31 5月 2016

TRIVAマニフェスト

TRIVAマニフェストを以下に訳出する。

TRIVA(ТРИВА)は、70年代終わりから80年代はじめという一年にも満たない期間、ノヴォクズネツクに存在したソ連最初の公認写真家集団。Владимир Воровьёв(1941-2011)、Александр Трофимов(1948-)、Владимир Соколаев(1952-)の3人からなる。グループ名は、メンバーの名前から取られた。

ドキュメンタリー写真を特徴とする。ソ連のあらゆる集団と同様、マニフェストを持っていたが、それについては以下に読んでいただける通りである。
作家がまったく手を加えない「純粋なドキュメント」にこだわるあたりが、デンマークでラース・フォン=トリアーが結成したドグマ95と類似しているということが指摘されている。

グループとしての活動期間は短かったものの、メンバー3人はグループ解散後もそれぞれ写真家としてのキャリアを歩んでいる。

近年でも時々ロシア国内外問わず、展覧会があり、筆者がペテルブルグに留学していた2013年にも「マニフェストTRIVA」という展覧会が現代美術ギャラリーで行われていた。

・メンバーの一人ソコラーエフ氏の写真はこちらから見ることができる。
・TRIVAについて、ソコラーエフ氏のサイトより。
・マニフェストの原文はこちらから。


* * *

写真の特性は、三次元空間での出来事をまったく申し分なく写真板の平面上に表現し、二次元的なコピーである「フォトドキュメント」をつくることができるという点にある。このようにして「出来事」と写真撮影との間に結びつきが作りだされる。「申し分なく表現する」ということこそは「写真」のユニークな特質であって、そのことによって写真は人間の歴史の中に物質化した「リアリティ」を保存する力を有した、理想的な道具となるのである。それに負けるとも劣らぬ「写真術」の第二のユニークな特質は、「時間」との特異な結びつきである。金属の上の「光」によって、統一的な光束の鋭敏な痕跡が焼きつけられる。シャッターの一押しによってこの跡は、露出の深さで、「永遠」から引き出されてくるのである。同時に、写真紙に映像を物質化させることによって、この「永遠」の痕跡が「現在」のこの空間において展開するのである。そして撮影して焼きつけられた出来事は、我々の関心を呼び起こし、「歴史」空間へと開けた窓を生にもたらしながら、我々の生へと流れこんでくる。写真以外の何ものも、瞬間を「永遠」へと変貌させるこのユニークな特性を有してはいないのである。一押し一押しのシャッターが、たゆまぬ「時間の流れ」を断ち切って「入り口」をつくり、撮影自体が存在しているあいだ、その「入り口」が開かれたままにするのである。このように写真術は「永遠」の内部での時間と時間とのつながりを保つ忘れ去られた能力を人間に返してくれるのである。

我々の写真は、焼きつけられた出来事を各々の生にもたらそうとする我々の個人的な決意の結果である。この焼きつけられた出来事によって、我々は各々の歴史を拡げ、選ばれた「永遠」の痕跡を付けくわえて、出来事や遭遇、現象へのオープンな「入り口」を自分の周りにめぐらすのである。この「存在」こそが、我々の空間と、我々自身をも、必然的に変えていくのである。

ここにこそ、我々の選択と責任とがある。

形態(フォルマ)の世界は、「統一性」のあらわれに過ぎず、その相互作用の点でまったく申し分ないのである。形態の発展を注視し、その相互作用の「法則」を見出すことによって、我々は「我々自身が何者であるのか」を認識することになるのだ。



30 5月 2016

ボリス・パステルナークの詩

2016年5月30日更新

他の人を愛することは 重い十字を背負うことだ
あなたはまっすぐに うつくしい
あなたの魅力の その謎は
生きることの 謎解きにも等しい

春 あの夢この夢が擦れちがい さらさらと音が聞こえる
知らせと真実のささめきも
そうした原理(アルケー)の族の生まれなのだ、あなたは
あなたの存在する意味は 大気のよう 欲にとらわれぬ

ちょっとしたことで夢から覚め 目を開けること
取るに足らぬ埃のようなことばを こころから払い落とすこと
そしてこれから先 埃で汚れぬよう生きること
こうしたことはぜんぶ 狡猾さとしては些細なものである

