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ロシア宇宙主義2017

最終更新:2018年1月7日

2017年、われわれ(誰)は紛れもない「ロシア宇宙主義」イヤーを目撃しました。疑いもなく、いま全世界規模でロシア宇宙主義がキています。この全人類的なプロジェクト=事業をただ静観していることはできません。そういうわけで、私なりにこの記事を書くことで、宇宙主義に燃料を投下することにしました。この記事を書く目的としては、乖離してしまっているロシア界隈における宇宙主義と、アート界における宇宙主義の橋渡しをしたいということがあります。
文中「★」印部はリンクになっています。

 #ロシア宇宙主義イヤーとしての2017@日本 日本でも遅滞なく、宇宙主義に関係するイベントが何回か行われました。

*ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義」翻訳(上田洋子訳、『ゲンロン』〈2〉所収、2016)
+ ★ボリス・グロイス氏来日レクチャー(2017年1月20-21日)
+ MADレクチャー「★無限を探して―ロシア宇宙主義と美術館」(講師:ロジャー・マクドナルド氏、11月16日)
+ アントン・ヴィドクル「ロシア宇宙主義:三部作」上映@★ASAKUSA
+ アントン・ヴィドクル氏座談会(12月17日)
などなど、以上はわたしが参加したもののみ挙げてみましたが、5つのうち3つ(グロイスとヴィドクル)は浅草のギャラリー「ASAKUSA」の周りのプロジェクトのようですから、この熱意に本当に頭の下がる思いです。

 #ロシア宇宙主義リヴァイヴァル さて、このアート界における宇宙主義ブームの端緒はどこにあるのでしょうか。

2人のキーパーソンがいます。ボリス・グロイス(Boris Groys;1947-、ロシア出身のアートクリティーク)とアントン・ヴィドクル(Anton Vidokle;1965-、ロシア出身のアーティスト)です。
(いま出生年を調べていて、この二人にはほとんど一世代ほどの開きがあるということを知りました。ヴィドクルが宇宙主義について知ったのは、グロイスから聞いたのが最初だったそうです。)

グロイスは、もともとソ連後期のコンセプチュアリズム(コンツェプトゥアリズム)を同時代的に批評することで名が知られるようになりました。そもそも“コンセプチュアリズム”なる用語も、彼の「ロシアのロマンチック・コンセプチュアリズム」(★拙訳;1978)という論文によって広…

アンナ・アリチュークの詩

十二のリズミカルな休止 1984-85

一、(G.Ts.に) 雨、彷徨い
ぽつねんと、鏡の岸辺佇み
海の羽毛をもつ鴎たちの歔欷のなか
動きを止める
  砂のうえに浪はなだれ落ちない
そして赤い筆のなか太陽が砕け散る

百回ほども筆跡の波が打ち寄せ
遠くへ 悲しみになってこぼれ散った
          黙りこんで散歩する悲しみに

二、 時間の蜘蛛の巣に捕えられた焔の野つつじ
びっしり走ったこの葉脈の虜
大気の刺すような眩いばかりの戦慄のなか
花輪の衣服の、風との戯れ

このように手をかたどった陶器は消える
掌のなか遠方の貝殻となって……

三、 スカラベたち
  それぞれの体中に渓流ながれ
彼らだったろうか 身体のまわりで
腕を流れていったのは
砂のうえに立ちながら 目にしなかったわけはあるまい
波なす髪の房が顔に打ち寄せるのを

風がつくりあげた紋理をもつ
砂丘のような花弁を

四、 エルフの身体 そしてことば
砂のうえに 蝶の耳殻

大気のなかに 泉あり
青のうえ 枝の起源に脈うつ
(根のほうに向かわぬ川)

木々が飛んでゆく……

五、ミニュアースの娘たち こだまによって嚇しつける蒼穹
          すっと貫く葦笛
草叢=広間で
眼のなかの琥珀の豹の
           そして
壁がこんなにも薄くなってゆく
          鳥たちが飛びくる
葡萄の蔓を振りはらい
夜明けにディオニュソスを根づかせ

諸空間の大気を熨しつつ……

六、 橡色のひと群の葉のところ
硝子の後宮で
月の梯子を長く わたしは伸びる
息づまりの水晶
空たかく砕け散り

《落陽の瓦のあいだにあって
エルフは笑いながら溶け消えさることができた》
だが月の蜂巣のなかへと陥りながら……
青みの上の天使的な? 友情、それは――
(神話にいう
  すもものような
   天国の樹の溶岩)
目を釘付けにする物ものの発光へと連れ去ってゆくこと

