19 5月 2014

よみがえるグルジア映画

以下に掲載するのは「ボイス・オヴ・アメリカ(VOA)」ロシア語版ホームページ掲載の、『グルジア映画は甦る』と題されたインタヴュー記事の全訳です。
元記事はこちらを参照してください。

今回の記事で触れられるナナ・エクヴティミシュヴィリ監督の『花咲くころ(In Bloom、露:Длинные светлые дни、グルジア語:გრძელი ნათელი დღეები)』は、2013年9月にペテルブルグにて行われたサンクトペテルブルグ国際映画祭にて上映され、わたし(工藤)は大きな感銘を受けました。記事中でも触れられているように、ベルリン国際映画祭を初めとする多くの映画祭に出品され、いくつかの賞を獲得しています。

日本では、2013年の11〜12月にかけて東京で開かれた第14回東京フィルメックスにおいて上映され、最優秀作品賞を獲得しました。
東京フィルメックスの作品ページはこちら。[注:ちなみにエクチミシヴィリという表記になってますが、ローマ字転記はEKVTIMISHVILIです

サンクトペテルブルグ国際映画祭の監督紹介ページから訳出したエクヴティミシュヴィリ監督のプロフィールが以下です。

ナナ・エクヴティミシュヴィリ(ნანა ექვთიმიშვილი):1978年グルジアのトビリシで生まれる。ポツダムのコンラッド・ヴォルフ映画・テレビ大学にてシナリオ及び演出技術を学ぶ。いくつかの短篇映画も撮っている。『花咲くころ』は彼女の処女長編映画である。

予告編はこちらをご覧ください。




グルジア映画は甦る
ナナ・エクヴティミシュヴィリ監督が、自作『花咲くころ』について語る

この新しいグルジア映画は、ベルリン・モントリオール・香港・バンクーバーの上映会にて喝采を浴びた。ナナ・エクヴティミシュヴィリとジーモン・グロス両監督の処女作『花咲くころ』は(2014年)1月10日にニューヨークで、2月7日にはロサンジェルスで上映され、その後配給会社ビッグ・ワールド・ピクチャーズはアメリカでの一般上映に踏み切る。

「映画界への若手の進出についてはもう語り尽くされてしまったと考えるひと誰もが、この映画を絶対に見る必要があります。」と、ビッグ・ワールド・ピクチャーズ社社長ジョナサン・ハウエルは考えている。「この映画のなかでは、私たちがほとんど知らない国の厳しい時代が、大きな力をもって再現されています。それに加え、ここで語られる物語は、最初から最後の一コマまで心を惹きつけてしまうのです。主役を演じた2人の役者は、まさに掘り出しものです。彼女らには説得力があります。」

『花咲くころ』のプレミア上映は、昨年(2013年)ベルリン国際映画祭で行われ、その後いくつかの権威ある映画祭で上映され、いくつもの賞を獲た。アメリカでは劇場公開に先立ちハンプトン映画祭(ニューヨーク)とアメリカン・フィルム・インスティチュート(AFI)で上映会が行われた。この映画は公式にグルジア政府によってオスカー賞の最優秀外国語映画賞に推薦され、現在パームスプリングス国際映画祭(カリフォルニア)で公開上映されている。[訳注:オスカー賞には結局ノミネートされなかった。]

この映画は、ナナ・エクヴティミシュヴィリ氏とその夫であるドイツ人映画監督ジーモン・グロス氏の共同監督になるものだ。両監督はルーマニアの優れた撮影監督であるオレグ・ムトゥを起用した。舞台はグルジア独立後まもない、1992年のトビリシである。アブハジア独立紛争が行われており、世論は2つの意見に引き裂かれ、食べ物や電力は不足している。だが2人の分ちがたい親友14歳のエカ(リカ・バブルアニ)とナティア(マリアム・ボケリア)にとって、いまは希望とロマンチックな期待の時期であり、成長と苦い現実認識、そして大きな世界が開かれる時である。

『アメリカの声』ロシア課の特派員が、トビリシのナナ・エクヴティミシュヴィリ氏と電話会談をした。[訳注:以下「スリキン」はインタビュアー、「ナナ」はエクヴティミシュヴィリ]

スリキン:ナナ、映画で起こっている出来事は、あなたの個人的な思い出に拠るのですか?それともなにか別の源流があるのでしょうか?

