ロシア宇宙主義2017

最終更新:2018年1月7日

2017年、われわれ(誰)は紛れもない「ロシア宇宙主義」イヤーを目撃しました。疑いもなく、いま全世界規模でロシア宇宙主義がキています。この全人類的なプロジェクト=事業をただ静観していることはできません。そういうわけで、私なりにこの記事を書くことで、宇宙主義に燃料を投下することにしました。この記事を書く目的としては、乖離してしまっているロシア界隈における宇宙主義と、アート界における宇宙主義の橋渡しをしたいということがあります。
文中「★」印部はリンクになっています。

 #ロシア宇宙主義イヤーとしての2017@日本

日本でも遅滞なく、宇宙主義に関係するイベントが何回か行われました。

*ボリス・グロイス「ロシア宇宙主義」翻訳(上田洋子訳、『ゲンロン』〈2〉所収、2016)
+ ★ボリス・グロイス氏来日レクチャー(2017年1月20-21日)
+ MADレクチャー「★無限を探して―ロシア宇宙主義と美術館」(講師:ロジャー・マクドナルド氏、11月16日)
+ アントン・ヴィドクル「ロシア宇宙主義:三部作」上映@★ASAKUSA
+ アントン・ヴィドクル氏座談会(12月17日)

などなど、以上はわたしが参加したもののみ挙げてみましたが、5つのうち3つ(グロイスとヴィドクル)は浅草のギャラリー「ASAKUSA」の周りのプロジェクトのようですから、この熱意に本当に頭の下がる思いです。

 #ロシア宇宙主義リヴァイヴァル

さて、このアート界における宇宙主義ブームの端緒はどこにあるのでしょうか。

2人のキーパーソンがいます。ボリス・グロイス(Boris Groys;1947-、ロシア出身のアートクリティーク)とアントン・ヴィドクル(Anton Vidokle;1965-、ロシア出身のアーティスト)です。
(いま出生年を調べていて、この二人にはほとんど一世代ほどの開きがあるということを知りました。ヴィドクルが宇宙主義について知ったのは、グロイスから聞いたのが最初だったそうです。)

グロイスは、もともとソ連後期のコンセプチュアリズム(コンツェプトゥアリズム)を同時代的に批評することで名が知られるようになりました。そもそも“コンセプチュアリズム”なる用語も、彼の「ロシアのロマンチック・コンセプチュアリズム」(★拙訳;1978)という論文によって広く知られるようになったわけです。日本では長らく彼の著作としては『全体芸術様式スターリン』(Gesamtkunstwerk Stalin、1988;亀山・古賀訳、現代思潮新社、2000)の一冊しか知られていなかったので、ロシア現代アート(あるいはアヴァンギャルド)の批評家という側面が表立っていたきらいがありますが、そもそもすでに80年代には彼は西ドイツに亡命しており、そこからグローバルにアートクリティーク、キュレーターとして活動していきます。2017年のグロイス来日に合わせて、『アート・パワー』(石田・齋木・三本松・角尾訳、現代企画室、2017)が翻訳・出版されました。日本語で読めるグロイスについては★こちらにまとめました。

ヴィドクルは、モスクワに生まれ、アメリカで教育を受けたアーティストです。アーティストとして数々のプロジェクトを手がける一方で、★プラットフォームe-fluxの創設者の一人としても知られます。

契機としてはおそらく、以下のような諸事実があります。

+ ロシアにおける«Русский космизм. Антология. (Russian Cosmism: An Anthology.)»(Ад Маргинем (Ad Marginem), 2015)出版。(★関連するトーク動画
+ アントン・ヴィドクル「ロシア宇宙主義:三部作」(2014-17)の上映@ベルリン(2017年9-10月@HWK)、ロンドン(2017年10月@テート)、東京(2017年12月@ASAKUSA)他。
+ e-flux journal “Art Without Death: Conversations on Russian Cosmism” (Sternberg Press, 2017)
+ グロイス+ヴィドクル編 »Kosmismus« (Matthes & Seitz Berlin, 2018近刊)
+ グロイス “Russian Cosmism” (MIT Press, 2018近刊)

