投稿

10月, 2013の投稿を表示しています

10/18「ノイズとビッチ」フェスティバル(ロシアのシューゲイズ)

イメージ
10/18夜(19時)〜19朝(5時)にかけて、ペテルブルグ市内のライヴハウス「клуб da: da:」(地下鉄センナヤ・プローシャチから徒歩一分)で開かれたシューゲイザーオールナイト「ノイズとビッチ(шум и шлюхи)フェスティバル No.11」なるイベントに行ってきました。そのまとめです。(写真多数)
ロシア(ペテルブルグ)におけるシューゲイズに興味があればご覧ください。


ハルムス「魔法使い」

(…)

これは魔法使いについてのお話になる。現代に生きていて、魔法を使わない魔法使いのお話。彼は自分が魔法使いで、どんな奇跡も起こせると知っている。でもやらないんだ。部屋から退去させられることになって、ハンカチを一振りするだけで自分の部屋に残れると知っていても、魔法使いはそうしない。おとなしく部屋から出ていって街の外れの物置小屋に住むのだ。この物置小屋をレンガ建ての素敵な家に変えることだってできるのに、そうはしないで、魔法使いは物置小屋に住み続ける。で、結局死んでしまうのだ。人生でただの一度も奇跡を起こさずに。

(…)




фрагмент из повести «Чудотворец» Даниила Хармса

「雄鶏の叫びを」


雄鶏の叫びをただ夢に見るだけ
小窓の向こうでネヴァ川が霧に煙る
底なしの夜が長く、長く続く —
ペテルブルグのわけのわからなさ…
真っ暗な空に星は見えないが
死はそこらここらで、露わになる
だがのんきで、下品で、恥じらいもないのだ
仮面舞踏会のおしゃべりには



などとアフマートワも『ヒーローのいない叙事詩』で言ってますし、そういう季節

文字17

愛と希望と未来が、おれの身体で死ぬ

ドミートリイ・プリゴフ『警察官讃歌』より

『警察官讃歌』シリーズ(1978)より
ここの詰め所にケーサツカンがいる時は
ヴヌーコヴォまでずーっと広々、やつにはお見通しなんだ
西に東にケーサツカンは眼を光らせて
やつの後ろには何にもない
そして真ん中、ケーサツカンがいるところ
そこにはあらゆるところから注視の眼が注がれる
どこからでも見られるのさ、ケーサツカンのやつは
東からも見れる、ケーサツカンを
海からも見れる、ケーサツカンを
空からも見れる、ケーサツカンを
そして地面の下からも...
   そうやっぱり、やつは隠れることができないんだ

やつはご健在、昔からいつも変わらずぼくらの中にいる
リリエンクローンが、それからリルケが
詩で讃えたあの立派な勇者さまさ
あと他にも — まぁちょっと言ってみただけなんだけどね

ほらやつが行くよ、自分の恐ろしげな詰め所に
ケーサツカンが担当地区にいるとき
ぼくも有頂天で歌ってやるんだ
でも詩を捧げたりはしないけど



あるとき水兵さんがケーサツカンと出会ったんだけど
水兵さんにケーサツカンは言ったよ
「君、若人よ、お手本にならなければならないぞ
わたしのような、本当の成長ってやつのお手本にな

お前さんの視点では至上のものを見るには限界がある
情熱の風を吹かすことの意義を理解して
偏見というもろいものを超え高く飛びたまえ」って
「はい、そうですね」と水兵さんは答えその通りにしたのさ



作家会館のブッフェで
ビールを飲んでるケーサツカン
いつも通りのやり方で飲んでる
会館の主の「作家」たちさえ見ないで

作家たちの方はと言うとケーサツカンを見つめている
やつの周りは明るくて誰もいない
そして作家たちのいろいろな芸術は全部
やつの前では何の意味もないものなのさ

ケーサツカンはジンセイについて思いを巡らせる
「借金」のかたちでしかなかったジンセイについて
“生命は短く芸術は永い”とはよく言うが
でもけんかして勝つのは人生のほうだ



ほらあそこで「ケーサツカンなんて人殺しだったんだ」と誰かが言ってるけど
でも違う、ケーサツカンは人殺しなんかではなかった

ケーサツカンは地と天の狭間に不変に存在するものだ
だから一部のひとを、もしかして、殺したのかもしれない
すべてこの世の出来事は必然的なものだ
人殺しは、ひとを殺すために世に生を享けた
ケーサツカンは、身をもって法を体現するために。
しかしケーサツカンが服務中にひとを殺すなら
国の法を破壊しているのではない
彼は宇宙創造の神…