12 7月 2017

ワシーリイ・ローザノフ『孤絶して』(抄)

ワシーリイ・ローザノフのエピグラム集『孤絶して』(Уединенное)より。途中で飽きたので、とりあえず。

『孤絶して』(抄)




夜半に風が騒ぎ、葉が運ばれてゆく…。生なるものも同じように、速い時の流れの中で私たちの心から、叫び、嘆息、ぼんやりした思い、漠然とした感覚を奪い去ってゆく…。それらは音の断片でありながら、手を加えられることなく、目的も、意図もなく、——造りあげられた部分など片鱗もなく——心からそのまま「散り落ちてしまった」というところが重要だ。ただ「心は生きている」…すなわち「生きた」のであり「息絶えた」ということなのだ…。長いことわたしはこの「思いがけない叫びたち」が、なぜか好きだった。叫びは、私たちのなかに、絶え間なく流れ込んでくるのだが、それを書きつけることは(手の下に紙などない)できないまま、それらは死んでゆく。そして二度と思い出すことはないのである。それでも、多少は紙に書きつけることができたのだった。書き散らしたものがかなり溜まっていった。それでわたしはこの散ってしまった葉、葉を拾い集めることにしたのである。
何のために? 誰に必要だというのだろう?

ただ——わたしには必要なのだ。あぁ、善良なる読者よ、私はもう長いこと「読み手のないまま」書き連ねてきた。ただわたしはそうするのが好きだから。「読み手なし」でどうして出版などできよう…。ただ単に、そうするのが好きなのだ。もし何かの間違いでこの本を買ってしまった読者が本をゴミ箱に捨てたとしても(おすすめは、ページを破かないようにして目を通したら、ページをまっすぐに揃えて、半額で古本屋に売ってしまうことだ)、わたしは泣きもしないし、腹を立てもしない。
読者よ、わたしはお前には遠慮しない。だからお前もわたしに遠慮しなくていい。
「クソが…」

「クソが!」

そしてau revoir(さようなら)、あの世で再会するその日まで。読者と一緒にいるのは、独りでいるのよりもはるかに退屈なことだ。読者は口を大きく開けて待ちぼうけているのだ。君ならどうする? そういう場合、喚き始める直前に、読者はロバに姿を変えているのである。その光景はとてもきれいだとは言えない…。やりきれない…。どこかの「音信不通の友人」に宛てて、または「誰にも宛てず」書くことにする…。


デカダン派の人々がわたしを訪ねてきたことがあったが、夜の1時ころにわたしは実りを得られぬ輩どもを先に解放してやった。ところがわたしときたら、最後に出ていこうとした善良なヴィクトル・ペトローヴィチ・プロテイキンスキイ(夢見がちな先生だ)を引き留めて、ドアとドアの間で見せてやったのだ…。

人間には、脚が2つある。例えばブーツ(ガロッシュ)を例にとろう。5足あると、ひどく多すぎるな、と考えると思う。ところがそのドアとドアの間には、わたしは自分でもびっくりしてしまうくらいちっちゃなブーツがどっさり並んでいたのである。ざっといくつあるか数えてみることもできないくらいだった。それでわたしとプロテイキンスキイは笑い転げてしまったのである。

「いったいいくつあるんだ!…」
「いくつ必要なんだ!…」
わたしはいつも誇りたかく「civis romanus sum(ラテン語。我はローマ市民なり)」と考えている。わたしの家では、10人で食卓を囲む。それと女中が一人いる。みんなわたしの仕事で食わせているのだ。みな、わたしの仕事の周りで世界での居場所を見つけたのである。まったくの「civis rossicus(ラテン語。ロシア市民)」、「ゲルツェン」ではなく「ローザノフ」である。ゲルツェンなぞ「歩き回って」ただけじゃないか…。

プロテイキンスキイに対して、わたしには深い経年の罪がある。プロテイキンスキイは咎めるようなことはせずに接してくれているが、わたしは、ただ疲れてしまったから言っただけだけれど、プロテイキンスキイについて馬鹿な嘲笑のことばを言ってしまったことが一度ある。彼が「決して話を終えることができない」(一つの話し方ではある)ために、わたしは疲れて、最後までじっと聞いている体力がなかったのだ…。しかもその馬鹿なことばというのは、わたしは陰に隠れて、彼がドアから辞去していったときに口にしたのだった。


世に知られないところから、我々の思考はやってきて、そして世に知られないところへ去ってゆく。

第一に:これこれのことを書くときに、座らないでいることはできない。ところがいざ腰を掛けると、まったく別のことを書くことになる。

「座りたいな」から「座った」のあいだに、1分経っただけなのである。部屋をうろうろしていたときとは違う、まさに書きだそうとして腰をおろしたときとさえも違う、この新しいテーマについてのまったく別の思考というのはいったいどこからやってくるのだろう…。



呪わしいあのグーテンベルクがその銅製の舌ですべての作家を舐め上げた。そして作家はみな「印刷のなかで」高邁な精神を失ってしまい、面目を、性格を、失ってしまった。わたしの「私」は手書きのなかにしかない。他のあらゆる作家の「私」も同じことである。きっとこのために、わたしは手紙やノート(子どものころのものさえも)、手書きの原稿を破り捨てることに迷信的な恐怖を抱いているのだろう。だから何ものも破り捨てることはなく、ギムナジウム時代の同志たちの手紙を最後の一つに至るまで保存することにしたのである。残念ではあるが、大量に積みあがってしまっていることを鑑みて、自分の書いたものだけは破り捨てる。——心の痛みとともに、それもごくたまに。