粛々と、ロシア宇宙主義が既成事実化していくのをわれわれは目の当たりにしています。

 #日本におけるロシア宇宙主義の受容

ヴィドクル氏の座談会でも話があった通り、宇宙主義のオリジネイター=ニコライ・フョードロフの死後の主著『共同事業の哲学』は、1943(昭和18)年に白水社から抄訳が出版されています(ヴィドクル氏はこれが翻訳としては世界初だと言っていましたが、真偽はわかりません)。この事実ひとつからもわかるように、数は多くないけれども、日本のロシア界隈には、すでに宇宙主義についての研究が存在します。

まずは、主要な文献のリストを挙げます。

 〈概論・アンソロジー〉
・セミョーノヴァ/ガーチェヴァ編『ロシアの宇宙精神』(西中村浩訳、せりか書房、1997):ロシア宇宙主義についてまず一冊、というのであればこれがおすすめ。ただし値段が高騰中。
・グロイス「ロシア宇宙主義」(上田洋子訳、『ゲンロン』〈2〉所収、2016):コンパクトにまとまっています。先に触れたグロイス編«Русский космизм» (2015)の前文。

 〈一次文献〉
・セルゲイ・ブルガコフ[ブルガーコフ]『経済哲学』(島野三郎訳、改造社、1928)
★フェオドロフ[フョードロフ]『共同事業の哲学』(抄訳;高橋輝正訳、白水社、1943):ブルガーコフの訳者島野氏および本書の訳者高橋氏は、戦中は南満州鉄道(満鉄)のロシア関係部署で働いていた人たちのようです。島野(嶋野)については、★拙稿を参照してください。
・『文藝』(河出書房新社、1993年夏季号)「特集:ユートピアとしてのロシア」→フョードロフ(安岡治子訳)「共同事業の哲学」(抄)収録。その他対談等。ちなみにフョードロフの弟子のコジェーヴニコフが哲学者コジェーヴの親類だっていう説は、裏付けがないと思うんですけど……
・ケドロフ『星の書物』(渡辺・亀山訳、岩波書店、1994)
・ セミョーノヴァ『フョードロフ伝』(安岡・亀山訳、水声社、1998)
・フロレンスキイ『逆遠近法の詩学』(桑野・西中村・高橋訳、水声社〈叢書・二十世紀ロシア文化史再考〉、1998)
・ボグダーノフ『信仰と科学』(佐藤正則訳、未来社、2004)
・ヴェルナツキイ『ノースフェーラ』(梶雅範訳、水声社〈叢書・二十世紀ロシア文化史再考〉、2017)

 〈二次文献〉
・亀山郁夫「停滞と復活:フョードロフからの系譜」(青土社『ユリイカ』1996年8月)
・佐藤正則『ボリシェヴィズムと〈新しい人間〉』(水声社、2000)
・ガーチェワ「ドストエフスキーとフョードロフ:精神的血縁性の系譜」(安岡治子訳、青土社『現代思想』、2010年4月臨時増刊)
・ラリュエル「運命としての空間」(平松潤奈訳、『ゲンロン』〈7〉所収、2017):ユーラシア主義と宇宙主義の関係について。
その他、フョードロフ研究として飯島康夫、小俣智史両氏の論文等がある。

 〈フィクション〉
・ボグダーノフ「不死の祭日」(西周成訳、アルトアーツ、2016)
・伊藤計劃/円城塔『屍者の帝国』(河出書房新社、2012)

 〈その他〉
・ロシア革命批判論文集 ①『道標』②『深き淵より』(現代企画室、1999)
・御子柴道夫編『ロシア革命と亡命思想家』(成文社、2006)

以上、2017年12月現在です。 

いままではどちらかというと、宗教思想寄りの紹介のされ方をしていた(セミョーノヴァや亀山郁男、中沢新一など)のですが、上田洋子氏がグロイス「ロシア宇宙主義」の解題で述べているとおり、グロイスによる紹介はより社会主義に近く、唯物論的な考え方に重きを置いています。