七、雨 石のうす煙り…
葡萄のなす穹窿が照らしだされる
アーチの切り立った調べに

八、 燈明の大伽藍
昏い枝を鴨が揺らした
湖水上の空で

九、 幼時の紙片の
    翼をひろげた
船はしおれた蝶のほうへ

ただ今より

熱心さ と 雨
野ばらの大好きなひと滴

空から落ち……

十、 誘われるような草の海
生命樹Thujaの孤独

陶器のカタツムリは灰まみれだ
部屋の植物を這いのぼる
伸びゆくバイオリンのような
フルートの

澄みわたる空

十一、 硝子で触れつ
何十億もの月の飛沫
腐敗の
   その瞬間
去っ…

ルィ・ニーコノヴァ(アンナ・タルシス)の詩

◆ あまりにも
空に
たくさんの雲 ―― 堪えがたい

1962

◆静物画 ライオン ライオン と ライオン

1964

◆ ネズ ミが
ひと くみ

1965

◆ む
 ら
  さ
   き
    い
     ろ
      の
む ら さ き

1965

◆ 白痴だらけのこの世界ではみな白痴だ
白痴は一人ひとりそれぞれに歩いてゆく

白痴だらけのこの世界ではみな愛国者だ
愛国者は一人ひとりそれぞれに歩いてゆく

白痴はそれぞれ各様に暮らしている

この世界で
この世界では
みな――白痴だ

1965

◆ そこに縄が巻きついているとき
 そこからは引っ張ってくるようなものは何もない

1966

◆ 蠅 は い な い

1966

◆“ドキュメンタリー”詩シリーズ『アミン』(1969)より 公園で座っている
足をぶらぶらさせている



背中が凍えそう



テーブルが
覆われた
白いテーブルクロスで

◆シリーズ『トートロギヤ』(1969)より「1917年十月」 十月
十月 と
十月

◆ リズム と鶴の感覚
水牛  と垣根の感覚
感覚  と二月の
感覚
頭飾りがもたらす感覚

1969

◆1970年
いち に
いち に
いち に
いち に

1970

◆ ぐんたい くんくん

1970

◆ 静まり まり まり まり
だまり まり じめじめ=しめしめ
そして落ちる 落ちる
そ、それからどっかに どっかにいく

1970

◆ ね
はなして
はなして
   軽やかにはなす

1970

◆ コ ン
バ イ ン

1971

◆ バ ケ
 ツ

1971

◆風景 ストッキング
ストッキング
ストッキング
毛糸玉
毛糸玉
穴あきボートのある川岸
      ボート

1972

◆ おまとりょーな
ちもふぇーゆゔな
あまとりょーしゃ
ちぇみゃふぇーゆちか
うむとりゅーんな
ちみふぃーいちこ
きんぴかーちゃん
こぺーいか銭のように

わたしに尋ねて
ぺーちかから降りるわ
ぺーちかを追って出ていくわ
がちょうを捕るわ

そのがちょうは飛びたたない
開かれないし
ばらばらにはならない、ぺーちかは
ただわたしは出ていくだけ

お、まとりょーにゅしか
ちもふぇーゆしか
あまとりょーなちか
ちゃまふゃーしゅにか

1973

◆ 暗やみの中でランプの輪郭が暖まって
重苦しい時の梟が手のひらに降りてくる
手がそっと揺れ 嵌めた腕輪に呼吸…

セルゲイ・ザヴィヤーロフの詩

破壊の書(1985-86)
◆ 秋に
雨を待つ  乾いた落葉
堅いアスファルト  夜の運河の波音
世界の崩壊は  おまえだけに聞こえる  捕えるな
  その退屈させるようなリズムを
  微笑み
と眉墨が腫れ上がった幾世紀のうえに浮かぶ
汚れた軍用衣
未成年者たちが煙草に火を点け  喧しく笑う
  彼らの手は労働者の手
  もう自分自身に耳を傾けるな
彼らとともにいなさい
世界のなか
  すべて言うことなしの世界のなかで