ナナ:これはわたしの個人的な思い出です。わたしはあのとき、主人公エカと同じ14歳でした。エカはわたしのアルター・エゴで、彼女のバイオグラフィはわたしのものとそっくりなのです。ですが、ナティアもわたしにたいへん近い存在です。といってもわたしは決して誘拐されたわけではないですよ(インタビュアー注:映画では、ナティアは誘拐され、愛してもいない青年と強制的に結婚することになる)。わたしに近いのは、ナティアに加えられた痛みに復讐するという友人としての望みのほうです。

スリキン:映画では人々が絶えず怒鳴りあい、喧嘩しあっています。イタリアのネオリアリスモを想起させますね。みんなとても大きな声で話しています。なぜでしょうか?生活がひどいからですか?

ナナ:90年代のグルジアでの生活は厳しいもので、数多くの問題が人々を悩ませていました。あらゆるものが欠如し、みんな失業しており、犯罪が激増していました。多くの人が、お互いに普通に接することができなくなってしまったのです。自分の不幸の原因は、自分にあるのではなく、誰か他の人にあると考えたがったものです。他の人とは、例えば夫であったり妻であったり、親戚、お隣、知り合い、同僚、政府などです。このため会話のトーンは声高く、いらいらしたものになっています。何かを変えることについての人々の無力感を伝えたかったのです。

スリキン:主人公が並ぶことになるものすごい長さのパンを求める行列が印象的です。人々はパンを求めて殴り合っていますが、軍服を着た男たちとマフィア風の強壮な若者たちが行列を無視してあの神聖なるパンの受け渡し口に分け寄っていくとき、おとなしく口をつぐみますね。こういうことはあなたがご自身の眼でご覧になったことなのですか?

ナナ:えぇ、わたしたちは何時間も、ぺちゃくちゃ喋ったり冗談を言ったりしつつ行列に並んでいたものです。だって子どもの感覚というのは大人のとは違いますからね。わたしたちは楽しかったし、大人みたいに起こっていることを悲劇的な世界の出来事だ、とは感じなかったです。

スリキン:誘拐婚はソ連映画で見ました。有名な『カフカスの虜』のなかで、でも単にコメディとしてでした[訳注:ここでいう映画『カフカスの虜』はおそらくレオニード・ガイダイ監督による1966年のコメディ映画。1996年にも『コーカサスの虜』の題でトルストイ原作の映画がある。プーシキンにもオペラになった詩『カフカスの捕虜』がある]。あなたの映画ではすべてが深刻なものですね・・・

ナナ:誘拐婚は、グルジア映画のなかではロマンチックな観点からしか描かれてきませんでした。誘拐婚という習慣そのものに対する考えに関心を持った人は少なかったのです。グルジアには男女同権の取り決めや、女性のものの見方によく耳を傾けるといった習慣は原則として存在しません。まさにこのために、わたしは映画で起こっていることすべてを若いヒロインの観点から写しているのです。

スリキン:ご自身をフェミニストだとお考えですか?

ナナ:いいえ、そうは思いません。わたしはただグルジア女性に、長い間奪われてきた声を与えたいのだけなのです。だんだんと偏見は変わり、過去のものになりつつあります。しかし、まだ足りないのです。民主化のプロセスを後押ししなければなりません。

スリキン:ナナ、正直に言って、あなたは予想を裏切ることに成功していると思います。ナティアを辱めた者に対する復讐の武器となるべきピストルが映画に登場したとき、チェーホフの有名な言葉に一致するものかと思ってしまいます。つまり、第一幕で銃が出てきたなら、終幕で必ずその銃が発射されるのを待ちなさい、という言葉です。ですがあなたは予想を裏切って平和主義へ退いてしまいますね。なぜでしょうか?

