11 8月 2015

ウラジーミル・マヤコフスキーの詩

*実を言えばマヤコフスキーを訳すのは初めての経験です。小笠原訳と見比べて誤訳を見つけることに汲々とするのが、正しい読者による正しい楽しみ方です。

セルゲイ・エセーニンへ(1926)

あなたは行ってしまった
 ひとが言うように
  あの世へと。
虚しい・・・
 飛んで行ってください、星々の中へ、飛び込んで。
きみにはなんの貸しもない
 酒代さえも。
素面だ。
違うさ、エセーニン、
 これは
  おちょくってるんじゃない。
喉には
 苦々しい嗚咽がある
  嘲り笑いなんかじゃない。
ぼくには見える
 切り裂かれた手でゆっくりと
自分の
 骨を
  袋に入れてあなたがカチャカチャ揺らしているのが。
もうやめてください!
 やめて! 
  正気ですか?
両頬を
 死の白墨が
  濡らすがままにしておくんですか?!
あなたはだって
 あんなに
  すごいことを言葉にして吐き出していたのに
この世の
 他の誰一人だって
  言葉にできなかったようなことを。
どうして?
 なぜなのですか?
  わからなくて打ちのめされてしまう。
批評家どもはぼそぼそ言っている
 「あいつは罪つくりだ」と。
そうかな・・・
 でもそれは・・・
  でも一番の問題は
   繋ぎとめるものが少なかったこと
その結果として
 ビールやらワインの暴飲だった。
ひとは言う、あなたは
 放蕩生活を
  高踏な生活に変えるべきだったのに、と
高踏さこそがあの人に良いように働いて
  馬鹿げたことには至らず済んだだろうに、と。
そうかい、高踏な生活って言うけど
 じゃあそれは渇きを
  クワスで満たしてくれるもんなのか?
高踏な生活だって おんなじように
 酔っ払うのに目がないじゃないか。
あなたのところに
 汗っかきどものうちの誰かが
  寄ってって
生活費でも
 もっともっとたっぷりと
  恵んであげるようにすりゃよかったのに、と
そうすればあなたは
  一日に
   100行ずつも
    書き上げたろうに
退屈で
 長い長い
  ドローニンみたいな詩行をな、とのたまう。
ぼくに言わせれば
 そんな戯けたことが
  ほんとにあったとしたら
もっと早く
 自殺することになったでしょうね。
ウォトカのせいで
 死んだほうがまだましさ
退屈のせいで死ぬよりは!
ぼくらには
 死因が
  定かではない
縄で首を絞めたのでも
 ペンナイフを突き刺したのでもないのだ。
もしかしたら
 アングレテール・ホテル(*エセーニンが自殺したホテル)にインク壺さえあったら
静脈を
 切り裂いたことが
  死因にはならなかったしれないのだ。
猿まねする奴らが喜んでこう言う
 「アンコール!」と
すんでのところで
 自分に
  銃の撃鉄で制裁を食らわすところだった。
なぜ
 自殺者数を
  増やそうとする?
インクの生産量を
 増やすほうが
  よっぽどいい!
永遠に
 いまでは
  舌が
   歯の奥に閉じ込められてしまっている。
神秘さを破るのは
 つらいし
  いまはその時ではない。
民衆のなかで
 言葉の創造者のうちで
朗々たる
 見習い放蕩者が
  死んだ。
そして 大量の
 追善の詩が持ち込まれた
過去から
 葬儀の場から
  ほとんど手直ししないまま。
丘のほうに
 弱っちい韻律を
  杭でもって追い立ててしまえ
そんなふうに
 詩人を
  敬うべきだなんて思わないだろ?
あなたに捧げる
 記念碑さえまだ作られていないのだ
記念碑はどこだ?
 青銅の音は?
  切り削られた御影石は?
それでも追憶の格子に
 すこしずつ
献呈と追憶の
 ゴミ屑どもが運ばれてきて もういっぱいだ。
あなたの名は
 ちっぽけなハンカチに吐き散らかされて
あなたの言葉を
 ソビノフが涎でベチャベチャに汚す
死にそうな白樺の下で
 こんなふうに演説を締めるんだ。
「ことばもありません
  あぁみなぁぁさん、
   ためぇぇぇぇ息一つ出ないのです」とね。
うぇ、
 もうすこし違ったふうに話すだろうに
このご本人、
 レオニード・ローエングリヌィチ・ソビノフさんと話すのなら!
ここでスッと
 名高き問題児よろしく立ち上がって
「詩の一行たりとも
  もぐもぐ言ったり
   めちゃくちゃにするのを私は許さない!」と。
唖然とさせよう
 やつらを
  三本指で鳴らす口笛で
おばあさんにも
 神さまにも 魂をお見舞いしよう!
最低に才能のない忌まわしいやつらを
 追散らすために
その
 一張羅の帆を
  風に大きく広げながら
コーガン氏が
 一目散に
  逃げ出してしまうように
両耳の先で
 行きあう人々を
  ぶん殴りながら。
クズどもが
 まだ
  たくさん居残っているそのうちに。
やるべきことはたくさんある
 いいからついて来るんだ。
生きることを
 最初から
  やり直さねばならない
やり直した後に
 詩で讃えることができる。
ペンにとっては少し困難な
 そんな時代だ
だけども 声に出そうじゃないか
 みなさん
  性別問わぬ不具のみなさん
どこで
 いつ
  どんな偉大なひとが
もっとぐちゃぐちゃに踏みつけられ
 もっと軽やかになるため
  道を選び取ったか?
ことばは
 ひとの力の
  司令官だ。
進め!
 時間が
  後ろから
   弾丸よろしく突き進んで来るように。
古き日々のほうへ
 風が
  運んで行くのは
ただ
 髪のもつれだけであるように。
歓喜は
 ぼくらの惑星のための
  ものだとはまだいえない
来るべき日々の
 喜びを
  奪い取ってこなければならない。
この世で
 死ぬことは
  難しいことじゃない。
生きることをもっと
 ものすごく困難なことにするんだ。

