30 7月 2013

文字13(上映会のために)


以下に載せるのは、21.11.2012-25.11.2012の期間中、東京外国語大学「外語祭」のなかで工藤が企画した上映会のレジュメからの抜粋です
企画について詳細はこちらを参照してください→ http://tweetvite.com/event/tufsrus2012

(1)ヴェルトフ「と」"カメラ" – "映画眼киноглаз"概説


 革命前後のロシアで「ロシア・アヴァンギャルド」という潮流がロシア芸術界を席巻する。その波は文学・絵画・演劇・写真・建築・音楽など文化のあらゆる側面に浸透し、文字通り芸術のあり方を全く変えてしまった。その波は、登場したてのメディアであった映画の分野にも浸透した。むしろ、新しい、無垢なメディアであるからこそ、芸術の新時代を夢見た同時代の芸術家たちを刺激した。そして現在、映画が、リュミエール兄弟やメリエスを脱し、”芸術”*ヴェルトフ自身は「芸術」という呼称を嫌っていたがの一形態となるきっかけが、先行するグリフィスや同時代のドイツ表現主義に並び、この時代に潜んでいる。

ヴェルトフは、エイゼンシュテインとともに、モンタージュ理論形成のパイオニアである。両者の考え方をあえて単純化するならば、エイゼンシュテインが、事実の、フィクションの次元での「再構成」を図ったとすれば、ヴェルトフの目指したものは、「事実そのもの」を、”映画眼”を通して組織化秩序化し把握することである*ここで一定の留保をつけるなら、「事実そのもの」など今も昔も存在しないということであって、恐らくヴェルトフの限界はここにある

ヴェルトフにとって”カメラ”とは人間には認識不可能な「いまそこにある現実そのもの」を知覚可能にするものである。彼によれば、人間の眼が一元的知覚即認識ないしは知覚→認識の線がかなり短いである一方、カメラの認識段階は多元的である。そして、認識の段階一つ一つにモンタージュが伴う。観察時/観察後のモンタージュ、撮影時/撮影後のモンタージュ、目測、最終的モンタージュ。ヴェルトフらキノキの考えによればこの6段階のモンタージュがカメラに伴っている。そしてそれぞれのモンタージュは、「可視世界の組織化」の役割を果たす。この「組織化」とは、ヴェルトフにとっては、世界をマルクス主義的に文脈づけることを意味する

従ってヴェルトフによれば、”カメラ”は、人間の眼には不可能な、現実の多元的な把握を通じ、何段階ものモンタージュを経ることによって、現実をマルクス主義に則って「正しく捉える」ことを可能にする。これが、ヴェルトフのいうカメラの特性としての”映画眼”である。人間の知覚は「わたし」の知覚にとらわれている以上主観があり、当然それに即した認識も「主観」の側に引き寄せられざるを得ない。”カメラ”はよりラディカルに現実そのものを知覚する、と彼は主張する。

恐らくヴェルトフに一番近い考え方を示した思想家に、ジル・ドゥルーズがいる。彼は次のように述べている。
映画が人間的知覚を越えて別の知覚へと向かうのは、以下のような意味でのことである。すなわち、映画は、あらゆる可能な知覚の発生的要素に、つまり変化しかつ知覚を変化させる点に、要するに知覚そのものの微分に到達するという意味でのことである。ジル・ドゥルーズ『シネマ 1』より)
ドゥルーズが知覚そのものの形象・プロトタイプとして「映画の知覚」を捉えたこの「時間-イメージ」という概念に近いものを、恐らくヴェルトフは共有している。しかしヴェルトフは言う。「”キノグラス”=私が”映画視”する+私が”映画記録”する+私が”映画構成”する」(同上、)。ヴェルトフは、カメラの知覚を「わたし」が秩序化するプロセスも重視する。それを顕著に示すのが、『カメラを持った男』の原題«Человек с киноаппаратом»(英語にするなら”A Man WITH a Movie Camera”)であろう。ヴェルトフは、”カメラ”の知覚を利用した、あるいは「わたし」と”カメラ”が一体となった、人間の新しい認識のモードをあくまで志向したと言える。

ヴェルトフの、”カメラ”が人間の認識に変革をもたらすというこの考え方はかなり先鋭的であり、この考え方は1960-70年代にかけて共産趣味にかぶれたゴダールに継承される。ジャン=ピエール・ゴランと共に、彼はヴェルトフの「映画眼」理論をかなり忠実に学び取った。この「政治の時代」のゴダールは、最良の作品を除けば非常に退屈な映画、ほとんど全篇に渡ってアジテートされ、耳と目をフランス語に陵辱されるような映画(ことによったらフランス版ジーバーベルクとも呼べるような)を量産した。資本主義国フランスにおいて社会主義的な「あるがままの現実」などあり得ようもない、恐らくこのためにゴダールはフィクションの世界(最たるものは『東風』における西部劇という舞台設定)と増殖する言語に「現実」を映し出し、それをもって「ジガ・ヴェルトフ集団Groupe Dziga Vertov」を自称する。もちろんゴダールのことなので、途中で「飽きて」しまったのだが。

参考
一、国書刊行会『ロシア・アヴァンギャルド3 キノ』所収、ヴェルトフ「キノグラス各班に対する暫定的戦闘要務令」、ヴェルトフ「”キノグラス”から”ラジオグラス”へ」
一、ジル・ドゥルーズ『シネマ 1
一、ゴダール『ゴダール全評論・全発言Ⅱ』、筑摩書房刊
 

(2)カネフスキーについての覚え書き



カネフスキーについて語ることはあまりない。『動くな、死ね、甦れ!Замри умри воскресни!』の鮮烈なラストシーンをとりあえずは見てほしい。その時点でもはやカネフスキーについては語るべき言葉が失われていることに気づくはずである。

カネフスキーは私たちを殺す。透徹の果てからくる荒みきった視線で私たちを撃つ。彼の映画を見るとき、私たちの言葉はすでに彼に殺されているのである。

カネフスキーの映像は、(53歳の映像とは思えないほど)粗雑な映像であるし、幼稚な感じを、一見するとこの映画から受け取るかもしれない。しかし見終わった後、私たちはそれは必然の結果であったと知るのである。実際この映画に無駄なところなどない。

とりあえず見てほしい。それ以上わたしに何が言えるだろうか。

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