10 8月 2015

ゲンナージイ・アイギの詩

初公開:2014年1月28日
更新:2015年8月10日

いまではいつも雪が(1978)

n.b.に
雪のように あることである「神」
そして 雪があること があること
あることである 魂が あるときに

雪 魂 そして 光
こういうものはぜんぶ
死のようにある者たちのように
それらもまたあるということに過ぎない

そこにもあると 認めること
闇の世界にも ある があること
またもや雪が降る時には
「アァ神サママタユキガ」
あるということが どうしてありうるのか

実際のところ ないのだ
死体のように あり かつ ないものなのだ

あぁ 「ハリボテ=国家」というものがある 疑いの余地なく あるのだ
「国民」が ない ことを意味する
ことばなのならば

では ある とはいったい何なのか
そのせいで ここに これがあるような あるとは
そして 「貌」はあたかもただ
「闇と貌」の国だけがあるような
そんなハリボテなのだ

「時代—そんな—死体

ひとつの ある ことがある
それはつまり ない ことでもあるが
アァ、神サマ、マタ、ユキガ!
あるものがあるように それらは ない
ただ「死にみの国」であるに過ぎない

あり かつ ない ことがこうして ある
そしてただこのために ある
だが ただただ ある ことである

魔法で起きたかのように 一瞬 竜巻がある
「死性の国」はなくなる
あぁ神さままた雪が
魂 雪 そして 光

あぁ神さままた雪が

それらがないこと があること であれ
雪だ わが友 雪だ
魂と光と一片の雪

あぁ神さままた雪が

そして あること である雪が あること

ここ(1958)

木立のなかの茂みのように ぼくらに見つけ出されたのは
ひとを隠し守る
そんな隠れ家の謎

そして生命は森へと続く道のよう 己の中へと閉じこもり
ぼくには「ここ」ということばが
生命の暗号と思われ始めた

そのことばは地をも天をも表している
影のなかにあるものをも
ぼくらがこの目で見ているものをも
詩のなかでぼくにはとても 語ることなどできないものをも

不死の秘密を明かすことなど
しょせんは 冬の夜に照らされた
茂みの謎解きに過ぎないのだ

雪の上の白い小枝の謎解きに
雪に落ちる黒い影の謎解きに

ここではすべてがお互いに呼び交わしあっている
原始の偉大なことばでもって
まるで生命の桁-外れに自由な部分が
(いつも偉大なことばでではないけれど)
隣りの決して消えぬ部分に 答えるように

ここ
静まりかえった庭にある
風に壊れた枝の端
ぼくらは探し出しはしない
畸形の樹液の凝結を
その凝結は 痛ましい姿にも似て

ある不幸の晩
磔にされたひとを抱いている

そしてぼくらは知らないのだ 他のものより
偉大であっただろうことばを そしてしるしを
ここで ぼくらは生きており ぼくらは ここでこそ 美しい

そしてここで黙り込み ぼくたちは現実(うつつ)を掻き乱す
だがもし 現実との決別が辛く困難なのならば
そのときは生命が その決別に割り込むだろう

まるで 自分で勝手に発されながらも
ぼくらには聞こえぬ知らせのように

そして ぼくらから退いたあとも
水のなか 茂みが映り込むように
知らせは隣に居座るだろう ぼくらなきあと
座を占めるため
ぼくらにのこるは役目を終えた
ぼくらの 場所

ひとの占める空間に
とって替わられるのは
ただ生命の占める空間だけであるようにと
いつ どんなときも

コンスタンチン・イワノーフ(チュヴァシ語)

Эс пирĕнтен те çамрăкрах,
чăваш поэзин чаплă ашшĕ.
Эс - иртнĕ кун. Çав вăхăтрах
эс халăх кăмăлĕн малашĕ.

Эс - пирĕн аслă çĕнтерÿ,
эс - пĕтĕм çут çанталăк панă
асамлă вăй, тĕлĕнтерÿ.
Çĕр-шыв хăйне санра упранă.

Эс, çÿллĕ пăнчă пек,- пĕрре.
Çĕршер çĕрте асра тытмалăх
сан сассупа историре
ялан калаçĕ пирĕн халăх.

あなたはわたしたちより若いのだ
チュヴァシ詩の 偉大な父なる人よ
あなたは過ぎし日 だがあなたは
民衆の未来の理想でもある

あなたは わたしたちの偉大な到達点
あなたは 輝ける全き世界の王
魔法の力であり 驚異である
大地そのものが あなたの中で 守られていたのだ

あなたは一人 あたかも高き点のよう
この世には 記憶に留めておくべきものが百もあるが
歴史のなか あなたの声で
呼びかけられてきたのはいつも 我らチュヴァシの民

風に舞う紙切れ(1984)


「…とめどなく変わり映えのない手紙を書いていたかった。『もうだめだ なぜかこうなってしまったんだ。生きることはなにかそんなような感じのものではないようだし 理由などわからないし わたしはといえばまるでずっと気が狂ってるみたいで』と こんなことは誰にも言えやしないし 終いまで読んでくれ これを拾う誰か いま似たようなことを何か考えている人かもしれないし まさかどうでもいいわけではあるまいに これがわたしなのかきみなのかということが 終いまで読んでくれきみがぼくに宛てて書いているかのように。『すっかりわかりかけてきてる あてどなさのようなものが それは固有のものかもしれないし ぼくが持ち合わせているものかもしれないし ぼくは生き長らえていくのだろうし よくわからないけどそうしなきゃいけないみたいだから ぼくはずっと頭がおかしいみたいで…』」

朝焼け:窓のむこうの白樺(1967)


そしてまるで 「無限ヘト-ノビル-絹糸」のよう 
底しれず パチパチと爆ぜ: ボクノセイデ 病んでいる 
「神ト-トモニ-魂ヘト向カウ-ヨウニ-叫ブモノノ-ホウヘ」!— 
庭から 眩ませるのは: 

拡がりながら!— 

恐怖に まるでナイフで切り裂かれたような恐怖にまで至る

なでしこの花 — 「すべて」のあとに (1982)

パウル・ツェランの記憶に 

じゃあ 「しろさ-ぁ」?… 

( ボクハ イナイヨ ) 

じゃあ 「し-ぃろさ」かぁ…

*Айги, Геннадий Николаевич (1934-2006)

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