◆ この秋は風がない  かろうじて感じるだろう
  眼に見えぬ肉が触れるのを
触れながらも引き留めることはかくも困難だ  嘆息ならぬ嘆息の
  一どきの喘ぎのうえに
おまえの想像が生んだ母国から  かろうじて気づくほどの徴
  己のものだと思い込んでしまったという、徴

◆ 己れの故国を見いだせ
己れの発話の  感覚に耳を傾けよ
鏡のなかの狼男を見つめよ
副詞を探り当てよ そのなかでは
  自分自身との対話におまえは加わるのだろう
石の強度を確かめよ  家へと
  伸びる路の石の

◆サッフォー風詩体 道すがら彼女に会ったか、メルクリウス
早朝に微笑んだだろうか、ウェヌスは
冬に北風の神ボレアスの家に吾らを
  置き去りにせず。
ひたすらに天井は高くなり、そして鮮やかに
輝いたのだ、突然に、物体の角を縁どるように
毛皮を脱ぎ捨て ニンフがみなし児のペナテスに
  笑いかける、その時に。
そして私を、薄汚いスキタイ人の奴隷にでもしてくれ
冬眠もせずぶらつく熊の生贄にでもなろうではないか
もしも私が忘れることがあったなら
  溢れくる涙の喜びを。

眠るとき、人は背を向け壁と向きあう(ヘラクレイトス、断章89から)

一、

  そうしてかくて今でも
下劣にもあなたを忘却している
日々にもいつもそうであるように
  あなたの下僕を赦し給う  支配者よ
荒廃しきった心を持つわたくしは
痛悔の気持ちに駆られることもなく
  罪のなか寝入る
そしてあなたとは言葉を交わさぬ  あなたの
憐みを垂れ、また罰する御手が
  我が両の眼に映りながらも

二、

  私ははじめようと思う
妻(さい)よ  見てほしい
この夜に 雪がいかに月並であるか
  ユリウス暦の降誕節前夜だ
舊約によるゴグとマゴグはどこかへ行ってしまい
出くわすことになる  状況の転換に
  だからもう寝た…

アルカージイ・ドラゴモシェンコ『家と木々のあいだに』(抄)

アルカージイ・ドラゴモシェンコの長編小説『家と木々のあいだに』(1978)からの断章です。難しかった…。 Аркадий Драгомощенко: отрывок из романа "Расположение среди домах и деревьях" (1978)

---
時おり明け方に、心臓が痛むことが、私にはある。煙草をよく喫う。明らかに、年を重ねるごとに喫う量は増えている。パイプを吸うのだが、煙草が見当たらない。だから自分なりに煙草を考え出してみたのである。にもかかわらず、必要があれば、この煙草を煙草屋で購うことができる。君は、近寄って、肘で寄りかかった格好で、おしゃべりをするだろう。ああだこうだ、あそこじゃどうした、つまりいま現在世界で何か起きているのかということ、それから静かに話をするのだ……人々は御しやすく、飲み込みが早い、めったにないほど。ほんとうに、こめかみのところで指をぐるぐるしているような頭のおかしい人たちに出会うことは、——そうだ、なにしろよくあることではない、例外なくあらゆる人が君を理解してくれるほどには。見えない針。それは素敵だ。冷えている、まったく氷のようになって、完全に冷たくなる、針は死んでゆく、光沢が失われて、存在しなくなる。息をしろ。日暮れ時、太陽の手で破壊されて、空、だれか。
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こちらからどうぞ↓ https://note.mu/pokayanie/n/nfbac217f1d5e
Драгомощенко, Аркадий Трофимович. 1946-2012.

ワシーリイ・ローザノフ『孤絶して』(抄)

ワシーリイ・ローザノフのエピグラム集『孤絶して』(Уединенное)より。途中で飽きたので、とりあえず。

『孤絶して』(抄)


夜半に風が騒ぎ、葉が運ばれてゆく…。生なるものも同じように、速い時の流れの中で私たちの心から、叫び、嘆息、ぼんやりした思い、漠然とした感覚を奪い去ってゆく…。それらは音の断片でありながら、手を加えられることなく、目的も、意図もなく、——造りあげられた部分など片鱗もなく——心からそのまま「散り落ちてしまった」というところが重要だ。ただ「心は生きている」…すなわち「生きた」のであり「息絶えた」ということなのだ…。長いことわたしはこの「思いがけない叫びたち」が、なぜか好きだった。叫びは、私たちのなかに、絶え間なく流れ込んでくるのだが、それを書きつけることは(手の下に紙などない)できないまま、それらは死んでゆく。そして二度と思い出すことはないのである。それでも、多少は紙に書きつけることができたのだった。書き散らしたものがかなり溜まっていった。それでわたしはこの散ってしまった葉、葉を拾い集めることにしたのである。 何のために? 誰に必要だというのだろう?

