30 6月 2016

アヴェティク・イサハキャン(重訳)

(アレクサンドル・ブローク訳)

谷間に、サルノの戦さの谷間に、
胸に傷受け、従者が死にゆく。
傷は 焔のよう 闢いた薔薇の花だ
小銃が 手から落ちる

血に濡れた野に きりぎりすが鳴く
瀕死の眠りの抱擁のなか
死を遂げた従者は知る 眠りが誘う夢のなか知るのだ
故国が自由を手にしたと・・・

畑の夢をみている 風に穂がざわめく夢を
夢をみている ジャキジャキと音たて 大鎌が煌めく夢を
少女たちが穏やかに 干し草をかき集めている そして聞こえる
その声はみな 彼のことをひそひそ噂する・・・

サルノの谷の上 雲が鬱々とたちのぼる。
渓谷は涙に濡れた。
打ち倒された者の黒い瞳を啄ばむは
野に舞い降りた 一羽の鷲・・・



(ボリス・パステルナーク訳)

黙として ぼんやりと 亡霊のように ふっと
どこかへ突き進むは 私なる存在
霧ふかき夜の 忘却の海のごと
ただもの哀しい波の跳ねかかる音として
こころは現れる 夢のように 存在したり 失くなったり



愁いに沈み 私は歩いていた 低い山並みに沿って
恋なるおのれの宿命を 嘆きつつ
そのため息を 風がさらって行ってしまった くるくると回りながら
そうして羽根をばたつかせ 連れ去って行ってしまった 曠野へと

その時から 私の声が どこか遠いところから
ふとした時に 聞こえてくるのによく気づく
私のように 風は あなたの扉をたたく
だが 私のように あなたは疾風にも気づきやしない



*アヴェティク・イサハキャン:1875-1957。アルメニアの詩人。これは1915年の詩。詩中「サルノ」は、トルコ=アルメニアの山地にある地名だという。

27 6月 2016

リタ・ブミ=パパ*アフマートワ

リタ・ブミ=パパ「(私の死んだ女友だちと・・・)」(アンナ・アフマートワ訳)

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
街は口をきけない女の子たちでいっぱいになる
空気はひどい死の臭いに満たされて
要塞も白旗を揚げて降参する
そして 往来がみんな停まってしまう
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
たくさん見ることになる 胸の代わりに穴の開いた女の子を 
身には何もつけていない そして叫ぶのだ
「どうしてこんなに早く私たちを寝かしつけたの?
深い深い雪のなか、髪もとかさないで、眼は涙に濡れたままで」
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
吃驚したひとの群れは目撃する
私たちの縦列ほど 地面をふわりと叩く縦列はなく
こんなに神聖なる行進もなく
こんなに誇り高く血だらけの甦りもない
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら
結婚の日の花のように 唇を蒼い月が染めるでしょう
虚ろな眼窩のなかでオーケストラが歌いだす
その巻き髪も リボンも 風にはたはたひらめいて
ああ その時たくさんの人が死ぬ 良心に引き裂かれて
私の死んだ女友だちと お散歩しに出かけるなら

*リタ・ブミ=パパ(Ρίτα Μπούμη-Παπά、1906-1984)はギリシャの女性詩人。

21 6月 2016

索引:Алфавитный указатель авторов

08 6月 2016

アレクサンドル・スキダンのテクスト

コンドラチェフ大通り(99年11月)


