13 5月 2017

関竹三郎「ソロヴィヨフ『神人論』の翻訳の批評に就いて」(1918)

岩下の『神人論』翻訳批評(1917)に、翻訳者である関が反論した1918年の論文。

文字起こしにあたり、パンクチュエイションや旧仮名遣い・旧字体に適宜修正を施した。また固有名詞については、必要に応じて現在通用される表記に改めている。

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ソロヴィヨフ『神人論』の翻訳の批評に就いて1

関 竹三郎


 雑誌『聲』第500号に於いて岩下壮一氏はソロヴィヨフ『神人論』の拙訳を批評されたが、自分は大正五年の春あの翻訳の出版を書肆に託したまま露国に向って去り、この秋漸く帰朝したばかりで、先日知人から右の雑誌を送られて初めて拙訳の批評の掲載してあることを知ったので、遅れては居るが今茲(ここ)に答えることにした。

 岩下氏は、元来12回の講義より成立して居るべき筈の『神人論』が何故に11章に終って居るか不可解であると云って、自分の不都合を詰ろうとするかの口吻を洩らして居る、それは尤もであるが、自分はこの講義の公にされた『正教評論』から訳したのではなく、1907年にペトログラードの『公益社』から出版したソロヴィヨフ全集第3巻から訳したのである、それには、第十一章と第十二章とを合してある、そして何故に氏の二章を一章に合したかについて編纂者は説明して居ない、がこれはその中の或る章を省略したのではないから、大した問題ではない。兎に角自分が勝手に合したのではないことを承知して貰いたい。

 それから岩下氏は、原書に於て「精確な意義を有する思想上の文字を漠然と訳し去った」とか、「原著に就いての文献的説明に一行をも費やさぬ」とか、またはその翻訳に添えた我輩の書いた序文と小伝とに「少からぬ誤謬と不精確とがある」とか云って、攻撃して居るが、何処が漠然と訳し去った点であるか、何処に誤謬と不精確とがあるか、一向指示していない、「学術書の翻訳者としての責任を無視している」と無理な詰責を自分に加えた岩下氏こそ批評家としての責任を無視して居るではないか。僅々二頁の小伝に対して精(くわ)しきを要求する岩下氏は随分無茶な註文をする人である。もし精しく叙述したら、それは小伝ではなくて詳伝である。それにしても自分の書いた小伝中に誤謬は決してないと確信して居る、もしあったら一々指摘して正誤して呉れるが批評家の義務ではあるまいか、ただ誤りであるでは批評にはならない。また「漠然と訳し去った」と漠然云ったのみで、如何に訳せば的確であるか、尠くも何れの点が原書に対して漠然と訳されたかを指示しなくては批評の価値がない。兎に角自分は忠実を旨として翻訳した積りではあるが、論ずる事柄が簡易でない以上、自分の翻訳ももちろん御茶漬さらさらとは読めない筈である、併しながら「漠然と訳し去った」と云う非難は思いがけなかった、但し西洋文と日本文との性質の差異上、どうしても翻訳が原書に比して分明を缺くかの感を与えるのは、止むを得ないと云うことは承知して貰いたい。

 此(かく)の如く岩下氏は、誤謬があるとか不精確であるとかまたは漠然と訳し去ったとか、云い去ったのみで事実を指摘しなかったが、唯一ヶ所明瞭に指摘した処がある、それは自分の序に「神秘とは主観と絶対との直接交通を云う」と定義して、ソロヴィヨフをこの意味に於ける露国唯一の神秘論者であると呼んだのを、「正しくない」と指摘した点である。そして岩下氏は「彼はmystiqueとmysticismeとの両語に特別の意義を賦して、区別している。前者は上述の定義(自分[関]の与えた定義)に当るもので所謂忘我(extase)の境に入るもの、後者がソロヴィヨフの主張する、キリスト教の信仰に基いた霊的交渉を意味し、他の所では、彼はこれを神智(theosophie)とも称している」と注釈した。その注釈こそ実に「正しくない」のである。これによって見れば岩下氏は啻(ただ)にソロヴィヨフの重要思想を解していないのみでなく、普通の哲学上の述語さえ誤解して居るようである。普通文義上の解釈に従ってもmystiqueとは或る精神作用を云い、mysticismeとはその作用を以て真理を知るの唯一もしくは主要なる方法と見るところの主義または思想の傾向を云うのである、即ちmysticismeを採る人は必ずmistique[mystique]に基いているのである、misticisme[mysticisme]は採るがmistique[mystique]は採らぬと云うのは、恰も菜食主義は採るが菜食は排すると云うと一般矛盾の極である。またソロヴィヨフ自身もブロクガウス・エフロン社出版の『百科字彙』2 に於て「ミスチカとは経験、純粋思想、伝説、教権等の通常の認識方法を超越して、認識の主観と認識の絶対的対象——万有の本質または神との直接交通を云う、而して斯(かく)の如き交通が真理の認識または実現の唯一なるもしくは最も真実なる方法と認められる時、その思想の傾向を名づけて、ミスチシズムと云う」と定義している。これだけでも、ソロヴィヨフがmistique[mystique]を採らずしてmisticisme[mysticisme]を採ったと云う、岩下氏の解釈の如何に誤れるかが解るではないか。