ただ——わたしには必要なのだ。あぁ、善良なる読者よ、私はもう長いこと「読み手のないまま」書き連ねてきた。ただわたしはそうするのが好きだから。「読み手なし」でどうして出版などできよう…。ただ単に、そうするのが好きなのだ。もし何かの間違いでこの本を買ってしまった読者が本をゴミ箱に捨てたとしても(おすすめは、ページを破かないようにして目を通したら、ページをまっすぐに揃えて、半額で古本屋に売ってしまうことだ)、わたしは泣きもしないし、腹を立てもしない。 読者よ、わたしはお前には遠慮しない。だからお前もわたしに遠慮しなくていい。 「クソが…」
「クソが!」

そしてau revoir(さようなら)、あの世で再会するその日まで。読者と一緒にいるのは、独りでいるのよりもはるかに退屈なことだ。読者は口を大きく開けて待ちぼうけているのだ。君ならどうする? そういう場合、喚き始める直前に、読者はロバに姿を変えているのである。その光景はとてもきれいだとは言えない…。やりきれない…。どこかの「音信不通の友人」に宛てて、または「誰にも宛てず」書くことにする…。 ◆

デカダン派の人々がわたしを訪ねてきたことがあったが、夜…

レオニード・アロンゾンの詩

* あらゆるものの間に沈黙がある。ただそれだけが。
ある沈黙があり、別の沈黙、第三の沈黙がある。
沈黙に満たされて、それぞれの沈黙が——
詩作の網を紡ぐ材料となる。

ことばは、糸だ。ことばを針に通してほしい
このことばの糸で窓をつくるんだ——
すると沈黙はこの枠にはまって
ソネットのなかの網の目となる。

網目が大きいほど 中に絡み取られた
魂も拡がってゆく。
どんなに大漁だとて平気となる

どうやって漁師は 網に目が一つしかないような
巨大な網を
つくることができるだろうか!

1968

* すべては顔——顔は顔
埃は顔、ことばは顔
すべてが顔。あの方の。創造主の。
「あの方」ご自身にだけ 顔がない。

1969
* まだ朝の霧のなかにうかぶ
あなたのうら若き口唇。
あなたの體は神が投げ落としたもの
庭やその果実のように。

あなたの前に立ちつくす
頂上に横たわるように。
久しく青色が空色へと
変わってゆくあの山の。

これ以上の幸福があるだろうか、庭として
庭にあることより? 朝に朝としてあることより?
なんと嬉しいことだろう
一日と永遠を取り違えることは!

* 夜 橋と橋とがお互いに歩み寄る
庭も教会も色褪せてしまう 最良の金のおかげで
風景を通りぬけてベッドへときみは向かう きみだったのか
ぼくの生に 蝶のように 死んでしまうまで磔にされているのは 
1968

* やれやれ、生きている。死人みたいに死に体で。
ことばは沈黙で充ち満ちた。
天が与えたもうた自然の絨毯
原初の絨毯は ぼくが丸めてしまった。

皆のまえにすべてが揃っている 夜ごとに
横になり それを凝っと見つめる
グレン・グールド――わが運命のピアノ弾きが
音楽記号を引き連れて演奏する。

ほら、悲しみのなかに慰めがある
だがその慰めはいっそう恐ろしい。
思考が湧き起こるが出くわすことはない。

大気の花、根はなく、
ほらほら、ぼくのおとなしい蝶。
こうして生が贈られた、だがその生をどうしたらよいのだろう?