* * *

二月だ。インクをとって 泣け!
二月について さめざめと 書くんだ
ざあざあ とどろく みぞれが
黒い 春になって 燃えているうちに

馬車を呼ぶんだ。 六十コペイカで
教会の鐘の音を抜け 車輪の軋む音を抜け
あそこへ駆けていくんだ 激しい雨が
インクと涙よりもまだうるさく音を立てるところへ

焦げてしまった梨のように
幾千ものカラスどもが 樹々から
水たまりに落下し 目の奥底へと
乾いた悲しみを ぼろぼろ崩すところへ

その悲しみの下 雪の融けた地面が黒ずんでゆく
風は 悲鳴で ずたずた
手の向くまま だがそれだけ 誠実に
詩が さめざめと 書かれていく

* * *

詩人の死


嘘だと思った 「ふざけたことを」と思った
2人、3人 と言わず みなから
知らされることとなった。日付の止まった
詩の一行のなかで 同列に置かれていたのは、
女役人の家 商家
中庭 木々 そして 日差しのせいで
ふらふらになりながら 激高したかのように
「馬鹿ども もう決して
罪つくりに嘴を突っ込むなよ」と
叫びたてていた 木の上にとまったあのカラスたち。
そしてその日は
つい近ごろのことのよう。つい1時間前のような。一瞬だけ
前のような。隣の屋敷、隣の
垣根、木々、カラスの騒がしさ。
ずたずたになった引き網の網目のような
涙にぬれた断層が 顔のうえだけにある。

そんな日、無邪気な日だった、あなたが過ごした
昔の何十もの日々よりもまだ無邪気な。
ひとは群がって、我先にと列をなしたのだった
まるで銃の合図で 整列させられたみたいに。

魚雷の爆発があって もみくちゃになって
鯉やらカマスやら 排水溝から吐き出されたみたいだ
スゲの茂みに仕掛けられたネズミ花火が破裂する
結婚した者どもの嘆息のようだ

あなたは眠っていた 寝床を中傷のうえに広げて
眠っていた 動揺を知らず 静かだった―
美しい 22歳の男
あなたの4部詩が予言したように

眠っていた 頬をまくらにくっつけて
眠っていた 全速力で くるぶし全体を賭けて
もう一度 もう一度 跳びかかっていく
若き伝説の類列のなかへ

伝説のなかへ跳びこんでいくと あなたはますます燦然となる
ひと跳びでそれを達成したのだからなおさらだ
あなたの銃の一撃は 腰抜けどもを従える
エトナ火山のようだった

友らはといったら 口論に磨きをかけていたのだ
生とわたしとが 隣にいることさえも忘れて

でもそれからどうした? なぜあなたはそいつらを
壁に押しつけ 地上から抹消したのか? そして恐怖はなぜ
あなたの火薬を ただの塵だと偽るのか?

だがクズどもにはその恐怖だけが尊いのだ。
山と積もる議論があるとはいえ
虚弱の身にはあまりに速い
大きな出来事の奔流が
境界を越えて流れてゆかぬようするためだ

そんなふうに 低俗さが生活なる灰色のクリームを
練り固めて トヴォロクを仕立てるのである

* * *

*Пастернак, Борис Леонидович (1890-1960)

29 5月 2016

ロシアを読むサイト集

公開:2013年6月16日
最終更新:2017年1月1日

◆ロシア語学・言語知識のサイト
・Словари и энциклопедии на Академике(アカデミック辞書・百科事典)
http://dic.academic.ru/
ロシア語の専門辞書をあつめたサイト。ホームページから一括検索可。スゴい。

・Викисловарь(ウィクショナリーロシア語版)
http://ru.wiktionary.org/
Wikipediaの辞書版。単語ごとに変化表が全部載っています。辞書にないとき、変化に迷ったときに。

・Test your level of Russian online (Liden & Denz)
http://www.lidenz.ru/russian-online/online-test/
モスクワとペテルブルクにあるスイス系の語学学校Liden & Denzの公式ページより、ТРКИの模擬試験が受けられます。レベルは、ТРКИ-1。

◆文学・文化のサイト
・現代ロシア文学(北大スラブ・ユーラシア研究センター)
http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/literature/literature-list.html
北海道大学のスラ研HP内のページ。現代のロシア語作家について簡単な紹介や論考、抄訳が掲載されています。初見の作家について概要を知りたいとき便利!(最終更新は2010年)
・鈴木正美先生のwebサイト
http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~masami/
新潟大学の現代ロシア文化研究者である鈴木先生のホームページです。

・文芸翻訳者向けキリスト教実践講座
http://yagitani.na.coocan.jp/kurihon/jissen2013.htm
翻訳における、キリスト教知識の実践的な運用方法を教えてくれます。『なんでもわかるキリスト教大事典』の著者八木谷涼子さんによる。

