10 6月 2015

セルゲイ・エセーニンの詩

シャガネ、ぼくの、シャガネ
ぼくが北から来たせいでしょうか
きみに野原のことを話そうと思うのです
月夜に波打つライ麦について
シャガネ、ぼくの、シャガネ

ぼくが北から来たせいなのでしょうか
あそこでは百倍も月が大きくて
シーラーズもかくやというほどです
リャザンの曠野ほどよいものはありません
そう思うのは ぼくが北から来たせいなのでしょうか

きみに野原のことを話そうと思っています
ぼくの髪はライ麦からもらってきたのです
もしよければ 指にとって編んでください
まったく痛くなどありませんから
きみに野原のことを話そうと思うのです

月夜に波打つライ麦について
ぼくの縮毛で占ってくれませんか
大切なひと、からかって、笑って
でもぼくの中の思い出だけは呼び起こさないで
月夜に波打つライ麦の思い出だけは

シャガネ、ぼくの、シャガネ
あそこ 北のほうにも 女の子がいるんです
怖いほどきみに似た女の子が
もしかしたらぼくのことを想っているのかもしれません
シャガネ、ぼくの、シャガネ

*シャガネはグルジア女性の名前



*(ある女性への手紙)

覚えていますよね
もちろん全部 あなたは覚えている
ぼくがどんなふうに
壁に張りついて 立ちすくんでいたか
いらいらしてあなたは部屋中歩き回って
で なんだか尖ったものを ぼくに
ぼくの顔にぶつけてきたのでした。
あなたは言っていましたね
「もう別れる頃合いだわ」と
ぼくの気狂いじみた生き方が
あなたをへとへとにしてしまうと
あなたは仕事に取りかかる頃合いだと
でも 遠く 下に
転がっていくのがぼくの宿命
愛しいひと!
ぼくを愛してはくれませんでしたね。
知らなかったでしょうね、大衆の群れのなかじゃ
ぼくは馬のよう 汗まみれでへとへとにさせられていたなんて
容赦ない馬乗りの 鞭を喰らって。
知らなかったでしょうね、
ぼくが 一面の靄のなか
嵐でばらばらになった日々のなかにいて
出来事の宿命がぼくらをどこに連れて行くか
それがわからず 苦しんでいたことなんて。
顔と顔を突きあわせるのに
お互いの顔を見ることができませんでした。

大きなものが 遠くに見えます。
真っ平らな海が 沸き立つときには
船は悲惨な状態に置かれるのです。
この世は船です!
でも誰かがいきなり
新しくて生き方のため 新しい栄光のため
嵐と吹雪のど真ん中に
堂々と この世という船を進めていったのです。

さて ぼくらのうち 大きなデッキの上で
落ちもせず げろも吐かず 悪態も吐かなかったのは誰だったでしょう?
精神が経験豊富で 揺れる中でもしっかりしていられる
そういうひとは少ないのです。

そのとき ぼくも
荒れる騒音を聞きながら
それでもやるべきことを知っているひとに見えた
ひとのげろを見なくて済むように
船倉へと降りていったのでした。

その船倉こそが
ロシア場末の居酒屋だったというわけです。
コップにかがみ込んで
誰のことにも 心を痛めないで
酒に乱れて
自分をめちゃくちゃにしたのです。

愛しいひと!
ぼくはあなたを苦しませてしまいました
あなたの疲れ果てたその眼に
憂いが宿っていましたね。
あなたの前で見せびらかすように
ぼくが騒ぎに飛び込んで自分を無駄遣いしたから。
でも知らなかったでしょうね、
ぼくが 一面の靄のなか
嵐でばらばらになった日々のなかにいて
出来事の宿命がぼくらをどこに連れて行くか
それがわからず 苦しんでいたことなんて。

いまはもう年月が経ちました。
もうそんな年齢(とし)ではなくなりました。
感じ方も考え方も違います。
祝いのワインを手に こういうのです。
「操舵手(*)に誉れあれ!栄光あれ!」と
いまではぼくは
優しい気持ちで意気揚々としています。
あなたの悲しい疲れを思い出していました。
ぼくは全力疾走してあなたに伝えたい
ぼくが昔どんなで
ぼくに何が起こったか!