祖国の靄も
祖国も忘れた

前どんなふうだったか 覚えているか

お前は街を歩いていった
自由な市民

すべてが足りなかった

卵を求めてでかけていく
どうだ、心に覚えがあるか

ごろつき少年と薄く開いた目の
少女がたむろする腐った臭いの地下の酒場

素粒子の素早い動き
頭を仰け反らせて お前は飛んでゆく



フランス人を讃えたのだ
うわさが流れていった

血が泡立っていた
国際パスポートのよう

お前は頭を上げようとはしなかった
車窓をみつめながら

それは詩も同じこと
詩は二次的なものだ

草叢のなかの声のよう
声のよう

作りものの悲しみの
溶けたガラスのなかの



無用の死体
労働の斧

それからパスハ用のコップのような
なにか血をわけたもの

愛する女が長杖でこつこつ叩いて
鼻をひくひくさせる 老婆の臭いがするのだ

そんなふうに母国は言葉をつかい、悪臭をはなつ
話しながら 悪臭を放つ

まるで黒い新聞に載った
卑猥な「言葉」



抱擁の 清らかな塩
額の糸鋸

行かないでくれ
いくつもの お前の接吻

お前はもう 背に夜の歯のあるページの
釘抜きではない 放浪者でもない

焼かれている脳髄でもないし
御しやすい霧でもない

地の泥炭なのだ
かき分けて お前が横になっているあの地の

咽喉が咽喉を覚えておくようにしておけ
歯は 歯を 覚えておくように

あの噛みしめられた歯を


ロシアのダダイズムも
地獄も

愛されている
なにがしかの恐ろしいちからで

ポプロフスキーは床に横になっている
ネジになって 消えていってしまった空の踊り場が

少女のように 彼を誘惑する

家へ 家へ 空から
お前は帰ってくるだろう

あの子を迎えに走っていくだろう
そしてあの子に別れを告げるだろう

あたかもお前が突然韻律を好きになったかのようだ
悲劇の主人公のコートに包まれて


ロシアのダダイズムも
地獄も

悲劇の主人公のコートに包まれ
ポプロフスキーは床に横たわる
ネジになって。 消えていってしまった空の踊り場が
彼を誘惑する 別世界のように

愛された男が
なにがしかの恐ろしい力で

おれの すてきな 友よ
おれを 聞いているか?

大通りは飛翔した ガスを撃ちつけながら
お前はと言えば 下にむかって飛んでゆく 頭から


[註1:コンドラチェフ大通りは、現サンクト・ペテルブルグ市北東、カリーニン地区に実在する大通りの名称。団地や工場などが並ぶ。コンドラチェフは、革命後の内戦において名誉の戦死を遂げた兵士の名。]
[註2:文中「ポプロフスキー」について。ボリス・ポプロフスキー(Борис Юлианович Попловский, 1903-1935)はロシア語詩人。モスクワで生まれ、ランボーやフランスのシュルレアリスムに強く影響を受けた詩作を行った。1921年に父親とともにフランスに亡命。パリで死去。]

* * *

審判(INQUISITIO)



その人の後頭部から切り取られたのは、セグメント状のかけらだった。太陽も一緒になって、全世界がそこに目を向けている。これが彼をいらだたせ、仕事から気を逸らせ、さらには、まさに彼だけがこの見世物から除け者にされているということに、その人は怒りを感じているのだった。

まさにそのとき、その人は歴史の決定的瞬間に鉢合わせる。それはすべてに疑問符が附されたのだと感じられる瞬間であり、法、信仰、「国家」、来世と現世、つまりすべてがということだが、それらが何の労力も困難もなく非在へと崩落してゆく瞬間である。

メシアは、メシアがもう必要ではなくなってはじめてやってくるのであり、降臨ののちのある日にやってくるのである。単なる終わりの日に、ではなく、本当に本当の最後の日に。

その耳殻は、触れると生々しくて、ざらざらで、ひんやりしていて、みずみずしくて、葉っぱのようだ。

ただことばだけを与えよ、ただ祈りだけを与えよ、ただ嘆息だけを与えよ、そしてお前がまだ生きて待ってくれているという確信、ただそれだけを与えよ。いや、祈りはいらない、ただ嘆息だけでいい、いや嘆息でもなく、ただ存在だけを、いや存在も違う、ただ考えだけ、いや考えでもなく、ただ眠りのやすらぎだけを与えてほしい。(...)

*続きは以下のアドレスから。
https://note.mu/pokayanie/n/nbdf589a16ad9

* * *

※アレクサンドル・スキダン(Александр Вадимович Скидан、1965-)は1965年ソ連・レニングラード生の詩人。翻訳者としても活躍し、アメリカの現代詩や、ジジェク、ナンシー、ド・マンといったフランス現代思想の理論的な著作を多数ロシア語に翻訳している。「コンドラチェフ大通り」や「審判」の収録された2005年の詩集『赤の転移(Красное смещение)』で、翌年のアンドレイ・ベールイ賞(詩部門)を受賞。

06 6月 2016

ウラヂーミル・ブリチの詩

もしかしたら
世界は はじめは
白黒だったのかも

聾唖の自然が
色の力を借りて
ぼくらになにかのしるしをくれたのだ

それで ぼくらは
彩りのあるふぁべとをかき混ぜた
地面に
水に
空に 色を塗って
不思議はまだ 残ったままだ



明日になにを期待する?

新聞を。



そして バイオリンの国が
鍵盤で 埋め尽くされる

ヒューマニズム

バスは 人のいるところに来るのではない
バスは バス停にくるのだ



ロシアの10月は
変革の秋(とき)だ
雪は
血の滴が目立たせるため 降るのではない
花は
真新しい墓石を飾るためにあるのではない


眠りは
非在の甘い滴
死よ、おまえはどんなだ?


生きることは
閃光だ 盲人の
白状が パチリと点てる



夜 窓に映った 自分を眺める
そして 見える
自分がそこにはいないのが
そして わかる
わたしには存在しないことができるのだ




※ウラヂーミル・ブリチ(Владимир Петрович Бурич、1932-1994)は、ソ連の現シャフトィ市(ロストフ・ナ・ドヌー市近郊)で生まれ、ウクライナのハリコフで育った詩人。ロシア語による自由詩の草分けとされる。20世紀ヨーロッパ詩の翻訳も多数。平易な語彙と、ユーモラスな口調、俳句にも似た短いアフォリズム形式の詩を多く書く。マケドニアのストルガで死去。