・Современная русская поэзия(現代ロシア詩)
http://modernpoetry.ru/
現代ロシアの詩が集まっています。

・Московский концептуализм(モスクワ・コンツェプトゥアリズム)
http://conceptualism.letov.ru/
コンセプチュアリズムに関する文献。 モナストィルスキー「集団行為」など。精度は保証できませんがなんと日本語訳も

・Lib.Ru
http://lib.ru
ロシアの青空文庫的なやつ。

・ВАВИЛОН(VAVILON)
http://www.vavilon.ru
ロシア現代文学・文化・思想のテクストデータベース。

◆通販サイト
・Ozon.ru
https://www.ozon.ru(インターナショナル版はhttps://ozonru.com
アマゾン未上陸のロシアにおける最大手の通販サイト。

・Ruslania
https://ruslania.com
ロシア関連の書籍・教材・CD・DVD・ギフト等を扱うフィンランドの通販サイト。

◆アーカイヴ系サイト
・Российская государственная библиотека
ロシア国立図書館(モスクワ)。ホームページ:htp://www.rsl.ru/
バーチャル展覧会(http://presentation.rsl.ru/)、電子資料の検索(http://search.rsl.ru/)。
その他、ナショナル電子図書館(http://нэб.рф/)、博士論文レポジトリ(http://diss.rsl.ru/)など、ロシア図書館のデジタルデータベース構築を先導している。

・Электронная библиотека на сайте РНБ(ロシア国立図書館(ペテルブルグ)のデジタル化資料コレクション)
ホームページ:http://www.nlr.ru/
デジタル化資料の検索(http://primo.nlr.ru/primo_library/libweb/action/search.do?menuitem=1&catalog=true)、バーチャル展示会(http://expositions.nlr.ru/)、そのカタログ(http://www.nlr.ru/exib/)。
webプロジェクトのページ(http://www.nlr.ru/res/webpro.htm)をみると、モスクワの方に負けず劣らずネット事業も非常に力を入れているように見受けられる。

・ロシア国立歴史パプリックライブラリー(モスクワ)のロシア未来派コレクション
http://elib.shpl.ru/ru/indexes/values/10040
その他歴史的資料のアーカイヴ。

・Ogon'ok (Google Books)(OGON'OK誌アーカイヴ)
https://www.google.co.jp/webhp?hl=ja#q=ogoniok&newwindow=1&hl=ja&tbm=bks&tbs=bkt:m
ソヴィエト時代からつづく有名な雑誌«Огонёк»のアーカイヴ。

・сайт-архив эмигрантской прессы (russians without russia. press archive)
http://old.librarium.fr
亡命ロシア人による出版物(新聞・雑誌)のアーカイヴ。

・Прожито.org(Prozhito.org)
http://prozhito.org
20世紀を生きたロシア人の日記アーカイヴ。

・Документы советской эпохи(ソヴィエト時代の公文書)
http://sovdoc.rusarchives.ru/
ソ連時代の公文書アーカイヴ。

・История России в фотографиях
https://russiainphoto.ru
写真アーカイヴ。

・プリンストン大学のソヴィエト絵本コレクション

・雑誌「ЛЕФ」アーカイヴ
MONOSKOPはアヴァンギャルド関係に強い、オープンアクセス時代のメディアアーカイヴサイトです(無料!)。ロシアカテゴリは→https://monoskop.org/Russia

15 5月 2016

ドミートリイ・バーキンインタビュー

ドミートリイ・バーキン(ドミトリイ・バーキン、Дмитрий Геннадиевич Бакин)は1964年生まれのロシア語作家。公に出ることを嫌い、作家について詳しいことはほとんど知られていない。写真も一枚くらいしか残されていない。実質的なデビュー短篇集『出身国』(1996)は、同年のアンチ・ブッカー賞を受賞したが、作家が授賞式に現れなかったエピソードは有名である。作家本人は、本職はトラックの運転手であるという姿勢を頑なに固持し、この濃度の高い異様な短篇集の他には、『死から誕生へ』(От смерти к рождению)という仮タイトルがつけられた長篇の断章と、幾つかの未刊の短篇(インターネット上で読むことができる)、そして死後に出た『転落について、破滅によって』(Про падение пропадом, ISIA Media Verlag UG, 2016)という未刊/未完の短篇・長篇やインタビュー、手紙、作家本人によるイラスト、批評家や研究者によるテクストが集成された本が遺されているばかりである。短篇集『出身国』はなんと2015年についに日本語になった(秋草俊一郎訳、群像社)が、その直後にバーキンの死が伝えられた。作家の手元に送られた日本語訳を作家が手にすることはついになかった。

以下に訳すのは、前述の『転落について、破滅によって』にも収録されている、バーキンが生前に遺した唯一のインタヴューである。もっとも、記者がバーキン本人に面会することはなく、やりとりは手紙でなされた。

(*ちなみに日本語版『出身国』は2015年12月時点で、400部売れただけという・・・(参考)。河出のソローキン買うお金を群像社に!)