 宗教を信ずる者にして、もしその宗教を一の事実として承認しこれを盲信すれば論はないが、一旦その信仰を理性の光を以て照らそうとする時は、宗教的懐疑に陥るか、然らずんば神秘主義を採るか二者の中(うち)一ならざるを得ない。それで宗教心の熱烈なるソロヴィヨフが神秘論者になったのは自然の数である。但し宗教心の熱烈の程度及び理性の明確の程度によって、神秘主義も種々の形式を採ることになる。が先ずこれを二大別することが出来よう。即ち主として東方に伝播したところの冥想的神秘主義と特に西方即ちカトリック教の神秘論者例之(たとえば)アウグスティヌスなどによって代表せられたる行的神秘主義とてある。而して前者は冥想を主とするのである、即ち認識の主観と直観に入れるところの絶対との直接交通を主とするのであるが、その直観なる精神作用は忘我(Extase)の状態に於て初めて得られるのである、併しながらこの忘我は反執意的な消極的な状態ではなく、この状態に達する為めには一種の修養を要するのである、それ故に神智的(テオソフィー)的知識は、一方には忘我的状態に入る為めの一種の精神物理的方法と、他の一方には神と交通する為めの倫理的甦生(こうせい)とに、密接な関係を有っている、従って神秘主義そのものも遂には思弁界を出でて経験界または実在界に移るのである。而して我がソロヴィヨフは恰も思弁的神秘と実在的神秘とを総合した神秘主義者である、さればオリゲネスは彼れの最も敬愛せる神学者の一人であったが、同時に彼はアウグスティヌスやセネカをも敬愛した、それは彼がダニレフスキー3 と論争した時の如き主としてこの二人を引證したのでも解る、概して彼はギリシャの神秘家よりもローマの神秘家をより多く敬重した。また彼はその神政(テオクラチイ)的理想の近き将来に於て実現せらるることを信ぜるのみならず、これを実現すべく全力を盡したのである。これによって彼が単なる神秘論者でなく、兼ねてまた行的神秘主義者であったことが解るであろう。即ちソロヴィヨフは、我輩の定義した神秘即ち「主観と絶対との直接交通」の可能を信じ、またこれを目的としたのである。彼れが認識論の根拠もこの交通にある、而してその倫理観の究極もこの交通にある、彼れが48年に垂(なんな)んとする一生涯の事業はこの交通、即ち神人結合を実現し世界を霊化し霊を物化せんとせる努力に外ならぬのである。そこにソロヴィヨフの真価があるのである。

 ソロヴィヨフ氏は博士請求論文として提出せんとし、ウラジスラフレフの忠告によって中止し、遂に1877年に至って『文部省雑誌』に掲載した『完全知識の哲学的原理』と名づくる論文中、認識を論ずる条に、直覚の必要を説き、その直覚は人の意志に依存するものでなく、超絶的な観念的実体が内的に人に働くが為に起って来るもので、これを霊感(インスピレーション)と名づける、この霊感なる作用は人をその自然の状態より一種高尚な境界に引上げて、いわゆる忘我(エクスターズ)の状態に至らしめ、かくて吾人の心眼は観念界を直視することが出来ると説いた後、こう云って居る。曰く「これを約言するに、神智学は真実在を対象とし、この真実在と人との内的結合を目的とし、人の諸種の経験(この経験中には神秘的経験をも含んで居る)を材料とするの知識であって、この経験を与うる発動的原因は霊感即ち人間の精神に高尚なる観念的実体の働くことである」(ソロヴィヨフ全集第1巻294頁)と。これによって見るも、ソロヴィヨフの神秘論が、認識の主観と真実在即ち絶対との内的結合を目的としその神秘的共働を基礎としていることは明瞭であろう。岩下氏は忘我によって達せられるような霊交は、ソロヴィヨフのいわゆる神秘でないと云ったが、上掲の如く、ソロヴィヨフ自から霊界との交通は忘我の状態に於て、なし得べきを説いているではないか。右のほか彼れが晩年の大著『善の認容』(是は意義の上より「善の実現」と訳するが穏当なるべし)を読みたる者は何人も、肉の覊絆(きはん)を脱して霊の自由を得、人と人との心的結合をなし、進んで神との自由なる結合に入り、斯くて心的有機体を実現するを以て人生の目的なりと説けるものなることを承認するであろう。実に主観と絶対即ち人と神との内的結合または直接交通と云うことはソロヴィヨフの終始渝(かわ)らざりし大願であったのだ。然るに岩下氏はソロヴィヨフの神秘はそんな意味のものではなく、「ハリストス教の信仰に基いた霊的交渉である」と云う。けれどもハリストス教の信仰に基いた霊的交渉と上掲の意味の霊交と如何に異れるか、岩下氏はその異なる所以を一言も説明していない。凡その宗教は要するに我れと絶対との内的結合または直接交通を目的とするものであると云ってよかろう。内的結合または直接交通せざるハリストス教的霊交とは如何なるものであろうか如何にも不可解である。孰れにしても上述したる所によって、自分が『神人論』の序文に定義した神秘の意義は、ソロヴィヨフの主張する所と一致していることは解るだろうと思う。