愛しいひと!
喜んでこう言わせてください。
ぼくはすんでのところで崖から落ちずに済みました、と。
いまじゃぼくは ソヴィエトで
一番熱烈な同伴作家ですよ、と。
ぼくは あの頃そうだったような人間では
いまはもうないんですよ、と。
ぼくが前からこうであったなら
あなたを苦しめることもなかったのですが、と。
自由の そして
明るい労働の旗のためならば
ラ・マンチャにでも行く準備はできているんです、と。
ぼくを許してください・・・
知ってはいるんです あなたがそんなひとではなくて
生真面目で賢い夫と
暮らしているってことを。
あなたには ぼくらの厄介ごとなんて要らないんだってことを。
ぼくだってあなたから
一銭だって必要ではないのです。
星があなたを導くがまま
生きていってください
新しい住処の天幕の下で。

敬具
あなたをいつまでも覚えています。
あなたの知人
セルゲイ・エセーニン。


(*)この二枚舌的な詩から、ロシア革命下の生活も伺い知ることができよう。「操舵手(рулевой)」という単語は、ソ連時代にはそのまま「共産党」を指した。

*(1925年11月30日)

なんて夜! だめだ。
眠れない。月がこんなに明るい!
まるでぼくがまだ大切に持っているようだ
喪った若さを 心のなかに。

冷めきった歳月の 女ともだち、
遊びを愛と呼ばないでほしい
それよりこの月の光が
ぼくのほうへ 枕元に流れ込むにまかせたほうがずっといい

引き攣った顔の輪郭を
無遠慮に 月の光がなぞるにまかせておこう——
だってきみは愛情を冷ますことなんてできっこない
ちょうどきみが愛することもできなかったように

愛することができるのは、ただの一度だけ
だからきみはぼくに他所よそしいんでしょう
どうして菩提樹は徒(いたず)らにぼくらを手招きするのだろう
その脚を雪だまりに埋めて。

だってぼくも知っているし きみもわかるだろう
月のこの照射のなか 青く
木の脚のうえでひかっているのは 花びらでなく——
雪と霜だということを。

なぜ長いことぼくらは愛することを忘れていたのだろうか
きみはぼくでなく ぼくも他の女(ひと)を
ぼくらはどっちにしたって 別に構わない
安っぽい愛で遊んだって。

でもやっぱり撫ぜてほしい 抱きしめてほしい
ずる賢い情欲にまかせてキスをしながら
心臓に 永遠に 5月の夢をみさせておこう
そして永遠にぼくが愛するあの娘の夢を

(*)2行目の「月がこんなに明るい」は下手な意訳。原文は「Такая лунность!」、「このような月-性(月が月であること?)」が直訳になるだろうか。センスに痺れる。


*(1923)

こんなに疲れたことはかつてなかった。
この灰色の寒さと粘り気のなかで
ぼくは夢にみた リャザンの空を
そしてぼくの気狂いじみた人生を。

たくさんの女のひとが ぼくを愛した
ぼく自身 一人の女だけ愛したわけじゃない
このせいじゃなかろうか 昏いちからが
ぼくを 罪つくりに慣れさせるのは。

果てしない泥酔の夜々
バカ騒ぎのなかで愁いを打棄ってしまえ!
このせいじゃなかろうか ぼくの眼を
青い葉のようにうじが流れていくのは?

だれが裏切ろうと 痛みはない
たやすい勝利も嬉しくはない——
金の干し草色だったあの髪の毛が
灰色にかわってしまった。

灰と水に姿を変えるのだ
秋の沈殿物がそろそろと濾しだされてくる時には。
過ぎ去った歳月たち 君たちを惜しむまい——
何ものも元に戻らないでほしい。

徒らに自分を痛めつけるのに疲れてしまった
奇妙な笑みを貼りつけた顔で
わたしはこの軽い身体にまとうのが好きだった
しずかな光と死人の安寧を。

今ではもう辛くはない
巣窟から巣窟へふらふらと歩いていくことも
拘束衣に包むように
世界をコンクリートのなかに入れてしまおう。

そしてぼくの中では 同じ掟にしたがって
狂ったような熱情が静まっていく。
ところが結局礼節を尽くして向き合うことになる
いつだったか愛した あの野はらと

楓の下でぼくが育った あの地方
ぼくは色褪せた芝生のうえはしゃぎ回ったものだが——
雀たち カラスたちに 挨拶をおくろう
夜にすすり泣く梟にも。

ぼくは彼らに 春の隔たりのなかこう叫ぼう
「愛しい鳥たち 青い戦慄に身を震わせて
伝えてほしい ぼくはもう喧嘩はやめたんだ、と——
風でも吹きつけて ライ麦の
下腹を殴りつけはじめておけばいいさ。」


*(1925。最後の詩)

さよなら 友だち さよなら。
素敵な人 きみはぼくの胸のなかにいます。
定めだったこの別れは
この先での再会を約すもの。

さよなら 友だち 手も振らず 別れも告げませんが
悲しまないでください 悲しみに眉を曇らせないで——
この生のなかで 死ぬことは別に目新しくもない
だが生きることも 当然だが より目新しいということはない。


*Есенин, Сергей Александрович (1895-1925)