* * *

ドミートリイ・バーキンインタビュー

2008年@『VZGL'AD(ヴズグリャート)』誌
http://www.vz.ru/culture/2008/8/3/192512.html

*文中[]内は、訳註である。

ドミトリイ・バーキンは、最も奇妙で謎多い現代ロシア作家の一人である。15年ほど前、バーキンは薄い短篇集一冊を「鳴り響かせ」たが、その本は好意的な批評を得るとともに、ヨーロッパ諸言語に翻訳された。

すでにその頃にはバーキンは公に出ることを敬遠していた。『OGON'OK(オゴニョーク)』誌の叢書のなかで出版されたバーキンの最初の作品集(この叢書は赤い小口の白い小冊子で、カバーに必ず白黒の著者の写真があったことを覚えていますか?)は、顔の代わりに風景が印刷されて世に出ることとなった[1991年に出版された短篇集『鎖』のこと。『出身国』にも収録された3篇が初出]。

バーキンの短篇を寄せ集めた2つ目の本はリムブス・プレス社から出たが、見本刷りの段階からすでに写真が掲載される見込みはなかった。この閉鎖性は、それがイメージの一部分となってしまうようなペレーヴィン的[ロシアの現代作家ペレーヴィンも、戦略的に著者の顔写真を公にしない姿勢で有名]なものではなく、書くことを好みながらそれを本職とはしなかった人間の自然な要求だったのである。

その後バーキンは完全に姿を消した。彼が長篇を書き上げつつあると明らかになったのは、つい最近のことである。小品だが、とても重要な作品であり、『死から誕生へ』という仮タイトルがついている。この10年間で初めての作家へのインタヴューは、インターネットを使わないバーキンが本誌に手紙で回答したものである。電子手紙ではなく、普通の手紙であり[ロシア語で言うe-mailを直訳すると「電子手紙」となる]、質問に対する回答はバーキン氏が直筆した。


どれくらい長く執筆されているのでしょうか? 書かれたものは手元にたくさんあるのでしょうか(出版された短篇集や長篇からの断章を除いて)?

最初に出版された短篇は22か23年前に書かれました。正確に申し上げることはできません。というのも書かれたものに日付を書いておく習慣がなかったからです。その短篇もすぐに出版されたのではありません。今のところ、必要だと私が思ったものはすべて出版されました。執筆中の長篇がどれくらいの分量になるのかは、わかりません。でもまぁ、多くはないでしょう。

なぜ書くのに時間がかかるのでしょうか? 書かれたものを校正したり書き直したりなさるからでしょうか、それとも何か他の理由があるのでしょうか?

自分が書くのが遅いということには、人生の25年を捧げた自分の本職から離れてはじめて自覚しました。あの頃は、そもそもまったく書きませんでした。たいてい休暇とか休日に書きものに取り組んでいたのですが、書かれたものを校正したり書き直したりといったことはいつもたくさん行っていました。

あなたはご自身のために書かれているのでしょうか、それともある仮想の読者のためにでしょうか? あなたにとって、テクストが他の人に対して公になるということはどれくらい大事なことなのでしょうか?

個人的には、人はみな最初はまず自分のために書くのだと思います。たしかに私にとってその人の感想が大切な人たちというのはいますが、わずかです。ですがまさにその人たちが適切な時に、私によって書かれたものが出版されるように強く言い張ってくれたのです。仮想的な読者について、もし考えるならば、私はよく考えるように努力しています。テクストが他人に公になることが大事なことだなどとは、私には言えません。

他の作家や詩人とは交流がありますか?

たいへん稀です。

職業共同体の中に根を下ろして在籍していることは、書くことの一助になると思われますか、それともまったく反対に、書きものから遠ざけてしまうと思われますか?