 それから岩下氏は、ソロヴィヨフの「最後の結論とは多くの点に於て矛盾する思想」たる『神人論』を「終生渝(かわ)らざる確信であったかの如く」読者に提供したと云って我輩を非難して居るが、我輩の見る所では、縦令(たと)いこの書が後年の彼れの思想と多少矛盾する点があるにしても、この『神人論』と『生活の霊的基礎』と『善の認容』との三書は、ソロヴィヨフの著書中不朽に伝うべき大文字大思想なりと信ずる、また後年ソロヴィヨフの思想には多少変化があったけれども、この三書の大精神は決して渝ってはいないと、我輩は思うのである。我輩はその主要なる思想即ち全一、絶対、ロゴス、観念論等の思想、概してその神秘観に於て彼れは終始一貫したと断言するに憚らない。我輩は多くの公平なる批評家と共に、ソロヴィヨフの神秘論の後年渝りたりと見るは、実は変説にあらずして、前論の補綴に過ぎないと見るのである。この点についてはソロヴィヨフの高弟ラドロフ氏が1905年に雑誌『ウェストニク・エヴロプィ』に於て「ソロヴィヨフの神秘主義について」4 と題して、教授ウウェデンスキーを反駁したる論文中に詳論してある。

 ただ『神人論』を出版し終った歳、即ち1881年から1885年にかけて、ソロヴィヨフはアクサーコフの主幹せる『ルーシ』という雑誌に、旧国粋主義(スラヴャノフィル)と相背馳せる思想を発表した、それから彼は漸々カトリック教に近づき、遂に東西教会の合同を唱えるに至った。それで岩下氏は『神人論』を以てソロヴィヨフの後の結論と矛盾する点があると云うのであろう、またその「出版の年代を無視した」と云って我輩を詰ったのもこの点を言いたいからであろう。けれどもソロヴィヨフの東西教会論には誤謬があると、その高弟等さえ認めている。これは高弟E.トルベツコイ侯の『ソロヴィヨフの世界観』5 第1巻第3篇中に詳論してある。兎に角彼れがカトリックに近づいたと云うことは、決して彼れの偉大なる点でも高遠な点でもない、また況んや新機軸な点でもない。彼れの彼れたる所以の特長はその神秘観と該博な哲学説、特に神秘的倫理説にある、また特に賞嘆すべきは自己の神秘的倫理観を身読したことである。ソロヴィヨフの思想を味う点に於て、『神人論』は重大緊要な書である、それが彼れのカトリックに近づく前に出版されたと云うことは、ソロヴィヨフの根本思想の上に大した問題ではない。 (大正6年12月30日稿)

(了)

《註》

1 :原題は「ソロウィヨフ〜」となっている。初出:『正教時報』7巻2号(正教時報社、大正7年1月20日)、12-18頁。関は、1920年の尼港(ニコラエフスク)事件で多くの日本人とともに殺害されたという(堀川柳人 『哈爾賓日記』(尚徳堂、1934 )を参照)。
2 :1890年から1907年にかけてロシアで出版された浩瀚な百科事典。
3 :ニコライ・ダニレーフスキー(Данилевский, Николай Яковлевич、1822-1885)。スラヴ派の代表的論者。
4Радлов. Э. Л. О мистицизме Соловьева. // Вестник Европы. С-Пб., 1905.
5Трубецкой. Е. Н. Миросозерцание Вл. С. Соловьева. М.: Изд-во Путь, 1913.

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