 #ロシア宇宙主義とは

 (以下、わたしが一部書いた★wikipediaの記述と筆跡が似るのをご承知おきください。)
ロシア宇宙主義(Русский космизм;Russian Cosmism)の草分けとされるのは、ニコライ・フョードロフ(Николай Ф. Фёдоров;1829-1903)です。もともとは学校の教師でしたが、後にルミャンツェフ博物館附属図書館[モスクワのロシア国立図書館の前身]で司書として働き、その後は一介の図書館司書という姿勢を生涯貫いていました。彼は生前には一冊も本の形では出版せず、自分の思想については知人への手紙や新聞等への寄稿で時折表すほか、司書としての仕事のなかで出会う人に口伝したりしていたようです。

彼の思想が広まった理由は、彼の「知人」たちに当時のロシアのビッグネームが多かったというのが一番大きいと思います。トルストイ、ドストエフスキー、哲学者ソロヴィヨフ、のちの科学者ツィオルコフスキーなど、当時(も今も)随一の知識人たちが、フョードロフの思想に賛意を示し、影響されていました。唯一の主著『共同事業の哲学』(Философия общего дела, 一巻1906・二巻1913)はフョードロフの死後、弟子を自認したコジェーヴニコフとペテルソンによって自費出版され、無償で頒布されます(このあたりもフョードロフらしさを貫いているわけですが)。

宇宙主義の中枢をなすイデアは、〈共同事業〉(общее дело; the common task)という言葉で言い表されます。その中身としては、雑駁に言って3点あります:①不死の実現②すべての父祖の物理的復活③血縁性(родство; rodstvo)の回復。フョードロフは大変わかりにくい、混乱した文章を書きますが、だいたいこの3つをめぐって論が展開していると言っていいと思います。

人間はまだまだ無限の可能性を秘めている。もっとやれる。だけれども、「真に偉大なこと」を実現するその道半ばで我々は死んでしまう。だから(?)死は端的に間違いである。実直に進歩していけば、人間は死なない。不死への道を妨げるのは何ものか? それは非親和、非血縁性、個と個の間(個人主義)・父と子の間(放蕩)の断絶といった近代主義の生み出した弊害である。だから(?)我々は自然に打ち勝ち、父祖の復活を成し遂げることで、父祖たちへの責任を果たし血縁性を回復すべきなのだ。それもすべての父祖の復活を通して。そして個は全に融解し、世界は完全になる。――おおまかにフョードロフのプロジェクトはこのような線をたどります。

この奇想を覆い隠すかのような一見強靭な(〜だから~、だから~・・・)、しかし隙だらけの論理は、フョードロフ、あるいは宇宙主義の魅力的な点の一つでもあります。

そしてフョードロフの思想は、徐々にロシアの文化界に隠密に、あるいは顕らかに、受け入れられていきました。宇宙主義の特異性を語るときに、こうした受容を通しフョードロフの思想が拡散していったことのみならず、受け入れられた先で現実に介入する力をこの思想が得ていったことは特に指摘しておく必要があります。

 #ロシア宇宙主義の発展

フョードロフ以後の宇宙主義の発展ですが、まず哲学・思想の界隈では、ソロヴィヨフフロレンスキーS・ブルガーコフといったキリスト教正教会神学を背景にもつ神学者・思想家たちへの影響がありました。そもそも「復活」や「不死」といった考え方は、キリスト教が得意とするところですから、受け入れられたことに無理はないと思います。それぞれが大変に特異な人々で、彼らについて詳しく述べている紙幅がありませんので、ここでは省略します。

宇宙主義は、自然を克服し人間の能力の最大化を図るという点で、科学の世界に親和性が高く、科学者の中にも賛同者をつくりました。代表的な人物としては、先述したツィオルコフスキーや、ヴェルナツキーが挙げられます。ツィオルコフスキーは、史上初めて人類が宇宙へ出る可能性を科学的に検討した科学者です。彼のつくった理論が、のちにソ連の宇宙開発の基礎になっていくわけで、ここにおいて宇宙主義は現実の問題となります。ヴェルナツキーは鉱物学者ですが、彼(やテイヤール・ド・シャルダン)の提唱する「ノオスフェーラ(ノウアスフィア)」(精神圏・叡智圏)の思想は、宇宙主義の流れにおいて一時代を画しました。