作家の職業共同体の中にいたことはありません。他に職業があったからです。ですがこう思います、作家共同体の中にいることがもし書くことの助けになるとしたら、こんな場合だけのことでしょう、つまり当のこの連盟の風習を描写することを目的に置く場合です。私の考えでは、書くことの助けになるものとは、煙草であり、餓えであり、冬、そして冬の雪なのです。絶望が助けになるという人もいるということは知っています。

あなたにとって書くことはなにを意味するのでしょうか?あなたはご自身の生を記録し、大事なことをことばに表そうとし、説明しようと試みてらっしゃるのでしょうか?

書くことは、自分の登場人物の道を行くことであり、その登場人物たちの宿命を紙の上に定着させ、そして形に留めようとしているのは、[生ではなく]思考です。自分の生を描写することは、まずないでしょう。このことを利用して何かを説明することが可能なのかどうか、私にはわかりません。そもそも説明する価値があるのでしょうか?

長篇と短篇、どちらのほうが着想および執筆するのが難しいですか? どちらのジャンルがより成り難いでしょうか?

より価値があるのは、より良く書き上げられたものです。当然、多くの長篇にも勝る短篇もあります。そのよい例が、ユーリ・カザコフの作品です。私にとっては、長篇を書くほうが難しいことです。これを始めて以来、より頻繁に、頻繁に、「これは私のためのジャンルではないのだ」という考えが浮かんでいます。時おり、私は内臓を紙の上に移植する作業に取り組んでいるのだと思われるまでになります。そんな時にはいつしか私は書くのをやめてしまっているのです。これは作品の構想が熟し、十分明晰なものになるのと紙一重です。おそらく私のジャンルは、なにはともあれ短篇であるようです。それとも、9年間ずっと私がそもそも何一つ書かなかったということが問題なのかもしれません。

いまあなたは長篇を書いておられます。テクストが終わり、[これ以上]修正を必要としないとわかる瞬間は、どのようなものだとお考えですか?

すべては、あなたに残された時間にかかっています。私は章ごとに長篇を書いています。私の考えでは、ある一章を書き上げたら、2〜3ヶ月寝かせつつ先を書き、そしてまたこの章に戻ってくるのがいいと思います。そうしたら書かれたものを多くの点で違う受け取り方をするでしょう。まるで、今なら違うふうに振る舞うだろうと認めながら、過去の自分の振る舞いを思い出すように。何かにおいてやり直している時には、これだけのことでもやり直せる可能性を手の内に持っていることが嬉しくなってしまうものです。なぜならそうした[やり直しの]可能性というものを人生は与えてくれないからです。そして作家にとって文学とは、生よりも惜しみなく与えてくれるものなのだということが理解できるのです。

あなたは思いつくままに書くのでしょうか、それとも明確なプランがあるのでしょうか。

何かを書こうと準備しているときには、プランは必要だと思いますが、明確なプランを持っているなら、純文学には携わらない方がいいと思います。必要不可欠な明瞭さに欠けるような仕事があり余るほどですから。

その人の作品を目標とするような、あなたにとって参考例であるような、お好きな作家はいますか?

とてもたくさんいますし、たいへん雑多な作家たちです。ところで、赤の他人が書いた作品を一体どんなふうに目標にしていけるというのでしょうか、私にはわかりませんが。作家について言うならば、ムージルとアストゥリアス、ブーニンとフォークナー、トマス・ウルフとユーリ・カザコフ、サン=テグジュペリとガルシア=マルケス、プラトーノフとカミュ、[クヌート・]ハムスンとメルヴィルです。それとドストエフスキーですね、われわれ皆の先駆としての。

* * *
本文は以上だが、末尾にバーキンが挙げていた作家たちについて少し解説します。
・アストゥリアス、ミゲル・アンヘル:ラテンアメリカ(グアテマラ)。マジックレアリスモの草分けとされる。『グアテマラ伝説集』、『大統領閣下』など。
・ブーニン、イワン・アレクセーエヴィチ:ロシア→フランス。ノーベル賞を初めて受賞したロシア語作家。短篇で有名。
・トマス・ウルフ:20世紀アメリカの作家。日本ではほとんど絶版になっているが、『天使よ故郷を見よ』などの翻訳があった。
・カザコフ、ユーリ・パーヴロヴィチ:ソ連の作家。短篇で有名。日本語訳では、文学全集等に掲載された短篇が数作ある。
・プラトーノフ、アンドレイ・プラトーノヴィチ:ソ連の作家。この人もバーキンに比肩する異形の文体の持ち主である。『土台穴』、『チェヴェングール』など。岩波から短篇集もある。プラトーノフの短篇を原作としたソクーロフ監督の『孤独な声』もある。
・ハムスン、クヌート:ノルウェーのノーベル賞作家。『ヴィクトリア』、『餓え』、『土の恵み』など。