1969年11月

* なんと気分がよいのだろう、荒地にいることは!
神々でなく、人びとに見捨てられた場所。
雨が降る、美が濡れそぼつ
丘状に盛り上がった古い林の、美が。

雨が降る、美が濡れそぼつ
丘状に盛り上がった古い林の、美が。
ぼくらだけがそこにいて、他の人とは違う感じ。
あ、霧の…

ボリス・グロイス「モスクワのロマンチック・コンセプチュアリズム」(1978)

抄訳です。以下のリンクからどうぞ。
訳の誤り等、ご指摘くだされば幸いです。(メールは、junk.dough@gメールドットコム)

https://note.mu/pokayanie/n/n3ba2266396fc



ボリス・グロイス「モスクワのロマンチック・コンセプチュアリズム」
初出は、サミズダート誌『37』第15号(レニングラード、1978)にB. G.名義で掲載された同論文。
Борис Гройс (под именем Б. Г.). Московкий романтический концептуализм. // Журнал «ТРИДЦАТЬ-СЕМЬ (37)», №.15, 1978. Л.:(самиздат).

『37』は、トロント大学Soviet Samizdat Periodicalsアーカイブにて閲覧可能。

モスクワ現代建築・アート事情(リンク集)

『10+1』web版の記事など。

・世界建築レポート7「The Old and New: Mosaic City, Moscow──モザイクとして彩られた都市モスクワ」(鈴木祐也氏;2008年1月)
http://10plus1.jp/monthly/2008/01/31152124.php
→2000年代後半、モスクワ建築事情。

・「Photo Archives 94 モスクワ」(Janko Radojević)
http://10plus1.jp/photo-archives/94/
→構成主義の遺産、など。

・鈴木祐也氏@Tokyo Art Beat
「モスクワのアートシーンについて」(2007年12月)http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2007/12/vik-munis.html
「モスクワのアートを支える「地下」という作品・展示形態」(2008年3月)http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/03/moscow2.html
「『かくして社会主義は勝利したのです!』」(2008年4月)http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/04/moscow3.html
「『アーカイヴ写真』の可能性について」(2008年5月)http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/05/archive-photo.html
「『“ 国際 ”という名において 』 広まるモスクワコンテンポラリー・アート」(2008年6月)http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/06/moscowcomtemporary.html

関竹三郎「ソロヴィヨフ『神人論』の翻訳の批評に就いて」(1918)

岩下の『神人論』翻訳批評(1917)に、翻訳者である関が反論した1918年の論文。

文字起こしにあたり、パンクチュエイションや旧仮名遣い・旧字体に適宜修正を施した。また固有名詞については、必要に応じて現在通用される表記に改めている。

★PDF版をこちらからダウンロードできます。→リンク(Google Driveが開きます)

岩下壮一「ソロヴィヨフと公教会(『神人論』の翻訳を読みて)」(1917)

日本における最初期のソロヴィヨフ論。文字起こしにあたり、パンクチュエイションや旧仮名遣い・旧字体に適宜修正を施した。また固有名詞については、必要に応じて現在通用される表記に改めている。

★PDF版をこちらからダウンロードできます。→リンク(Google Driveが開きます)

谷寿美『ソロヴィヨフの哲学』

谷寿美『ソロヴィヨフの哲学』(理想社、1990)

 ソロヴィヨフ思想(とりわけ初期)をめぐる論考として、非常にレベルの高いものを読みました。谷寿美『ソロヴィヨフの哲学』です。そのレベルの高さには、大きく3つの側面があると考えられます。①初期ソロヴィヨフ思想の包括的論考になっていること。②誠実さ。③圧倒的な原典根拠。

 ①について。論はソロヴィヨフの思想形成から認識論的側面・存在論的側面、さらには宗教をめぐる議論へと、ソロヴィヨフの思考を追いかけていくように、無駄なくかつ漏れなく丹念に語られるように思われます。②について。誠実さといういささか誠実でない言葉で私が言おうとするのは、むしろ谷からソロヴィヨフに向けられた敬意と言い換えるのが適当でしょう。谷は、ソロヴィヨフの一見「矛盾」と思われる言説をこまやかな手つきで取りだします。谷の誠意を私が感じるのは、彼女自身言明しているように、その際に独断的な価値判断でその「矛盾」らしきものを片付けまいとする姿勢です。「矛盾」らしきものを、まずはいったんそのまま取りだしてみること。「矛盾」には「矛盾」であるだけの理由があると仮定してみること。そこには谷の、ソロヴィヨフに向けられた信頼と敬意があります。文体に耽溺する批評=エッセイがありあまるほど世の中に存在する中で、この「敬意」がどれほど稀少なものか。そして驚くべきことに、その「矛盾」からこそソロヴィヨフという思想家の本質が露わになってゆくのです。③については、これは本文を読んでいただくしかありませんが、多いところでは誇張ではなく本当に一行一行に引用があり、出典表記が附されています。これも称賛されてしかるべきことでしょう。①③に関しては、確かにアカデミックな論文であれば、そうあって当然の事柄かもしれません。ただ②に関しては、著者の素質としか言いようのない優れた点だと言えます。