また政治的な局面でも、宇宙主義は受容されていきました。20世紀はじめのロシア革命の時代には、新しい社会の建設が目指される中で、様々な場面で新しい人間像が模索されていきました。ここで社会主義思想と宇宙主義は接点をもちます。政治関係者のビッグネームとしては、ボグダーノフルナチャルスキーなどの名前が挙げられるでしょう(ほかムラヴィヨフなど)。ボグダーノフは、自ら主唱した〈プロレトクリト〉運動のなかで身体の改造を唱え、晩年は全プロレタリアの輸血による血液交換を主張し、自らも輸血実験中に命を落とします。ルナチャルスキーは、アヴァンギャルド運動の理解者として知られますが、〈建神論〉(Богостроительство;全宗教に代わる宗教としての社会主義、その中で人間は神になる)を唱え、ボグダーノフともプロレトクリト運動のなかで協働していました。彼らプロレトクリト一派は、レーニンに毛嫌いされたこともあって後年速やかに失速していきます。
[*この文脈でよく触れられる「cosmo-immortalists党(?)」について文献で確認できなかったのですが、(そもそも共産党一党独裁のなかで「党」という言い方はおかしくて、「派」とかにするべきだと思うのですが、)ロシア語でこの派閥はなんて言うのでしょう]

その他文化面でも、ロシア・アヴァンギャルドのアーティストたちの一部や、作家A・プラトーノフなどはまともに影響を受けていますし、後年になるとパステルナークタルコフスキーソクーロフなど現代に至るまで隠然とその影響は見られます。

その他、宇宙主義内部の文脈としては、グロイスは他にA・スヴャトゴール(バイオコスミズムの主唱者)の名を挙げています。また、宇宙主義研究者セミョーノヴァとガーチェヴァが『ロシアの宇宙精神』の原著«Русский космизм: Антология философской мысли (Russian Cosmism: An Anthology of the Philosophic Idea)» (1993)の中で挙げている人物名は、★wikiの方に列挙してありますので参照してください。

 #ロシア宇宙主義の可能性

宇宙主義の可能性として自分基準で考えるとしたら、以下の3点になるでしょうか。

オプティミズム:まずどうでもいいことかもしれないのですが、宇宙主義は基本的に楽観的な思想です。まだ技術力や人間の進歩というものを素直に信じ、信頼できた時代の産物だからでしょうか、そこには発展や進歩、人間の可能性についての非常にオプティミスティックなベースがあります。「この・今ここの」現実だけではない世界像を、大きな大きなスケールで提示すること。これはあらゆる芸術の専売特許かもしれないものですが、宇宙主義にも確かにこれが感じられます。ただし、この心地よさに身を任せるだけではおそらく良いわけはなく、どう批判的に解釈し受容していくかが今後問われていくと思います。

ミュージアム論・図書館論:近年の宇宙主義ブームでもっとも注目されるところがここです。グロイスが国立近代美術館における浅田彰とのトークで触れていたり、ヴィドクルも三部作の最後「全人類に不死と復活を!」で強調しています。フョードロフによれば、ミュージアムは死者の復活のための装置である。単なる倉庫でもなければ、生者のためにあるものでも、実はない。人間の生きた証をすべて収集し、子の世代の父祖崇敬の拠りどころとし、究極的にはミュージアムからすべての父祖が甦りを果たすこととされています。経済的・文化的な緊縮の状況が続くなか「いま、ここで役に立つ」「(いま生きている)みんなのための」ミュージアムが求められる昨今において、生者ではなくむしろ死んだ者のため、そして死者の復活のためにあるミュージアムを主張するフョードロフの主張はラディカルですし、ミュージアムの概念を捉えなおす契機を与えてくれます。図書館についても、自分(とフョードロフ)が図書館で働いているので挙げてみましたが、論旨は同じです。

