08 1月 2017

ヴィクトル・クリヴーリンの詩

ロシヤのイデヤ

灰色の雪のなか死んだ木々
それから2羽の孤独なカラス…
ロシヤのイデヤ、たぶん敵にさえ
平等でオープンな
刈りそろえられた刑罰の丘 そんなことをできる限り
意識に染み渡らせる
ロシヤのイデヤは頭のなかにあるものでも
何らかの精神的な領域にあるのでもない
それはここにある、顕現している、果てなき茂みにある
魂との危険な隣りあわせだ
魂の境界がどこにあるのか
どこまで己でどこまで他なのか、魂は知らない。

1月9日の庭

ここは埃まみれの庭、印が捺された
書類に似ている 庭は
こんなにも悲しげで... おれは出てゆく。通り抜けてゆこう
錆びた柵に沿って 
いつだったか5ヶ年計画のある年に
なぜかしら冬宮から
労働者村へ ペテルブルグから
レニングラードの心臓部へ 移されて
この柵はこんなレベルの貧窮と
荒廃にまで至ってしまった
瞬く間に過ぎ去るヴィジョンのように
清らな美しさそのもののように
隣に工場の空気が寄り添っていたので。

よい刻にテレビが点いて

黄昏れて。カラスが一声カァと
別れを告げる。そして静まりかえる。それで今は
気体のドアがため息を吐き
トラムの車輌は隠されている
林の木々のあいだに。すべての
郊外へ向かう道路からたったの一人も
無傷では帰ってくるまい!左からくるこの
寝室でさえも… 昏くなった。おれにはむずむずするような
静寂がもっとよく聞こえる。不意の、燃えるような…
いいタイミングでテレビが点いたものだ!
そうだ、その声は救いだ、眠りのように
何千回も繰り返された眠り。 

時間のフルート

通りすがりの者が後悔するのは
生きとおした時間ではなく 眼もくれずやり過ごした時間のこと
音楽は静寂(しじま)に似ているが
静寂の心臓は 悲しみにも打ち負かされない

はっきりしない平坦な 足音のざわめきにも…
雑草生い繁る広場の上に、
近衛宮殿がすっくと立つ
気狂いフルートがこだまする。

山羊に似た軍隊が走りゆく。
ほら、准尉のマルシュアースが
  ぴょんぴょん跳んで笛を吹く
ほら、音楽だ。息抜きじゃない、息切れさ
ほら、擦り切れた毛皮。旗のひらめき
  のなかに!

通りすがりの人が、軍人じゃないのに
パレードの傍に忍び込む…
だが音楽は 静寂(しじま)に満たされ
凝固した琥珀のなかの虫のように

脆いうごめきをあたかも保っているかのよう
身動きは奪われているのではあるけれど…
通りがかりのものに ベルトと刻を
こっちでは貴なるフルートが飛び去ってゆく!

ほとんどあの世から聞こえてくるような
その叫び刺々しく耳を貫く
その叫びは蝶と蠅の音なき海のなか
縦列を組む新兵の
  一群のなかで

満ち咽び 咽び満ちる…
そして音楽の苔むした黒い幹が
棘となって通りがかりのものの内に入りこんでしまった
メロディといううごめく蛇に巻きつかれたまま。

(1972)


Виктор Кривулин. (1944-2001)