◆1。◆ 『ソロヴィヨフの哲学』という単純といえば単純に過ぎる題をもつこの初期ソロヴィヨフ論は、1853年から1900年までのロシアを生きた哲学者の、1881年までの思想を扱う。だから、ソロヴィヨフの全思索のほぼ半分と言っていい。E.トルベツコイの区分によれば、ソロヴィヨフの「準備期」にあたり、ラドロフの区分では「修行時代」「遍歴時代」と呼ばれていて[I-5]、谷はこの時期こそソロヴィヨフがその思想を確立した…

セルゲイ・ロズニーツァ(インタビュー)

20170511追記:表記を「ロズニーツァ」に改めました。

セルゲイ・ロズニーツァ(Сергей Лозница, Sergei Loznitsa;表記はローズニッツァ、ロズニッツァ、ロズニツァなど)はベラルーシ生まれ、現在はドイツ在住の映画監督。
作品については、詳しく書いてらっしゃる方がいるので、こちらを一読すると良いと思います。 http://d.hatena.ne.jp/pop1280/20140617/1403011444
劇映画としては『わたしの幸福』(Счастье мое、2010)や『霧のなか』(В тумане、2012)などを撮っていて、カンヌに出品されている。
2016年作『アウステルリッツ』を中心としたインタビューを翻訳しました。『アウステルリッツ』は、ナチスの強制収容所があった土地を訪れる観光客をテーマにしたドキュメンタリー作品。
2017年カンヌに正式出品された『やさしい女』についてもちょっとだけ触れています。
以下からどうぞ。
https://note.mu/pokayanie/n/n257d85b1dc32

文字26

私たちは、人間であることにひどく疲れてしまったのではないだろうか、ということを最近特に思う。知とは、個的な経験を抽象化・普遍化する挙措だと思うのだけれど、これはとても労力がいる。とてもめんどくさいのだ。

民衆からしてみれば、目の前にある聖像を神に見立ててひたむきに祈ってみせることは簡単で、それ以上のことは必要ないように思う。あとこれは別の話だけれど、星を見上げれば普通は天のほうが動いているように見える。しかし知が拡散する、知が人類というレベルで共有されるためには、「三位一体」とか「地動説」とかいうわけのわからない複雑怪奇な論説が必要とされたのだった。知は論争だったから、相手を言い負かすために論理を組み立てておく必要があった。

だから知は、異質なものとの遭遇の準備でもあった。もちろん、その結果として歴史上ではしばしば武力をもって衝突が起きてしまったわけだけれど、少なくとも異質なものと交渉せずにいることは不可能に近いことだったし、そのための準備は武力とともに知がおこなっていた。

知に飽きてしまった。知の要求するレベルに息切れを起こしてしまった。そんなところではないだろうか。知を維持していく気力も、気概もなければ、外に出ていく勇気もない。あくまでこのまま個であって、個のうちで理解されていればいい。その結末は、歴史が示す通り、共同体の死であり、それが全人類規模で起こるのだとすれば、ひとの死に他ならない。

隕石でも、火山の大噴火でもなく、大地震でもなく、まさかこんなに静かに、人間が人間でなくなることで、ひとはなくなってゆく。だって学問を失った人間が、いったい何ものでありえるだろう。
人間であることを要求することがこんなに困難になってしまったときに、いったいどうやって人間であり続けていけばよいのだろう。

ゲンリフ・サプギールの詩

イメージ
声、声 ほらあそこで人が殺された
ほらあそこで人が殺された
ほらあそこで人が殺された
下の方で 人が殺された

行ってみようぜ、そいつを見てみよう
行ってみようぜ、そいつを見てみよう
行ってみようぜ、そいつを見てみよう
行こうぜ。そいつを見てみよう

死人だぜ—死人みたいな恰好してさ
いやあいつは寝てるんじゃないか、死人みたいに飲みやがってさ!
そうだな、死んでない、けど死人みたいな成りでさ…
なにが死人だよ、死人みたいに酔っぱらっただけだろ—

ゲロまみれで寝てるぜ…
ゲロまみれで寝てるぜ…
ゲロまみれで寝てるぜ…
...........................................