共同体論:これに関してはもう少し慎重な検討の時間が必要だと思いますが、フョードロフの考え方をもとに共同体論を更新できる可能性もあるのではないかと漠然と思っています。フョードロフの思想の根底にあるものは、人間を分断に追いやった近代的な思考の批判的再検討であり、そこには「共にあること」についての独自のアイディアがあります。のちに述べるフョードロフ思想の危うさも踏まえた上で、現代フランス思想などに顕著な共同体論をロシア宇宙主義からの視点でもう一度考え直すこともできないでしょうか。 [*関連して、「記憶」についての思考にも新しい考え方を与える可能性もある]

 #ロシア宇宙主義の限界と突破点

以上のように、多様な可能性を宇宙主義から汲み取れる一方で、この思想の弱点、突破すべき点も存在します。私が考えるものとしては、以下の通りです。

保守性:フョードロフ自身の思想は、基本的には保守的な思想であると言っていいと思います。フョードロフは、子の父に対する責任や父祖崇拝を強調し、〈専制〉を父(皇帝)と子(臣民)が成す理想的な政体とみなしています(ずばり『専制』という題の論文を書いています。彼の言う〈専制〉が現実のそのままの「専制」かというと、必ずしもそうとは限らないようですが)。また、彼の思想は基本的に男系です。彼が祖先崇拝という時は、常に「культ отцов-предков (父=祖の崇拝)」というニュアンスがあります。母ではなく、父です。братство (兄弟愛)、отечество(父性=祖国) といった用語も、また男系のものです。とはいえ、この思想のポテンシャルは、のちに換骨奪胎されるなかで、そのエッセンスが共産主義や革命の文脈で復活していくところにあると思いますので、何らかの方法で乗り越えることは可能だし、今後必要だと思います。ちなみに2017年末に出た『ゲンロン』7号に掲載されたラリュエル「運命としての空間」が、宇宙主義と保守思想である(新)ユーラシア主義の関係性について論じており、このテーマでは恰好の文献と言えます。

全体主義・改造主義:①ともつながるのですが、宇宙主義の「みんなで一つに」的な考え方は、容易に全体主義に陥りがちです。この手の合一の思想は、キリスト教でもなんでも、個を滅し、全に奉仕するという方向に傾きがちですが、わたし個人としては、そこに危うさを感じざるを得ず、それでは個を尊重しつつ可能である宇宙主義のあり方とは、という疑問も持たれるべきだと思います。また、フョードロフはあっけらかんと「自然を克服する」というのですが、あまりに隙のある言い立てではないかと危惧されます。

オカルティズム:最後にもっとも当然の疑問かもしれませんが、宇宙主義はオカルティズムではないのかと問うこともできます(オカルティズムを貶める意図で言うのではなく)。わたしは明確にこれを否定することができません。おそらく一種のオカルティズムには違いないのだろうという考えもあります。それでも、宇宙主義の可能性は、これが宗教や文学的な想像力の中に止まることなく、現実の政治・科学・歴史に明確な痕跡を残しているというところにあります(しかも単なる陰謀論ではなく、事実として)。その理由を問い直すところに、宇宙主義の可能性もまた、存在するはずです。


……以上、ロシア宇宙主義という特異な思想のイントロダクションになれば幸いです。もちろんすべて個人の見解で、今後修正すべき点も出てくるだろうとは思うのですが、現時点でのまとめでした。今後わたし個人としては、不死の思想の協働ということをぼんやりと考えていきたいと思っています。「死なないこと」の思想=例えばブランショ(死の不可能性)や荒川+ギンズ(死なない身体)など。なんせ勉強が足りないので、たくさん本を読まないといけません。楽しみです。


*なお、フョードロフの翻訳を細々と続けています。★私たちのzine『ゆめみるけんり』に連載されています。→https://droitdeyumemir.blogspot.jp
vol.1(2017)★には「著作者の権利と著作者の責任、あるいは義務」という著作権に関する論文
vol.2(2018)★には「著作者の義務と、博物館=図書館の権利」というミュージアム・図書館論の前半
……を掲載していただきましたので、興味があれば購入していただけると嬉しいです。紙版もありますが、とりあえずはKindle版でどうぞ。最後に宣伝で失礼しました。フョードロフはきっと怒るでしょう。

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