*V.タラソフ『時よ、前進だ!』(1977)

*Маяковский, Владимир Владимирович (1893-1930)

10 8月 2015

ゲンナージイ・アイギの詩

初公開:2014年1月28日
更新:2015年8月10日

いまではいつも雪が(1978)

n.b.に
雪のように あることである「神」
そして 雪があること があること
あることである 魂が あるときに

雪 魂 そして 光
こういうものはぜんぶ
死のようにある者たちのように
それらもまたあるということに過ぎない

そこにもあると 認めること
闇の世界にも ある があること
またもや雪が降る時には
「アァ神サママタユキガ」
あるということが どうしてありうるのか

実際のところ ないのだ
死体のように あり かつ ないものなのだ

あぁ 「ハリボテ=国家」というものがある 疑いの余地なく あるのだ
「国民」が ない ことを意味する
ことばなのならば

では ある とはいったい何なのか
そのせいで ここに これがあるような あるとは
そして 「貌」はあたかもただ
「闇と貌」の国だけがあるような
そんなハリボテなのだ

「時代—そんな—死体

ひとつの ある ことがある
それはつまり ない ことでもあるが
アァ、神サマ、マタ、ユキガ!
あるものがあるように それらは ない
ただ「死にみの国」であるに過ぎない

あり かつ ない ことがこうして ある
そしてただこのために ある
だが ただただ ある ことである

魔法で起きたかのように 一瞬 竜巻がある
「死性の国」はなくなる
あぁ神さままた雪が
魂 雪 そして 光

あぁ神さままた雪が

それらがないこと があること であれ
雪だ わが友 雪だ
魂と光と一片の雪

あぁ神さままた雪が

そして あること である雪が あること

ここ(1958)