ナナ:エカがピストルを投げ捨てるのは、彼女は周りの大人たちとは違うからです。大人たちはあくどく、残酷で、お互いに憎みあっています。ですから人を殺すことは、彼らにとってはいとも簡単な解決策なのです。エカはまだ子どもでありながら、憎悪の連鎖反応は、平和の尊重や赦し、善良なしぐさによってのみ断ち切ることができるのだ、と感じとっているのです。

スリキン:たいへん力強いエピソードは、ナティアの結婚式でのエカの踊りです。エカはなにか言い表し難い緊張感のなかで、下に眼を伏せたまま周りの人々を見ずに踊ります。このエピソードはどのように生まれたのでしょうか?

ナナ:エカが踊っているのは、グルジアの男性舞踊です。このようにしてエカは友人に対する愛を表現するのです。同時に、「わたしは別の世界に、ナティアの世界とは違う世界にいるの」と語っているかのようです。彼女はひとりぼっちですが、彼女ただひとりきりの存在なのです。

スリキン:あなたが採用した優れたカメラマン、オレグ・ムトゥにとっては、まるで障害物などないかのようですね。ムトゥのカメラは情熱的で空気のようであり、すべてのドアを開け放し、流れ星のように廊下を運ばれていきます。マックス・オフュルスのカメラワークを強く思い起こさせます。ムトゥとどのように働いたのですか?視覚の構造はどのように組み立てられていったのでしょう?

ナナ:わたしたちは1シーン1ショットで撮るようにしました。お気づきになったかもしれませんが、わたしたちの映画には編集による切り貼りがほとんどないのです。ムトゥやわたしたちは、一つ一つのシーンをコレオグラフィだと考えるようにしていました。わたしたちにとっては、この映画をわたしたちが撮影していたあの場所で創り出すことこそが重要だったのであって、編集デスクでばらばらのコマを操作することは重要ではなかったのです。ナティアが語っているとき、わたしたちは彼女を見ずに、それを聞いているエカの顔を見るのです。このようにしてわたしたちはこの物語を発展させていったのです。厳密なプランに拠るのではなく、感情に拠って。

スリキン:タイトルロールには、この映画がグルジア・ドイツ・フランスの共同製作だと書かれていますね。それぞれの国はどのように映画に資金提供したのでしょう?

ナナ:ことは、わたしがシナリオの申請書をドイツ語で書いたところから始まりました。そのときわたしとシモンはベルリンに住んでおり、わたしはある権威あるドイツの財団のシナリオコンクールに「トリートメント(映画のおおまかな流れ)」を送ったのです。財団のスペシャリストたちは映画のアイディアを気に入り、撮影の初めの期間のあいだ出資してくれました。グルジアの国立映画センターは映画におよそ10万ユーロほど出資してくれました。これは重要です。なぜなら自分の国からの支援がなければ、他の国からの資金を見つけることも大変難しいからです。ドイツとフランスのテレビチャンネルもわたしたちを支援してくれましたが、撮影のプロセスには誰も介入してきませんでした。わたしたちは完全に自由だったのです。

スリキン:今日のグルジアの若手監督たちは、いろいろな国で教育を受け、仕事をしています。ドイツ、フランス、オランダ、アメリカなどです。もちろんグルジアでもです。例えば最近わたしはトロントで、ニューヨークで教育を受けたレヴァン・コグアシュヴィリ監督の見事な作品『盲目のデート』を見ました。あなたやコグアシュヴィリといった世界を股にかける映画人に代表される「グルジア・ニューウェイヴ」を提唱することが可能だ、とあなたは思われますか?

ナナ:そう思います。グルジア映画は甦りつつあります。レヴァン・コグアシュヴィリ、ルスダン・チコニア、ゲオルギー・オヴァシュヴィリ、ゲラ・バブルアニやその他の新しい世代の監督たちは精力的に活動しています。あるものは処女作を完成し、あるものはもう2作目を撮りました。外国で教育を受けたのちに彼らはグルジアに戻り、わたしたちの国で何が起きたか、またいまなにが起きているのかについての映画を撮っています。わたしたちの世代にとってこれはすべてとても意義のあることなのです。


聞き手:オレグ・スリキン、ニューヨーク
2014年1月8日

0 コメント:

コメントを投稿