手と足を持ってくれ
手と足を持ってくれ
手と足を持ってくれ
手と足を持ってくれ

こいつを中庭に運んでいけ
こいつを中庭に引きずっていけ
そいつを中庭に放り出せ!
そいつを中庭に追い出せ!—

そしたら入口の扉を閉めろ
もっとしっかり扉を閉めてくれ!
すばやく扉を閉めてくれ!
錠をぜんぶ下して扉を閉めてくれ!
やつはどうだ、喚いてるか、黙ってるか?
やつはどうだ、喚いてるか、黙ってるか?
やつはどうだ、喚いてるか、黙ってるか?
やつはどうだ? 喚いてるのか、黙ってるのか?…



入口のランプがチカチカしてるぞ!
独りぼっち そこ 床のうえに 倉庫の棚のうえに
屋根用の厚紙、釘と ―いったい誰に必要なのか―
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

瓶とコップを 樽の上に!
ウォトカを飲む もの言わず 独りぼっちで。
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

眼鏡は額に。見えづらそうに
目を凝らす。妻だって? 昔はいたっけな。
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

目を凝らす―目が細くなる
歪んだ歯が剥き出しになる
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

とつぜん工具が2倍に増えた…
すべてが跳ねてぐるぐる回る:
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

もういい!たくさんだ!うんざりした。
おとなしく横になってろ。頃合いを待て。
シャベル、のこぎり、斧、
ハンマー、つるはし、それからバール。

起き上がった。納屋から出る。
錠前を掛け、扉を閉じる
シャベル、のこぎり…

Zineを出版しました

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このたび、コレクティヴ「ゆめみるけんり」の一員としてzineを出版しました。私は、ロシアの思想家ニコライ・フョードロフのエッセイ(附・解説)と、アレクサンドル・ブロークの詩を訳しています。

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NER:新しい居住エレメント

noteに新しい記事を公開しました。
雪解け期ソ連の都市計画プロジェクトNER(НЭР=Новый Элемент Расселения、New Element of Habitation)に関するエッセイの翻訳です。


NERグループのプロジェクトは、消費に依らないポスト工業化社会[原語では消費社会の対義語としてのポスト工業化「非-消費社会」]のための、ソ連全土規模の、そしてより広くは惑星規模の居住システムを提起する試みである。この意味でNERは、現代ロシアの都市計画(アーバニズム)に対してはもちろん、消費文化と個人所有といった根底部分に対してめったに疑問を呈することのない世界的な主流に対しても十分にラディカルなオルタナティヴである。NERグループは、「各々みなに属する世界、ロジックとひとに対する敬意に満たされた世界」(『NER』、116頁)をつくることを可能にするような居住構造を見出すことをその課題としていた。NERメンバーは考察を進めるなかで、個人の土地所有というレアリヤに制限を受けることなく、「限定された」大きさの「均一な」住居のネットワークをつくることを提起し、そこでは居住者が10万人以内で、可能性の「平等」が最大限に保証されるとした。NERメンバーは、まさにこのように共産主義の根底的長所をとらえていたのである。

続きは https://note.mu/pokayanie/n/n8f94fd6fc99f

レフ・ルビンシュテインの詩

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『AUTOCODEX-74』(1974)より「3つのコンポジション」

コンポジション-1 1. 本質的思考の気ぜわしい徴
2. 本質的疑念の大いなる複数性
3. 本質的意義の不正確な解釈
4. 生者の内に残った途方に暮れる人影
5. 遠方の胸騒ぎの凍ったままの稜線
6. 偽りの賢さの不快な色調
7. 産出する印の不定的可能性
8. 雷雨の頃に遺された恵み
9. 晩の悲しみのあたたかな接触
10. 花咲ける歳月の花咲ける遺産
11. 極限的思考なる過酷な労働
12. 人けない説教にひどく歯の浮く
13. 歯抜けの老年への病的な恐怖
14. 他人のことに厚顔無恥にも鼻を突っ込むことの具体的理由
15. 懲罰のないまま偽証する奴らのいる環境下において法の外で存在することの必然的災厄
16. 出口のない状況といういつもの状態
17. 気の狂った歳月の失われゆく慰み
18. 計り知れぬ歓喜の薔薇色の色調
19. 大いなる可能性の大いなる複数性
20. 本質的思考に忠実な方向性