木立のなかの茂みのように ぼくらに見つけ出されたのは
ひとを隠し守る
そんな隠れ家の謎

そして生命は森へと続く道のよう 己の中へと閉じこもり
ぼくには「ここ」ということばが
生命の暗号と思われ始めた

そのことばは地をも天をも表している
影のなかにあるものをも
ぼくらがこの目で見ているものをも
詩のなかでぼくにはとても 語ることなどできないものをも

不死の秘密を明かすことなど
しょせんは 冬の夜に照らされた
茂みの謎解きに過ぎないのだ

雪の上の白い小枝の謎解きに
雪に落ちる黒い影の謎解きに

ここではすべてがお互いに呼び交わしあっている
原始の偉大なことばでもって
まるで生命の桁-外れに自由な部分が
(いつも偉大なことばでではないけれど)
隣りの決して消えぬ部分に 答えるように

ここ
静まりかえった庭にある
風に壊れた枝の端
ぼくらは探し出しはしない
畸形の樹液の凝結を
その凝結は 痛ましい姿にも似て

ある不幸の晩
磔にされたひとを抱いている

そしてぼくらは知らないのだ 他のものより
偉大であっただろうことばを そしてしるしを
ここで ぼくらは生きており ぼくらは ここでこそ 美しい

そしてここで黙り込み ぼくたちは現実(うつつ)を掻き乱す
だがもし 現実との決別が辛く困難なのならば
そのときは生命が その決別に割り込むだろう

まるで 自分で勝手に発されながらも
ぼくらには聞こえぬ知らせのように

そして ぼくらから退いたあとも
水のなか 茂みが映り込むように
知らせは隣に居座るだろう ぼくらなきあと
座を占めるため
ぼくらにのこるは役目を終えた
ぼくらの 場所

ひとの占める空間に
とって替わられるのは
ただ生命の占める空間だけであるようにと
いつ どんなときも

コンスタンチン・イワノーフ(チュヴァシ語)

Эс пирĕнтен те çамрăкрах,
чăваш поэзин чаплă ашшĕ.
Эс - иртнĕ кун. Çав вăхăтрах
эс халăх кăмăлĕн малашĕ.

Эс - пирĕн аслă çĕнтерÿ,
эс - пĕтĕм çут çанталăк панă
асамлă вăй, тĕлĕнтерÿ.
Çĕр-шыв хăйне санра упранă.

Эс, çÿллĕ пăнчă пек,- пĕрре.
Çĕршер çĕрте асра тытмалăх
сан сассупа историре
ялан калаçĕ пирĕн халăх.

あなたはわたしたちより若いのだ
チュヴァシ詩の 偉大な父なる人よ
あなたは過ぎし日 だがあなたは
民衆の未来の理想でもある

あなたは わたしたちの偉大な到達点
あなたは 輝ける全き世界の王
魔法の力であり 驚異である
大地そのものが あなたの中で 守られていたのだ

あなたは一人 あたかも高き点のよう
この世には 記憶に留めておくべきものが百もあるが
歴史のなか あなたの声で
呼びかけられてきたのはいつも 我らチュヴァシの民

風に舞う紙切れ(1984)


「…とめどなく変わり映えのない手紙を書いていたかった。『もうだめだ なぜかこうなってしまったんだ。生きることはなにかそんなような感じのものではないようだし 理由などわからないし わたしはといえばまるでずっと気が狂ってるみたいで』と こんなことは誰にも言えやしないし 終いまで読んでくれ これを拾う誰か いま似たようなことを何か考えている人かもしれないし まさかどうでもいいわけではあるまいに これがわたしなのかきみなのかということが 終いまで読んでくれきみがぼくに宛てて書いているかのように。『すっかりわかりかけてきてる あてどなさのようなものが それは固有のものかもしれないし ぼくが持ち合わせているものかもしれないし ぼくは生き長らえていくのだろうし よくわからないけどそうしなきゃいけないみたいだから ぼくはずっと頭がおかしいみたいで…』」

朝焼け:窓のむこうの白樺(1967)


そしてまるで 「無限ヘト-ノビル-絹糸」のよう 
底しれず パチパチと爆ぜ: ボクノセイデ 病んでいる 
「神ト-トモニ-魂ヘト向カウ-ヨウニ-叫ブモノノ-ホウヘ」!— 
庭から 眩ませるのは: 