08 5月 2016

アレクサンドル・ソクーロフ監督インタビュー

2016年は「映画の年」とのことで、ロシアでは文化省主導で色々な催しがあります。以下に訳出するのは、「映画の年」公式HPに掲載されたアレクサンドル・ソクーロフ監督のインタヴューです(元記事は、「イズヴェスチヤ」紙の2016年3月16日の記事)。新作『フランコフォニヤ』(Франкофония; Francofonia)の日本公開が待たれます。

アレクサンドル・ソクーロフ:「啓蒙の道を拒絶したとして、ロシアがより良くなっていただろうなんて私は思いません」


ソクーロフ監督の『フランコフォニヤ』が公開された。ロシア国内40以上の町からの観客が、この映画を鑑賞した。実話に基づくフィクションといった趣のエッセーのなかで、監督はヨーロッパとロシアの宿命について論じている。「イズヴェスチヤ」紙の特派員、E.アヴラメンコがソクーロフ監督にインタヴューした。
[訳注:S*はソクーロフ、A*はインタヴュアー(アヴラメンコ)]


A*監督、あなたは『フランコフォニヤ』がロシア国内で公開されることを危うんでおられました。ところがいま、この映画はロシア全国150の映画館で上映されるだろうといわれています。


S*いまのいままで『フランコフォニヤ』がどこで公開されるのか、全体図を知らないままなのです。ヤロスラヴリでもカフカス地方でも極東地域でも北方でも上映されるのでしょうか? 疑わしいですね。「シネマ・プレスティージュ」社の代表たちは、このことについて詳しく話してくれませんでした。もしそういう情報が同社から届いたなら、ありがたいことです。私はただ一組の上映について知っているだけです、3月17日にはモスクワでプレミア上映があります、それは知っています、招待されたのですから。でもいま私は大変厳しいロシア東部への出張旅行から帰ってきたばかりで、とても疲れています。休息を取らねばなりません。またすぐ旅行の予定もありますし。

先だって[編注:ペテルブルクの映画館である]「アヴロラ」での上映に出席したのですが、上映は大成功でした。満員御礼で入場できなかった人もいたくらいです。しかし自分をごまかしはしません、何回か上映を重ねていくうちに観客の状況が変わることもあり得ると知っているからです。『フランコフォニヤ』のような映画は、大規模上映に適しているとは言い難い。私たちには、この映画の全国上映を保証してくれるような映画館のシステムがありません。映画館のネットワークはすべて、アメリカの上映ネットワークの一部であって、ロシアの国産映画がこのシステムのなかに入り込めるとしたら、偶然か何らかの温情に依るしかないのです。それから、こういう種の映画の上映が成功するか否かは、全連邦ネットのテレビ番組や大部数の新聞を掌握している広告会社の規模にかかっています。そしてこのためには、資金が必要なのです。「シネマ・プレスティージュ」のような小さな組織にいったい金があるのかどうか、私にはわかりませんが、わたしは同社にほんとうに感謝しています。


A* 展覧会をみるための行列から始まって、大きなスクリーンで美術館についての映画がいくつか上映されるに至るまで(諸相ある)「美術館ブーム」について説明できることはありますでしょうか。


S*展覧会の行列の動員数は、とてもフォーマルな指標です。この問題に取り掛かるならば、興味を示してきたこの人々がいったいどんな人々なのか理解する必要があります。わたしは確信していますが、この人たちは若者ではありません。そうではなくて、政治に疲れ果てた中流階級の老年層であり、そして当然、その内90パーセントは女性なのです。実際には、騒ぎを招いたいくつかの出来事がこのように着目するに値します。たとえば、セローフ[ワレンチン・アレクサンドロヴィチ、1865-1911;肖像画で知られる画家]の展覧会ではポートレートが展示されていましたが、いまの芸術家なんていうのは肖像画など好きでもないし描けやしないのです。何でもいいですからペテルブルクの現代絵画の展覧会に行ってごらんなさい。「マネージ」[「ペテルブルグ20〜21世紀美術館」のある建物の名称]でも「芸術家連盟」[1940年代には前述のセローフが理事長を務めた]でもいいですが、肖像画は最小限の数しかないのをあなたもご覧になるでしょう。