21. 多様な活動の知られざる帰結


コンポジション-2 1. 夢うつつでの飛行はみじめだ
2. 真理のタッチは甘美だ
3. ことばの隠れ家へ帰ることは3重にも甘美だ
4. 内部に向けられる眼差しは断固たるものだ
5. 予知能力の徴は川の力のなかでは辛うじて判別される
6. 道は打ち明けられない- - -
7. 昔の興味は忘れられた
8. 懲罰のないまま偽証する奴らのいる環境下で存在することは、不法だ
9. ワイングラスにワインは満たされていない
10. 草に注意を払うことは楽しい
11. 面白いことは楽しい
12. 現実での飛行はみじめだ
13. 不当な判断は不快だ
14. 正当な瞬間はよいものだ
15. 容認しがたいものはよくない
16. 現実での飛行はみじめだ
17. よく照らされた中での観照の対象物は不思議だ
18. 提起されるモデルの普遍性を求めるある人の要求は恐ろしい
19. コミュニケーションの多様化なあり方の再生に対して多くの人が準備できていないことはひどいことだ
20. 晩は今でも退屈だ
21. 現実の出来事によって紀念される一日は大いなるものだ
22. 現実での飛行はみじめだ
23. ロマンチックな気分になった政治家の道はもの悲しげだ
24. 都市環境における雪は孤独だ
25. 4年…

ヴィクトル・クリヴーリンの詩

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ロシヤのイデヤ 灰色の雪のなか死んだ木々 それから2羽の孤独なカラス… ロシヤのイデヤ、たぶん敵にさえ 平等でオープンな 刈りそろえられた刑罰の丘 そんなことをできる限り 意識に染み渡らせる ロシヤのイデヤは頭のなかにあるものでも 何らかの精神的な領域にあるのでもない それはここにある、顕現している、果てなき茂みにある 魂との危険な隣りあわせだ 魂の境界がどこにあるのか どこまで己でどこまで他なのか、魂は知らない。

1月9日の庭 ここは埃まみれの庭、印が捺された
書類に似ている 庭は
こんなにも悲しげで... おれは出てゆく。通り抜けてゆこう 錆びた柵に沿って  いつだったか5ヶ年計画のある年に
なぜかしら冬宮から
労働者村へ ペテルブルグから
レニングラードの心臓部へ 移されて
この柵はこんなレベルの貧窮と
荒廃にまで至ってしまった
瞬く間に過ぎ去るヴィジョンのように
清らな美しさそのもののように
隣に工場の空気が寄り添っていたので。

よい刻にテレビが点いて 黄昏れて。カラスが一声カァと 別れを告げる。そして静まりかえる。それで今は 気体のドアがため息を吐き トラムの車輌は隠されている 林の木々のあいだに。すべての 郊外へ向かう道路からたったの一人も 無傷では帰ってくるまい!左からくるこの 寝室でさえも… 昏くなった。おれにはむずむずするような
静寂がもっとよく聞こえる。不意の、燃えるような…
いいタイミングでテレビが点いたものだ!
そうだ、その声は救いだ、眠りのように
何千回も繰り返された眠り。 
時間のフルート 通りすがりの者が後悔するのは
生きとおした時間ではなく 眼もくれずやり過ごした時間のこと
音楽は静寂(しじま)に似ているが
静寂の心臓は 悲しみにも打ち負かされない

はっきりしない平坦な 足音のざわめきにも…
雑草生い繁る広場の上に、
近衛宮殿がすっくと立つ
気狂いフルートがこだまする。

山羊に似た軍隊が走りゆく。
ほら、准尉のマルシュアースが
  ぴょんぴょん跳んで笛を吹く
ほら、音楽だ。息抜きじゃない、息切れさ
ほら、擦り切れた毛皮。旗のひらめき
  のなかに!

通りすがりの人が、軍人じゃないのに
パレードの傍に忍び込む…
だが音楽は 静寂(しじま)に満たされ
凝固した琥珀のなかの虫のように

脆いうごめきをあたかも保っているかのよう
身動きは奪…