもない。作家が発したことばが、遅配され、誤配され、宛先に届かず、思いがけず私に届いてしまう。私はある種の厚顔無恥さでもってそのテクストを読むだろう(あるいは読み過ごし、誤読するだろう)。その宛先も所属も持たない宿無しのことばが、これまた思いがけず私を心底から撃ち抜いてしまうこと。そこに文学がある。

あらゆる作家は、誰かに宛てて書きながら、あるいは誰にも宛てずに書きながら、ある者は意識的に、ある者は無意識に(あるいはそう装って)、常に誤配と誤読を期待している。カフカがブロートに遺稿(となるべきもの)を託す時に、カフカの期待に反して、(あるいは彼の無意識に忠実なことに、)カフカの原稿は燃えなかった。プラハの煙突から出た想像上の煙は、思いがけずも東京の私たちに届いてしまったのだった。その過ちはあらゆるテクストにとって本質的なことであり、幸福な過ちでさえなかっただろうか。

2016年2月27日「多文化の海をおよぐ」、パネルディスカッションの補足として

ヤクープ・コーラスの詩

春、野原にて

私は好きなのです 広い野はらの果てしなさが、
ライ麦の穂がなす 緑いろの海が

畑の畝の いくつもの細い線も
私は好きだよ、ねぇ野はら、きみの広がりが!

ライ麦のなかでざわめく 古い洋梨の木も 
緑の境界線も 遠くとおくの平原も

私は好きです 山あいに延びる道路も
その山の下で小川が交わす おしゃべりも

私は好きです 丘が むかしの古墳が
青くとおくに広がる 透明な雲が・・・

春に野はらを眺めるのが 私は好きです
ライ麦の野はらを 風がそっとざわめきながら泳いでゆきます

ライ麦はざわざわと揺れています 畝から畝へと走り回っています
そして 空気の波が 震え、震えている・・・

私は好きなのです 広い野はらの果てしなさが
大きなライ麦の穂がなす 緑いろの海が

Якуб Колас: На полi вясною (1909)

25 1月 2016

ガリーナ・ルィンブの詩

夜半 目を細めた者の死
流れてゆくのは 腕ではない それは
歯ではない けれど流れてゆく 痩せほそった粘液の方へ
割れた赤い海を運ばれてゆくのは 薔薇ではない
壊れた橋脚だ それは
薔薇じゃない ちがうんだ
壊れた薔薇の牢獄で
果てしなく続く 行列

*ガリーナ・ルィンブ(Галина Рымбу)は1990年、ロシア・オムスク生まれ。詩中「赤い海(красное 〜 море)」にはおそらくモーセの「紅海」が重ね合わされる。прищуренных, руки, превращаясь, в красном разорванном море, роза, в тюрьмеなどР音の執拗な反復、そして繰り返される否定詞がリズムを生み出している。