ロシア人をじっと鋭いまなざしで見つめてみてほしい…。彼はあなたを鋭いまなざしで迎える…。それですべてわかってしまう。ことばは何も要らない。

外国人相手だとこうは行くまい。 (街頭で)


ロシア人を愛するならば——教会を愛さずにいることはできない。民衆と教会は一つのものだから。そしてロシア人には、これ一つしかないのだ。 (1911年、夏)


真実は、太陽より高く、空より高く、神よりも高い。なんとなれば、神が真実から発するのでなければ、神は神でなく、空は沼地、そして太陽は銅製の皿にすぎないから。 (下敷き紙の向こう側に)


わたしは必要ではないのだ。わたしは必要とされていないということ、これをわたしは何よりも確信している。 (下敷き紙の向こう側に)



作家活動の秘密は、心のなかで永遠に強いるように流れる音楽にある。この音楽がなければ、人はただ「自分自身を材料に作家をつくりあげる」ことしかできないのだ。だがそんなものは作家ではない…。

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心のなかを何かが流れているのだ。永遠に。絶え間なく。何が? どうして? なぜそれがわかるんだ? それを一番知らないでいるのが、作家なのである。 (古銭学を越えて)



生きることの苦痛は、生きることへの関心よりもはるかに強大だ。そう、そのために、いつも宗教が哲学を打ち負かすのである。 (古銭学)



永遠に夢みながら、常に一つの考えが頭にある。「どうやって仕事から逃れようか」。 (ロシア人)



あらゆる文学は無駄なおしゃべりだ… ほとんど全部… 例外は殺人的に稀だ。



2人の天使が私の肩の上に座っている。笑いの天使と、涙の天使。かれらの永遠の言い争いのテーマは、我が人生。 (トロイツキー橋で)



文学は、鷲のごとく空へと舞いあがった。すると、死んだ文学が墜ちてくる。今やもう完全にはっきりとしているのだ、文学が「探求さるべき目に見えぬ雹」などではないということは。 (透かし紙の裏側に)



笑いは何ものも殺すことはできない。笑いは、ただ締めつけることができるだけである。

忍耐が、あらゆる笑いに打ち勝つのだ。 (ニヒリズムについて)



ひっきりなしに何かをしている、なにか実行している…。 (ユダヤ人たち)



人生において活躍したいだろうか? 影響力を持ちたいか?

いや、特にそうはおもわない。
「きみたちのお母さん」(子どもたちへ)
そうして私たちは静かに生きてきた。一日、また一日。多くの歳月を。そしてこれが、わたしの人生の最良の部分なのだよ。 (1911年2月23日)



さすらい人、永遠に彷徨う者、そしてどこにいてもただ放浪者である。 (ルーガ~ぺテルブルクの車中、自分自身について)



誰が清らな心をもって地に降りてくることができようか? あぁ、我々にはいかに浄化が必要であることか。 (1911年冬)



運命が栄誉を奪い去った人々を、護ってくれるのもまた運命。 (1911年冬)

自己実現に興味もなく、あらゆる内的なエネルギーも持たず、「生への意志」もない。わたしは、もっとも実在的でない人間だ。

「なんだってお前は自分のことばかり考えているんだ。人のことを考えたらいい。」

「考えたくないなあ。」 (ペテルブルク~キエフの車中で)



何を愛してるっていうんだ、変わり者よ? 自分の夢を。 (電車で、自分自身について)



心が痛む、心が痛む、心が痛む…。

この痛みをどうしたらいいのだろう。わたしにはわからない。

だがこの痛みあってこそ、わたしは生きることを良しとするのだ。

これこそわたしにとって、わたしのなかにある、もっとも大切なもの。 (深夜に)



結婚、結婚、結婚について話しているのに…わたしのもとにやって来るものは死、死、死なのだ。



生きている間ずっと恐ろしいほど孤独だ。子供のころから。孤独な魂たちは、ひそやかな魂。ひそやかでいるのは、疚しいからだ。孤独であることの、恐ろしいほどの重さ。痛むのは、このせいじゃないのか?

これだけのせいではないが。


1年と半年ものあいだ、どうにか生きている。苦しい、悲しい。怖い。何ヶ月かの間、貨幣(古代の、観賞用)を取りだしていなかった。週にたったの50~80ルーブル稼いでいる。それでも書かれたものに対して関心がない。 (1911年12月16日)



終わってゆく、終わってゆく、人生が。止めることはできないし、時期を遅らせてほしいとも思わない。この状況におうじた意味で、すべてがどれだけ変わってきたことか。愉しみも満足もいまやどんなに欲しくないことか。お、どれほど欲しくないことか。気高さが享楽よりも甘くなる時期なのである。考えもしなかった。予想もしていなかった。 (1911年12月21日)



もしも誰かわたしに「開かれた墓陵の上で」賛辞をまくし立てるのなら、わたしは棺桶から這い出て平手打ちをお見舞いしてやろう。 (1911年12月28日)



賞賛に値する人間などいない。すべての人は、憐みに値するのみである。 (1911年12月29)


*ワシーリイ・ローザノフ(Розанов, Василий Васильевич; 1856-1919)。ロシアの批評家、思想家。性愛論でスキャンダラスな名声を博す。現代の作家では、ガルコフスキーが私淑していることが知られる。
日本語訳:『ドストエフスキイ論』(神崎昇訳、彌生書房、1962)

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