A*映画の中で、監督はよくフランス人のあまり知られていない肖像画に観客の注意を釘づけにしますね。


S*私の前に立ちはだかっていたもっとも困難な課題の一つが、取捨選択ということです。芸術作品は数百万もあって、それぞれにそれぞれの堂々たる来歴があり、それぞれの魅力があり、それぞれの神聖なる沃野があります。その中からほんの数十点を取捨選択しなければいけなかったのです。そしてこの選択は、自分の美術館との個人的な付き合いの結果であって、芸術研究者の権威がもたらす結果ではありません。私にとって大事だったのは、観客の注意をフランス人の肖像画にすぐに惹きつけてしまうこと、そのまなざしと触れ合わせることだったのです。フランス人というのは、とても難しい民族です。開けっぴろげで、(これはそんなふうにロシア人の目にはそう見えるのですが、)内に秘めた誇りと、それからおそらく高慢さを持った民族です。ドイツではどんな将校も英語を知っているとすれば、フランス人は一般的に自国語でしか話さないのです。フランス人は特別な民族で、自分たちが特別であるということを感取してもいる民族なのです。フランス人が描かれたキャンバスの中の顔をいくつもじっくり見れば、このことの根が理解できます。


A*『フランコフォニヤ』のなかで、監督はフランスとドイツを姉妹だと呼ぶことで、メンタリティの親近性について問いかけています。ロシアに関して言えば、この「姉妹」は、ある程度野蛮人の国を見るような目をロシアに向けてきます。でもロシアだってヨーロッパの一部ですよね?


S*当然ロシアも「姉妹」のうちです。ただし妹のほうで、ヨーロッパの兄たち、姉たち[訳注:この言い回しにはスターリンが大祖国戦争への参加を呼びかけた有名な演説(「兄弟たちよ、姉妹たちよ!」という呼びかけから始まる)が響いている]が都市の建設や、非宗教的な世界の考え方を教え込んだ学問や芸術の発展を助けてくれたのです。ピョートル大帝がロシア人の意識を欧化しなかった場合のロシアのことを想像してみてください。啓蒙の道を拒絶したらロシアはもっと良くなっていただろうだなんて、私は思いませんね。

しかしこのロシアという「妹」にはこれほどの独特な気質があり、これほど離れたところに居を構え、これほど忍耐強いわけで、それはロシアがヨーロッパ一家の親戚だとは考え難いほどなのです。北国では生の意味の感じ方が異なります。自分の領土のために戦おうという覚悟は、国の名誉の代償に実に多くの命が散らされる結果を招いており、ヨーロッパ共同体をショック状態に陥れているのです。ナチス・ドイツはソ連領域を侵攻しながらも、ソ連兵やその住民の偏執狂的で苛烈な抵抗を理解できなかったのです。

ナチスとフランスの住民との関係は、別のしかたで成り立ってゆきました。多くの理由がありますが、一つには占領地域にやってきたドイツ将校の大部分はフランス文化を愛し、フランス語を知っていたからです。ドイツとフランスにとっては、映画の中で言われているように、同じカフェに腰を据え、同じカップからコーヒーを飲むことができるのです。


A*映画にはいくつか対立がありますね。「開かれた都市」パリと、閉鎖されたレニングラード。一方には平和な生の雰囲気があり、他方には封鎖[訳注:1941〜1944年の間にナチス・ドイツが行ったレニングラード封鎖]の悲惨な雰囲気があります。ルーヴルとエルミタージュ。『フランコフォニヤ』は『エルミタージュ幻想』を継承する作品なのでしょうか?


S*まったく違います。この『フランコフォニヤ』はまったく別のあらすじ、縮図、思索、中身なのです。ただ作者が同じだけです。ペテルブルク中の何よりもエルミタージュを愛しているのですが、このことを私は『フランコフォニヤ』の中で認めないわけにはいきませんでした。第二次大戦をテーマにした映画の中で封鎖の時期に目を向けないならば、それは私からすれば誠実ではないことになったでしょう。あの時期を私はじっと見つめています、多くの場合に街の価値が死者の数で、その地面に眠る死者の数で計られてしまうこの街に、私は住んでいるわけですから。


A*映画の中にはレジスタンス運動へのほのめかしもありませんが、1940年代のフランスの若者たちはドイツ音楽に関心を向けていたと言われています。こういった考え方は、西欧のプロデューサーたちの方からの圧力を呼んでしまうようなものだったのでしょうか?