拡がりながら!— 

恐怖に まるでナイフで切り裂かれたような恐怖にまで至る

なでしこの花 — 「すべて」のあとに (1982)

パウル・ツェランの記憶に 

じゃあ 「しろさ-ぁ」?… 

( ボクハ イナイヨ ) 

じゃあ 「し-ぃろさ」かぁ…

*Айги, Геннадий Николаевич (1934-2006)

03 8月 2015

青山真治演出『ワーニャおじさん』

2014年12月21日に、笹塚ファクトリーで上演された青山真治演出による『ワーニャおじさん』についての感想文です。
感想をまとめる時宜を失したままでしたので(工藤の怠惰のせいです)、上演後友人に送ったメッセージを編集しながら転載します。いまさらですが。

2014年12月22日
00:24 青山真治の『ワーニャ』、最高!ではないけど、みて良かった感じ。どうしてもマールイ劇場(ペテルブルグ)のと比べてしまうから酷な話ではあるけど

00:24 いま『ワーニャ』をやるとしたらソーニャが強くなきゃいけない、という認識は青山も持っていて、でもその強さの表れ方がすごく日本っぽくて

00:24 ロシア人ver.だとソーニャに弱いんだけど強がってる感じが出てて、それはそれで泣けるんだけど、青山の演出だとソーニャがまるでロボットみたいな喋り方をするんです。日常にすっごい耐えて耐えているうちに感情を殺すことを覚えてしまった感じの。

00:24 それで最後にその殺していた感情のストッパーが外れてワーニャの頭を足で蹴るシーンがあった、そこに彼女の全部の感情を持っていってて、すごくよかった。

00:25 ワーニャの役者もすごくうまかったよ。ソーニャと同じく日常で抱え込んでしまった不甲斐ない思いをすべて語尾に「〜(笑)」をつけてなんとか慣れようとする感じの喋り方で、これが、うまかった。

00:25 日本でいま上演するに際してよく練られた感情の出し方だったと思う。日常に耐えて耐えてついにはその歪みに耐えられなくなって精神病的なやり方ですべてを吐き出してしまう。

00:25 それで、SFっていうのは心配してたより前面に出てはなかったんだけど、でも「教授先生と新妻」は、異世界の惑星に降り立った地球人のようなものなのかな、とは思った。確かに衣装的にも、全員がツナギを着ている中でその二人だけは(ツナギを着てるけども)コートを羽織ったりレースをつけたりしている

00:27 「他者」の視点の提供者です

00:30 あとジンワリきたのが、最後の「そして、ゆっくり休むの。」みたいな台詞が、「息をつくの。」という訳になってて、生硬だなあとおもったけど、何度も聞いてるとそんなことはなくて

00:31 「息をつく」= 1,休憩する 2,息を尽く(死) 3,呼吸をする
の三段階の意味層があって、それっていうのはロシア語でも

00:35 отдыхатьというときに、1,休憩する 2,от+духで呼吸(生)からの離脱
という少なくとも二層の意味があるようにみえるのと対応してるんかな、と思った。

01 8月 2015

タルコフスキー×タルコフスキー

ほら 夏がやってきた
こんな夏はいままでなかったみたいで
日なたは暖かいのだけれど
ただ それでは足りない

起こりえたことはすべて
5本指の葉のように ぼくに
ぼくの手に真っ直ぐ落ちてきた
ただ それでは足りない

よくないことも よいことも
ただ徒に無駄になったのではない
すべては明るく輝いていた
ただ それでは足りない

生命が翼の下に連れていく
守って そして救ってくれた
ほんとうに ぼくは運がよかったのだ
ただ それでは足りない

葉に火は点けられず
枝は砕かれなかった
日は ガラスのように 洗われて

ただ それでは足りない


*息子のアンドレイの『ストーカー』(でしたっけ)で引用されていた父アルセーニイの詩篇です。