S*私はいつも、自分がよく知っているプロデューサーたちとしか仕事をしません。トーマス・クフス(ドイツから)、ピエール=オリヴィエ・バルデ(フランス)と私とは、美学的・倫理的な立場においてだけでなく、職業的な原則の点でも一心同体なのです。 総合的なプロデューサーの役を務めてくれたのはフランスでした。フランスには、世界で一番厳しい著作権保護の規準があって、すべてが監督の利益を守るように動いてくれるのです。ですが何より大事なのは集まってくれた人たちの信念です。

プロデューサーたちは、この映画がフランスの報道では厳しいリアクションを呼ぶだろうと予想していました。しかし私はずっと繰り返して言っていたのです。「私たちは政治評論的な作品やドキュメンタリー作品を作らないようにしようじゃないか」と。これは歴史的な感覚、または歴史の感覚を芸術的に把握する試みなのです。私は裁判官でも弁護士でもない。けれども私にとって、一人の人間として、重大なことは、世界の美術館が一つとして、どんな脅威にもさらされないでいて欲しいということなのです。


A*登場人物の一人として、あなたは『エルミタージュ幻想』と『フォランコフォニヤ』の中でそれぞれ別のしかたで登場しています。『エルミタージュ幻想』ではフレーム外からコメントを加える慎重な声だけでしたが、『フォランコフォニヤ』の中ではとてもわかりやすい形で他の登場人物の生に介入しています。


S*すべて、とても簡単に説明できます。言い知れぬ力が、魔物があまりにも私の方に近づきすぎたのです。私は、世界文化の一部です。文化は、私の生そのものなのです。そして美術館は私の所有物です。とても個人的な、世界共通の人としての権利によって私に属している所有物なのです。


A*『フランコフォニヤ』世界初上映の前夜に、「イスラム国」[編注:アラビア語名ダーイシュ、ロシアで禁じられている組織、訳注:いわゆるISIL]による文化遺産の破壊行動はピークを迎えていました・・・。


S*私は、すべてがここに帰結するだろうということを、完全に確信していました。イスラーム世界の世論の内部に強大な軋轢が存在することは、何十年も明らかでした。イスラーム世界には、拭い去りがたいイデオロギーがあります。キリスト教世界や民主主義国家にはないものです。私はつい今まで東アラブにいて、これを確認できたように思います。

目的達成のための手段の点で、私は「イスラム国」とボリシェヴィズムを比べてみたいと思います。この[「イスラム国」の]狂信者たちは生きたまま頭を切り落としていますが、ロシアの狂信者たちは1917年に司祭たちを生きたまま穴に突き落として土で埋めていたのです。地面は何日間か震え続けていました。自分たちのムスリム国家を組織したいというこの新しいボリシェヴィキたちの欲望は、自分たちを取り巻く世界のすべてが、彼らのシステムとか信念とまったく異なるというところから来ています。イスラーム世界との関係においては、旧世界とアメリカがそれ相応の暴力をもって反応するということは予想のつくことです。この反応は極めてラディカルで、革命的なものであるという感じがします。


A*『フランコフォニヤ』の挿話の一つで、カメラが長いことエジプト美術展示室のミイラに見入っていました。文化の最良の形を「缶詰にして貯蔵する」という美術館のやり方が、はっきりとこのミイラと呼応する関係を成しています。美術館には聖なる役割というものがあるのでしょうか?


S*私にとって死とは「もう決して」ということばと同じなのです。私は「もう決して」この人と会うことはないでしょう、とか、「もう決して」あの人の手に触れることはないだろう、ということです。確かに夢の中で死んだひとと交信するひともいますが、私にはそういうことは起こってきませんでした。そもそも私はまったく夢を見ないのです、それは私には関係のない生命の空間なのです。それにもかかわらず、私が映画という芸術の中で何かを尊重しているとすれば、それは映画の詩的で、夢を見させるような本質なのです。

ミイラは、時と時のあいだにかかる独特な橋であって、想像力を揺れ動かし、絶対的な腐敗などないのだということを証明してくれます。ミイラからひとの顔を復元することができますし、将来的には、死人そのものを、あるいは死人の人生の何かしらの瞬間さえも物質化させることができるようになると思います。つまりは、過去というものがなくなり、現在だけが残ることになるでしょう。

芸術は過去が並行して存在することを示し、過去に触れて感じることを可能にします。芸術には、すべての人々が一つの家族だと感じたり、お互いのお互いに対する責任を自覚させてくれる大いなる可能性があります。美術館の関係者が、「美術館の主要な任務は保存することである」と考えているのは、故ないことではないのです。何回展覧会を行うかではなく、どれだけ保存するかなのです。これは正しいことです。なぜなら他のどこにもそんなところはないですから。

(了)